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About Mother Goose Society of Japan























論 文 紹 介

  編集部に送られてきたマザーグース関連の論文について、内容紹介があるもののみ、当時の会報の紹介文を掲載しています。

  これに「“マザー・グース”の論文を読む」(鈴木直子著。会報No.162〜173、181〜182 (2005.11〜2007.9、2009.1〜3)に掲載)を加えて、執筆者名の50音順に並べ替えました。(2017.9。管理人@フィドル猫)


★目次★   安藤幸江    今井邦彦   太田雅孝    川戸道昭    木田裕美子    佐藤和哉   鈴木紘治    高木誠一郎   鶴見良次    中澤紀子   西田圀夫    平野敬一   平野美津子    ひろたまさき    藤野紀男   松村美佐子    鷲津名都江 


◎安藤幸江「マザーグースの面白さ 「猫とバイオリン」の場合」(『追大英文学会論集』4号)

   ナンセンス・ライムの代表であるHey diddle diddleの唄を、書誌学から、民俗学から、通時言語学からと、多面的に論考したもの。 ネコやメウシについて、『イメージ・シンボル事典』(アト・ド・フリース著、山下圭一郎他訳、大修館)を援用して、歴史的解釈を試みている点が、興味深い。

(会報No.83. 1995.5 より)


◎今井邦彦「ハワイ・ピジンとマザーグース」(『言語』1990 vol.19, No.4)

 ハワイ式(ピジン)英語でマザーグースを味付けするとどうなるかを示したが、M.R.Spoon女史の Da Kine "Moddha Goose"(1982)。ダカインというのは、that kind ofに由来し、 ここでは「一種独特の」という意味で使われている。

 ちなみに、ハンプティ・ダンプティの唄は、こうなる。

Humpty Dumpty sat on Kuhio Beach wall.
Humpty Dumpty took a beeg fall.
Awl da King's horses an' Kamehameha's men
Couldn't put that buggah back togeddah again.

6ページにわたるこの論文資料を、美濃部良氏からいただきました。

(会報No.24. 1990.6 より)


◎太田雅孝「マザー・グースは丘を越えて −両義的な経験の方位へ−」(『人文科学』6号、大東文化大学人文科学研究所、2001.3)

論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   著者はまず、マザー・グースの唄は、英語圏の人々にとっても「おとなになるにつれて…(中略)… 意味の領域に思いを巡らすようになると、多くの歌の中になにか通常の言語活動とはずれた、なにやら、《ひん曲がった》 とでも言いたくなるような意味や論理の不可解さに気づく」のではないかと、問題を提起する。ましてや《丘を越えて遠くに》 いる日本人にとっては、その感覚は「さらにねじれながら強くなる」。そこで、我々としてはまず英語圏の文化的歴史的背景に飛びこみ、 しかる後に文化的時代的すり込みを問い直すことが重要だとする。

   例えば、マザー・グースの唄には残酷なものがある、ということはよく言われるが、好色あるいは猥雑なものがある という指摘はあまりない。そろそろ、こういう面があることを認め、その観点から得られる意義深い様相をみてみたらどうだろう、 と提案する。好色あるいは猥雑な唄が無視されがちな状況については、センダックが「現代のものはこの好色な側面が失われている場合が 多すぎる」「『メリーさんの羊』のような生気のないものを入れるために、洒落ていて騒々しくて…あまり知られていない歌(たとえば 「あたしのつれあい小さい男…」など)を落とすという退屈きわまる風潮は、マザー・グース本来の香りを薄めてしま」 うと批判している文章(『センダックの絵本論』岩波、pp.12-3より)を紹介。さらに、ニューベリー、ハリウェル、 オピー夫妻の業績を紹介しつつ、現今の「現実逃避的なナイーヴさを無批判的に絶対視しているような」児童書出版事情をふまえて、 センダックの発言を位置づける。

   いよいよ、「数ある唄の中でも、なにやら不思議な気持ちにさせる要素や、いわゆる<子ども>向けと思えないような 経験の内容を持つ唄」の分析に入る。取り上げられるのは「Goosey, goosey, gander」である。「my lady's chamber」の訳は、 「奥様のお部屋」程度が一般的だが、白秋は「聖母(マリア)様の御堂」とした。「Lady」と大文字のヴァージョンもあるので、 一見この読みで構わないようにも思える。聖母を崇めるのはカトリックで、「my lady」というからには、鵞鳥もカトリックということに なる。しかし、イギリスは、カトリックと別れた国教会=プロテスタントの国である。普通のイギリス人の感覚では、 「お祈りをしようとしない爺い」を転げ落とすのは、プロテスタント側でなくてはならない。やはり、白秋の訳では無理がある。

   著者は、同じくこの白秋の訳をしりぞけた平野敬一の引用から、「『奥方の寝室』をセックスと結びつけた しもがかった俗解」(『マザー・グースの唄』中公新書、p.96)もあると指摘する。その「俗解については詳しくわからない」としながらも、 「奥様」は高級娼婦で、「爺い」は好色な老人、それを投げ落とすのは娼婦に恋する若者、とすると、この唄は<おとな> のいかがわしい雰囲気の唄に変容する。子どもの無垢な心ではわからなかった点が、大人になるにつれてわかってくる、 マザー・グースの唄は、かつては共同体の中でそのような教育的な役割を持っていたのではないか、と著者は推察する。

   さらに、この唄の成立過程は、二つの唄の合体である。後半部分の元歌では、「お祈りしない爺い」は、 実はガガンボ「Old father Long-Legs」だった。合体した当時はガガンボだったが、いつしか昆虫から人間に変わったとき、 「全体の意味に大きな変化がもたらされることになった」。ここに、文学批評の視点を導入すると、教訓的な民話の様相を獲得した、 ということになる。つまり、元の唄の現実的な細部が部分的に取捨されて、好色さと残酷さの入り交じった物語のパターンに変化した。 このような「神話化」とも言える変化が伝承文学の面白さなのだ、と著者は言う。この唄における「神話原型」としては、「罪と罰」 「因果応報」「キリスト教の原罪における堕落」「最後の審判における地獄落ち」のイメージがみられるという。このような「民話」 という媒介を通して初めて、「前文学的カテゴリーとしてのマザー・グース」の生い立ちが理解できると結んでいる。

*伝承童謡が「神話化」する変容を扱った最後の部分の論理展開が急で、ここをもっとじっくり論じてほしかった。 おそらく紙幅が足りなかったのだろう。また、「Goosey, goosey, gander」以外の唄ももっと取り上げてほしかった。浅学にして、 このような分析をした論文は、他に思い当たらない。夏目康子氏の『不思議の国のマザーグース』(柏書房、2003)に、 「丘のふもとにすんでいるおばあさん」をグリム童話の魔女と比較している一節があるが、マザー・グースの唄の成り立ちを「民話」 の視点で分析しているのではなく、ドイツとイギリスにおける魔女狩りとの関係をみているものである。

(会報No.168. 2006.11 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第五回」より)


◎川戸道昭「明治のマザーグース」(川戸道昭・榊原貴教共編『児童文学翻訳作品総覧』7【アメリカ編】、 大空社・ナダ出版センター共同刊行、2006.3所収)

論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   今回は、雑誌・紀要掲載論文ではなく、単行本に収録されているものを紹介します。川戸先生の、大会での講演 (2008年12月7日第10回マザーグース学会全国大会)とも重なる内容ですが、大会に参加できなかった会員も多いことですし、 また少し違う所もありますので、参加した方にも学ぶところがあると思います。

   まず著者は、マザーグースが初めて日本に紹介されたのはいつ頃か知りたくて、鷲津名都江氏の『マザーグースと日本人』 (吉川弘文館、2001)を見たところ、明治25(1892)年の『幼稚園唱歌』に「キラキラ」と「我小猫を愛す」が最初だと記されていた。しかし、 長年グリムやアンデルセンの日本受容史を研究してきた著者は、それらの最初にして最大の受入経路が英語教科書だと知っていたので、 改めて明治初期の舶来教科書を徹底期に検証したところ、なんと数十点もマザーグースを発見することができた。

   日本で最初のマザーグース(原詩)の紹介は、福沢諭吉が慶応3(1867)年に持ち帰った「ウィルソン・リーダー」第2巻の 「キラキラ星」である。その歌詞は、オーピーの辞典ODNR と比べると、第1、2節はほぼ同じ、第3節がなくて第4節が3番目に来て、 残る2節は全面書き換えされている。これは、「ウィルソン・リーダー」がキリスト教教育を強調した教科書だったからである。

   当時の舶来教科書を教えたり自習したりする人向けに、「直訳」本や「独(ひとり)案内」といったものが 数多く出版された。明治15年の『ウイルソン氏第二リイドル直訳』に掲載されている「第十四章 小サキ星ガ輝ク」が、 現在確認されている「キラキラ星」の本邦初訳である。「小サキ星ガ輝クヨ/如何ニ私ハ汝ガ何デアルカヲ驚クヨ/ 空ニ於テ金剛石ノ如ク左様ニ高ク/世界ノ上ニ昇レ (以下略)」正に直訳だが、これは当時の学習法が、意味の理解は補助的で、 原詩の暗誦に力点があったからである、と著者は言う。

   明治20年代になると、英語教科書の主流は、宗教色の薄い「ナショナル・リーダー」になった。「キラキラ星」 は最初の2節のみが掲載され、欄外に「暗記用」と明記されていた。これこそ英詩のリズムを丸ごと体感する最良の方法であり、 本来の鑑賞法だと著者は評価する。

   主流ではなかったが、同じ頃使われた「ロイアル第一リーダー」には、挿絵付きで「かわいい小猫」「メリーさんの羊」 「靴に住むおばあさん」の3篇が出ている。特に「靴に住む…」の挿絵は、たくさんの子どもがいるだけでも変なのに、表情も行動も様々、 視線に至ってはみんな別々の所を見ているといったもので、マザーグースのナンセンスぶりをよく表わしており、 原詩よりマザーグースの本質を日本人によく伝えた絶好の資料だと著者は断言する。

   また、これらの詩が「Nursery Rhymes」という欄に掲載されたので、「子ども向け」という意識が生まれ、 口語的な訳文も出現。明治19(1886)年の『ローヤル第一読本独案内』に掲載された「靴ノ中ニ住ミタル老婦ガ/ 如何ニシテ宜シイカ知レナカツタ程 沢山ノ小児ヲ持テオリマシタ/彼女ハパンノ代リニ或ル汁ヲ与ヘマシタ (以下略)」(江馬主一郎 「意訳」)という、この訳が画期的なのは、日本最初の創作児童文学と言われる巌谷小波の『こがね丸』が明治24(1891)年、 それですら文語体だったことを考えるとはっきりする。

   これらのリーダーで学んだ学生たちは、「マザーグース」という意識はなかったと思われるが、教師の中には 正しい知識を持つ者もいた。明治44(1911)年、開成中学の講師だった長谷川康が『英語之友』に6回連載した「Nursery Rhyme/ イギリスの守歌」という記事には、「ボー・ピープ」の解説として「此歌は英米の児女の間に行はるゝ俗謡中極めて普通のものにして、 ―(中略)―Bo-peepは原来は『居ない、ない、ばァ』に当り、Boと云ひて顔を隠し、Peepと云ひて顔を出す時の詞なり。 それを女児の名にしたるなり。俗謡の常として本篇も格別まとまつた意義あるに非ず。」とあり、日本のわらべ唄の節で歌えるような訳文も 載せている。

   まとめとして、舶来教科書を視野に入れたマザーグースの受容史の特徴を6つ挙げている。第一に、 受入の時期が20年以上さかのぼった。第二に、英語を学んだ全ての人が目にしたという層の厚さ。第三に、原詩が掲載されていたので 英米の人と同じ立場で学べた点。第四に、「直訳」本や「独案内」が翻訳史の上で重要な文献である。第五に、舶来教科書の挿絵が 西洋童話の挿絵や絵本の先駆をなす重要な資料である。第六に、深い知識を持った教師がマザーグース理解の水準を押し上げるのに 一役買っていたこと。と結んでいる。

*この本の巻頭に、カラーで『ウィルソン第二リーダー』原書、『ナショナル第二リーダー』原書、「Hey diddle diddle」 のカラー挿絵が掲載された『正則初等英語』1巻2号、「風よ吹け吹け」の挿絵が掲載された『英語之友』3巻2号、竹久夢二の『歌時計』の 「猫のクロさん」の挿絵、土岐善麿『Otogiuta』(日の丸文庫2、日本のローマ字社、大正8年初版)の表紙など他にも貴重な図版が 掲載されています。必見! です。

鷲津名都江著「マザーグースと日本」(『図説児童文学翻訳大事典 4』大空社・ナダ出版センター共同刊行、2007.6 所収) …次回、紹介します。

(会報No.181. 2009.1 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第十回」より)


◎木田裕美子「ミステリー映画2編に見るマザーグース用例−マザーグースの1つの用例」(『英語熊本』第27号、1993)

   テレビで放映された2編のミステリーを取り上げています。ひとつは。アガサ・クリスティ原作「愛国殺人(The Patriotic Murder)」をテレビ映画にしたもの。 この作品の中に、"One, two, buckle my shoe,..."で始まる唄が登場。ポアロが訪れる歯医者の前で、二人の少女がこの唄を歌いながら「けんけんぱあ」をして遊んでいる。 マザーグースが、事件解決の糸口を与えているという。
   もうひとつは、アメリカのテレビ映画シリーズ「噂の刑事テキーラとボネッティ」の中で、"Ipsey Wipsey Spider" "Humpty Dumpty sat on a wall"の唄が台詞に使われているという。
(引用略)
   Ipsey Wipsey spiderが指しているのは、不良グループの仲間の印として彫っていた入れ墨のこと。ボネッティ刑事の上司であるキャプテンがハンプティ・ダンプティを引用したのは、 事件の目撃者で自閉症のレニーがどう扱われ、警察が不利な立場になることを示唆しているという。

(会報No.65. 1993.11 より)


◎木田裕美子「マザー・グース発現の形とその意義」(『八代高専紀要』第16号、1994.3)

   マザーグースが本来は口承によって伝承された点に注目し、原題の人々が、日常生活でマザーグースをどのような形で、またどのような意味を含んで口にするのか、その現れ方を主に映画の中に見いだしたもの。 マザーグースが映画の中で使われるのに、3つの形態がある。
   1 元唄のまま口にされる。元唄全部の場合と1部分の場合がある。
   2 替え歌の形で、リズムやメロディはそのまま口にされる。
   3 マザー・グースに登場する人物名のみを口にする。
   結論として、マザーグースが現代にまで力強く生命力を持ち、活躍していることがわかる。英語を外国語として学ぶ我々にとって、マザーグースを知識として知ることの重要性を説いている。

(会報No.78. 1994.12 より)


◎木田裕美子「生け贄選出のナーサリイ・ライムズ」(『北九州工業高等専門学校研究報告』第33号、2000.1)

   今回は生け贄がテーマ。「ロンドン橋が落ちる」「ヒッコリ、ディッコリ、ドック」「イーニ、ミーニ、マイニ、モウ」の3つの唄を取り上げている。
   「ロンドン橋が落ちる」の唄に関しては、橋そのものの歴史に触れ、フレイザー著『金枝篇』にある人柱説、ヘンリイ・ベット著"Nursery Rhymes and Tales −Their Origin and History"にある生け贄説、 出口保夫著『ロンドン橋落ちる』にある架橋工事に際して犠牲になった200〜300人の人々が人柱の代わりになったという話を紹介している。
   「ヒッコリ、ディッコリ、ドック」と「イーニ、ミーニ、マイニ、モウ」の唄に関しては、現在「鬼決め唄」とされているが、 最初と最後の行がケルト人が使っていた数字と類似していることから、古代ケルトの生け贄選出の儀式と関連があるのではと推考している。
   論文の後半は、この3つの唄が出てくる映画16本を取り上げ、どんな場面でそれぞれのマザーグースが引用されているかを論証している。 スウィフト原作の『ガリバー旅行記』の映画化である「ガリバー」(原題"Gulliver's Travels" 1995 アメリカ)では、巨人国に漂着したガリバーが農民に捕獲され見せ物として市に連れて行かれたとき、 予言者になりすましたガリバーが「ロンドン橋が落ちる」を神懸かり的に歌った用例を解説している。映画「スタークリスタル2」(原題"The Surviver" 1997 アメリカ)では、 カイラが大統領と護衛官を捕らえ拷問にかけて救助船を呼ぶ暗号をしゃべらせようとする場面に使われている事を、セリフと共に紹介している。
   なぜ子供部屋の唄の中にこのような恐ろしい生け贄の話が入り込んでいるのか、 その答えとしてフレデリック・ブラウン著『手斧が首を切りにきた』(原題Here Comes a Candle)で、主人公が語る言葉を引用している。
   「なんだってあんなことを童謡の中に入れたのか、ぼくはときどきふしぎでならないんです。ずいぶんバカげたことじゃありませんか。 でも、ぼくらの年の子供だったら、みんな同じくらい怖がるんじゃないでしょうか。よく考えてみると、子供は少し怖いことが好きなようですね。さもなければ、あんな文句を童謡の中に入れるはずがないと思います。」
   論文の最後は、「世代を超えてナーサリイ・ライムズをcommunicationの手段に使うことは、古いものを踏襲しつつ、新しいものを生み出していく底力をも伝えていくことてもある。」と結んでいる。

(会報No.133. 2000.9 より)


◎佐藤和哉「『マザー・グースのメロディ』を読む」(『外国語科研究紀要』第39巻第3号、東京大学教養学部外国語科、1992.3)

論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   まず、「子どもに対する大人の態度」という観点から、この童謡集を読み解くという著者の立場が明らかにされる。 特に、平野敬一が『マザー・グースの唄』で示した、マザー・グース全体が日本の童謡よりもずっと「オトナの世界に属している」という 立場とは異なり、この『マザー・グースのメロディ』(以下、『メロディー』と略)は、大人の読者を想定はしているが、 あくまでも子どものためのものであるとする。

   次に、書誌的なことを整理している。出版年については、1765年説よりも1780年説の方が「分がある」とし、 編者や出版者は、一般にゴールドスミスが編み、ニューベリーが出版したとされるが、初版の実物が現存しないため厳密には不明だとする。 収録された唄の数は、序文に1篇の童謡とその楽譜、本文第1部に51篇、第2部にシェイクスピアの劇中の歌謡16篇である。

   序文の冒頭に「これらの歌や子守歌を子どもたちに歌って聞かせる慣習」という表現があり、 この本は子どもが自分で読むのではなく、大人が読んだり歌って聞かせる本だという点が明記されている。序文は、 子どもたちに最初に歌を歌ってやり、知識を授ける乳母たちに敬意を表してしめくくられる。18世紀後半の児童書には、 中流階級の上昇志向が強く反映され、遊びや楽しみは排除して教訓を押しつけ、乳母のような庶民の迷信やナンセンスな歌は 教育上好ましくない、とされていた。その風潮とは、『メロディー』は大きく一線を画している。

   また、序文の中に、五線譜の楽譜付きで替え歌が掲載されていることから、編者が読者に「ある程度の教育水準を 要求している」と言う。当時の民衆向けチャップブックでは、「〜の節にあわせて」と書かれ、楽譜はなかった。

   本文巻頭の「恋歌」と題が付けられた唄には、第2連に性的な表現がある。この時代には、子どもにも性の話題は タブーではなかったらしいが、児童書には「教育的配慮」がされつつあった。本文51篇中、男女や結婚に関する唄は6篇で、あやし唄11篇、 遊び唄6篇と比べると、特に多いわけではないが例外でもない。

   「このぶたさん」などのあやし唄については、ポール・アザールの「英国のたいていの子守歌は… 単純なリズムが強く刻まれ、朗々たる完全押韻でつくられている。…歌詞よりもメロディーのほうが大切なのだ。」という文を引用し、 本質を示している。

   また、これらは「子どもを遊ばせるための唄」だが、要は「子どもを喜ばせ、笑わせるための唄」である。この「笑い」 は、他の本と異なるこの本の重要な特徴で、神の怒りや世俗の成功よりも大事な知っておかなければならないこと、「この世は生きるに 値する」ということを歌や笑いを通して教えている点で、同時代のどの本よりも優れていると位置づけている。

   「三にんの子どもたち」など8篇あるナンセンス唄は、バラッドなど民衆文化に見られる「さかさ唄」の流れをくむ。 著者は、ソ連の児童文学者チュコフスキーの言葉を引いて、ロシアの童謡にも同様の唄があること、どの国の子どもでも一定の精神発達の 段階にかかると、この「さかさ唄」という知的遊戯を通して、自分はこの唄が嘘っぱちとわかっていて、世界を正しく認識していると 確認するのだと言う。

   また、この本を子どもに読んで聞かせる実際の読者である大人にも、「笑い」が用意されている。 それが唄に付いているミスマッチな格言である。これらの格言に注目したウィリアム・エンプソンの「その魅力は… 唄の筋とそれを結びつけようとすれば、唄に意外な解釈をしなければならなくなることから生じる。」という文を紹介している。 また、引用された格言の著者たちが壮々たる学者ばかりであることから、編者が相当な知識人であること、 さらに学問の権威を笑いのめしていることがわかると言う。これらひねくれた「格言」は、当時の児童書に蔓延していた「教訓主義」 を一見まねながら、笑い飛ばしている。

   この論文はさらに、『メロディー』の第2部シェイクスピア劇中の歌謡についても触れているが割愛する。 このような形を取った唯一の童謡集らしいと指摘している。

*この論文は、関東支部で最初に勉強会で使用したテキストを扱っている。この著者の知識の広さに驚くとともに、 他にもマザー・グースに関する論文が見あたらない=雑誌記事検索では出てこないのが残念だ。唄に付いていた格言については、 勉強会当時、随分悩んだので、先にこの論文を読んでおけば少しはわかったかな、と思う。よくウィリアム・ エンプソンの指摘を見つけたなーと脱帽してしまいます。
※『マザー・グースのメロディ』という童謡集についての他の論文:藤野紀男著「Mother Goose's Melody所収の唄に関する一考察」 『十文字学園女子短期大学研究紀要』第25集、1994

(会報No.163. 2006.1 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第二回」より)


◎鈴木紘治「マザー・グースにおける昆虫 −謎を解く鍵として−」(『成蹊大学経済学部論集』27巻2号、1997.3)

論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   「はじめに」で、平野敬一の「イギリスの伝承童謡には…(中略)…昆虫のような小さなものは、例外的にしか登場しない。」 という指摘が強く印象に残り、以来、<マザー・グースと昆虫>というテーマが著者の頭に住み着いた、ときっかけを記している。

   次に、マザー・グースは自然詩であり、自然教育詩でもあり、個人的な体験の記憶でもある、という様々な面を紹介。 さらにイギリス文化は、合理的なアングロ・サクソンと幻想的なケルトの2つの文化の混成であり、マザー・グースも、 この2つの文化の要素を持っている、と指摘。昆虫への愛は、「工芸的な美意識の持ち主であるケルト人の心性」に育まれ、 その流れはラフカディオ・ハーンにも及んでいる、という。

   個々の唄では、まず「Ladybird, ladybird, / Fly away home」を取り上げ、オーピー夫妻が伝承童謡の研究を始めた、 きっかけの唄であることに触れる。オーピーは、この唄が「テントウムシへの警告」の唄であるとし、ヨーロッパ全土に異型が存在するのは 「何か重大な意味が隠されている」とまで指摘しながら、それ以上踏み込んでいない。

   しかし、著者によれば、「Ann」がこの謎を解く鍵であり、このAnnはケルト神話の女神アンナを意味し、 キリスト教の聖母マリアの母アンヌでもあるとする。この唄には、ケルトの地母神信仰が、キリスト教によって次第に弾圧されていく様が 読み取れる、という。

「おうちが火事だ/子どもたちは皆にげた」は、「まさしく戦争による略奪の場面」であり、「小さなアン以外は」の所は、 聖母の母と重なる女神アンナ信仰以外は滅びたことを示し、「おなべの下にはいこんだ」のは、地母神信仰がいったん隠れ、 聖母信仰の形をとって表面化したことを表わしている。「これこそ、オーピー夫妻が…(中略)…解けなかった謎である。」と断じ、 オーピーがあまりにも敬虔なクリスチャンであるために、ケルト的要素の大きな意味を見逃した、と指摘する。

   その他、ハチ、マルハナバチ、クモ、ノミ、チョウの出てくる唄について考察している。 マルハナバチの出てくる唄のうち、「Feiddle-de-dee, fiddle-de-dee, / The fly shall marry the humble-bee」では、男性的なハエ、 女性的なマルハナバチのイメージを指摘し、「似合いのカップル」であるとしながらも、「異種交配」だとも言う。この唄は、 異質な者同士の結婚を祝福しつつ揶揄しているのではないかと考えると、イギリス国王ヘンリー一世とマティルダの結婚が 該当するのではないか、と著者は言う。マティルダはアルフレッド大王の血をひき、スコットランド王家に連なる血筋で、 いわばこの結婚は、ノルマンとアングロ・サクソンの融合の象徴であり、征服された民アングロ・サクソンの復権を喜ぶ民衆の気持ちが、 「詩全体を貫く祝祭の気分」に反映しているのではないか、と推察している。

   また、クモ(厳密には昆虫ではないが)が出てくる「Little Miss Muffet」の唄では、モデルと言われる、 昆虫学者トマス・マフェット(1553-1604)の娘ペイシェンスについて触れ、父がクモを慈しんで、室内に住まわせたり、 クモで娘の病気治療に熱心に取り組んだりしたというエピソードを紹介。「マフェット」という名前は明らかに「クモ」 と結びついて記憶されており、この唄は、マフェット博士への敬愛をこめたパロディーではなかったか、と推論する。その傍証として、 「Miss Muffet」がファースト・ネームで呼ばれていないことを指摘。普通、「Little…」と子どもの名前が登場するときはフルネームか ファースト・ネームが多いのに、これは例外である。「Miss Muffet」という呼び方は、庶民の娘に対してではないし、 明らかに名字が強調され、マフェット博士が主眼であることを示すという。

   最後に、著者は日英の昆虫文化誌に触れてまとめている。日本では、「鳴く虫」が特に愛でられている。それも 「単なる物理的な音」ではなく、「〈はかなさ〉という抽象的な意味を聞いている。」さらに、ハーンの文を引き、 「英国の詩人たちは鳥について、特に鳴く鳥の詩をたくさん書いているが、昆虫、すなわち鳴く虫という主題で書いた詩はきわめて少ない。」 「きわめて洗練された、そして芸術を愛する国民の美的生活のなかで、この鳴く虫たちが占める位置は、西洋の文明において鶫(つぐみ)、 ムネアカヒワ、ナイチンゲールおよびカナリアが占めている、それにも劣らぬほど重要な、あるいはそれ以上のものであるということを、 わかってもらうのは容易ではあるまい。」ということを改めて確認し、彼我の違いは、「それぞれの風土において、 実際に最も美しい〈生物の音楽〉であるからだ。」と結論する。

* なかなか独創的な推論が展開されており、テントウムシの唄の発見について書くために、この論文を書いたのか、と思うほど 「目からウロコ」でした。
※池田広明「マザー・グースに現れる動物名」『神奈川工科大学研究報告 A 人文社会科学編』13号(1989.3)。 マザー・グースの唄に出てくる昆虫を含む動物の一覧表があり、虫が少ない理由についてもミルワードの見解を紹介。 夏目康子「『ミス・マフェット』−『グロテスク』対『イノセンス』の構図−」『不思議の国のマザーグース』(柏書房、2003)。 単行本の中の一節ですが、主にイラストの時代による変遷を通し、クモとミス・マフェットの関係についての人々の意識の変化を 考察しています。

(会報No.171. 2007.5 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第七回」より)


◎鈴木紘治「マザー・グースにおける鳥」(『成蹊大学経済学部論集』29巻1号、1998.10)

論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   前号で「マザー・グースにおける昆虫」を論じた著者である。マザー・グースに登場する鳥は、 大人向けの詩に登場する鳥とは異なっている、と論を興す。声が美しいナイチンゲールや姿の美しいカワセミも出てこない。出てくるのは、 子どもたちが身近に目にする<自然の中の鳥>や<身近に飼われている鳥>なのだ。また、扱われ方も、童謡では、 その鳥の基本的事実の伝達が中心となる。名前にまつわる一連のイメージの伝達は、辞書的な意味だけでなく、 暗示的な意味を子どもたちに教え、結果として「『名前のイメージ』の固定化に一役買っている」と著者は言う。

   「野生の鳥」では、ロビン、カササギ、カッコウ、ヒバリ、クロウタドリ、スズメ、カラス、ハシボソガラス、 フクロウの唄を紹介している。ロビンは聖なる鳥だが、カササギは凶鳥である。「おそらく、カササギのけたたましい、 やや不快な鳴き声が嘲っているように」聞こえるせいだろう、と著者は推測する。だから、カササギに飛び去っておくれ、という唄がある。 しかし、尾を立てれば、凶は吉に転ずるとも唄われる。カササギの占いは各地に多数あり、ハリウェルの、カササギの迷信は 広く行き渡っているが地方による差が大きい、という指摘を紹介している。

   「家禽」では、ニワトリ、カモ、アヒルの3種が扱われている。「Here sits the London Mayor」 で始まる子どもの顔遊びの唄がある。額から始まり、右の頬で「cookadoodle(雄鶏)」、左の頬で「hen(雌鶏)」、鼻の頭で「chickens」 が出てくる。一見、無邪気な子どもをあやす唄に見えるが、口の所の「rum in(乱入)」、最後の「chopper(首切り人)」などから、 何か歴史的な重大事件が隠されている、と著者は見る。その事件とは、1381年にケントの小作人を束ねて農民蜂起を起こし、 ロンドンに侵入して各所を襲撃したり、時の大蔵卿の首をはねたりした事件の首謀者・ウォット・タイラーをロンドン市長ウォルワースが 殺した、というものである。「cookadoodle」はタイラー、「London Mayor」はウォルワースという解釈である。

   最後に、「クリスマスの12日」を取り上げる。5日目を除く、1〜7日目で鳥が登場する。著者の仮説では、5日目の 「gold rings」も元は「gold eggs」だったのではないか、とされる。続く6日目が「卵を抱く鵞鳥」で、鵞鳥が「金の卵」 を生む伝説が広く伝わっているのが推測の根拠である。また、登場する鳥はすべて「食用の鳥」である、と指摘する。現在では あまり食べないが、かつては白鳥も食べたらしい。また、『British Cooking』という料理の本の冒頭にもこの唄が掲げられている。 さらに、4日目の「colly bird」は、意味がわからないため、多くの翻訳で「すすけた小鳥」などとされているが、 これはクロウタドリである、と断定する。ライトの『英語方言辞典』の「coll(e)y」の項に、グロスター、サマセット、 デヴォン地方の方言として「The blackbird」とあり、用例としてこの唄が引用されているという。「colly」の形容詞としての意味 「Black, dirty, sooty」から派生した用法らしい。

※鳥を扱ったその他の論文は、同じ著者の「マザー・グースの謎を解く―《誰が殺した、コック・ロビンを?》をめぐって―」 (『成蹊英語英文学研究』第1号、1997.3)や、藤野紀男「マザーグースの中の鳥たち」(『野鳥』685号、2005.5)、 森恭子・森省二「マザーグースに棲む鳥たち」(『野鳥』685号)など。
*最後の「クリスマスの12日」の唄についての指摘は、目からウロコでした。食用に鳥を贈ったこともですが、 「colly bird」にはずっと悩まされてきたためです。ワイルドスミス、ブリッグズ、ドゥンツェ、ボーラムの絵本を見ても クジャクや七面鳥や何かわからない鳥が描かれています。英米の人たちでも、もはやわからなくなっているのかもしれません。

(会報No.172. 2007.7 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第八回」より)


◎高木誠一郎 "A STUDY OF SCOTTISH NURSERY RHYMES (3)" 『東京家政学院大学紀要』第29号、平成元年9月発行。

 会員である高木誠一郎氏より紀要の抜き刷りが編集部宛送られてきました。「Englishに類似のrhymeが有るもの、 それが見あたらず、スコットランド独特なもの、いずれも興味深く思われます」と、但し書きがついていました。編集子が、 at randomにスコットランド英語の例を一つだけ拾います。

Dance tae yer daddy,
Ma bonnie laddie,
Dance tae yer daddy, ma bonnie lamb!
An ye'll get a fishie
In a little dishie,
Ye'll get a fishie, whan the boat comes hame.

 これは、次のような類似した唄があります。

Dance to your daddy,
My handsome boy,
Dance to your daddy, my handsome lamb!
You'll get a fish
In a little dish
You'll get a fish, when the boat comes home.

(会報No.17. 1989.11 より)


◎鶴見良次(成城短期大学講師)「鵞鳥おばさんとその鵞鳥についてイギリス伝承童謡とパントマイム−」

1806年12月29日に,ドウルリ−・レインの王立劇場で初演されたパントマイム "Harlequin and Mother Goose; or the Golden Egg"の中で,空飛ぶ鵞鳥おばさんが登場し,それ以後, 鵞鳥おばさんの伝承に大きな変化が起きたことが,論じられていて興味深い。(『英語青年』)

(会報No.30. 1990.12 より)


◎中澤紀子「英語圏の伝承童謡にみられる共通の型について「Little+人の名」で始まるマザー・グース−」 (『大東文化大学紀要 人文科学』第32号、1994.3)

   論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   いくつかの別々のマザー・グースの唄に、共通するストーリー展開がある。唄が伝承されていくうちに、 余分なものがそぎ落とされて、「ひな型」のようなものができてくる。それは、現在の言語文化の原点、 基礎を形作る一要素になっているものだ、と著者は問題提起する。

   具体的には、まず、「Little Jack Horner」と「Little Miss Muffet」を取り上げ、同じように「Little+人の名」 で始まる唄をみていくことで背後に隠れているひな型をあぶり出していく。

   まず、この二つの唄は、「小さい〜ちゃんがすわって食べていると」という場面設定が共通である。「Miss Muffet」 の方のその後のストーリー展開は、「クモが出てきて驚いて逃げる」という形。

   「Little Mary Ester」と「Little Miss Mopsy」も全く同じ展開である。次に「Little Poll Parrot」の唄をあげ、 クモの代わりにネズミが出てきて、主人公が逃げる代わりに、食べている物をさらっていく。最後が違うが、「away」 という表現が同じである点を指摘する。

   「Little Jack Horner」の方は、この唄の原型と思われるものが1725年のバラッドに引用されている、 というオーピーの指摘をひく。それによれば、「Jacky Horner」が「chimney-corner」にすわって「a christmas-Pie」を食べていて、 親指でプラムを引っ張り出す、というストーリー展開である。「Little」は付いていない。1794年と1810年の童謡集では、 「Little Jack Horner」で始まり、「what a good boy am I」で終わる現在の形とほぼ同じになる。

   この二つの唄は、互いに影響し合って、同じ形に収束しようとしているのではないか、と著者は見ている。 押韻の形もaabccbである。

   さらに、「Little General Monk」と「Little Miss Flinders」を取り上げる。前者は「(トランク)にすわって(パン) を食べていた」という場面設定が同じである。そこへ「焼けた石炭が落ちてきて」…「死んじゃった」とストーリー展開する。 「予期せぬもの」がやって来て、「その場にいなくなる」点が共通している。後者は、「小さい〜ちゃんがすわって」までが共通で、 「Eating」の所が「Warming」に変わっている。しかし、「すわって何かをしていると予期せぬものがやって来て悪いことが起こる」 とまとめられる。しかも、「服をこがす火のイメージ」を新たな共通項として見ることができる。

   まとめとして、オーピーの「Miss Muffet」の解説から、これらの唄に共通する型として 「人がすわって何かを待っていると、何か重要なことが到来する」、そしてその起源はイギリスの異教時代にさかのぼる、 という推察を紹介する。著者の導き出した型によれば、「人がすわって何かをしていると、予期せぬものがやってきたり、 火がおそってきて悪いことが起こる」というのが何かを暗示しているのかは、さらに探っていきたい、としている。

   最後に、現代の変形として、アーノルド・ローベルの1986年の絵本に出ている「Little Miss Tuckett」の唄、 及びオーピーの『Book』に出ているパロディーを紹介する。前者は、クモの代わりにバッタが出てくるが、女の子は「Go away」 と追い払う。後者は、「Little Jack Horner」が隅っこで「curds and whey」を食べているとクモが出てきて、お皿がスプーンと 「ran away」というもの。これらの唄が成り立つのは、「Little+人の名」で始まり、「And … away」に至る共通の型が 認識されているからこそである、と著者は言う。そして、特定の型に基づいて、ある一定のバリエーションが可能になるのは、 伝承童謡に限ったことではなく、さまざまな言語現象に普遍的にみられることである、と結んでいる。

  *初めてこの論文を読んだときには、このような論点もあるのだなあ、と感心しました。この論文のように、 構文を扱ったものは今のところ、私には見あたりません。

(会報No.169. 2007.1 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第六回」より)


◎西田圀夫「『まざあ・ぐうす』の誤訳」(『北陸大学紀要』第9号、北陸大学、1985年12月)

論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   著者は冒頭で、白秋がこの『まざあ・ぐうす』の「巻末に」で「うっかり為たために飛んでも無い間違を 為た事があるかも知れない。さうした條々が若し有ればどうか御教示にあづかり度くお願ひする」と書きながら、 原詩が掲載されていないので「間違」を指摘しようがないことを述べる。翻訳の場合、出典や原文を掲げることは 原作者に対する礼節だけでなく、読者に対する気配りでもある。ところが、「はしがき」でも英国童謡の翻訳業について 「日本ではこの私のが初めてです」という一文が、厳密には「単行本としてまとめて発行するのは」という意味では正しいが、 同時代の竹久夢二の訳業に全く触れず、全ての唄が本邦初訳であるかのような印象を与えることに筆者は疑念を呈する。 これらの点から全訳篇を点検しようと思い立ったと動機を明かす。

   翻訳の点検に際し、白秋訳の出典は、アルスから大正10年12月刊行の『まざあ・ぐうす』初版、原詩として参照したのは、 オーピー編『Dictionary』(1983)、オーピーのパフィン版(1983)、ベアリングールド編『The Annotated Mother Goose』(1967)、 宮川幸久編『A Handbook of Nursery Rhymes』(1985)の4点。いずれにも見いだせないときは、角川版の平野氏推定のものを使用。 白秋の「誤訳」に対する標準訳は、竹友藻風、吉竹迪夫、松元亨、谷川俊太郎の翻訳・解説書より引用(各訳者・著者の出典は割愛)。

   著者は「誤訳」および「原作への気配り不足による」「不適切な訳」も合わせて掲げている。以下、誤訳紹介の凡例。

○「白秋の付けた題」「白秋の誤訳または不適切な訳(推定原詩)」「標準訳(訳者名)」*筆者の注釈。なお、分量の都合上、57例中10例を、 引用を多少略して紹介する。

○「駒鳥のお葬式」「私が見つけた、その死骸見つけた(I saw him die.)」「あたしがみたわ 臨終を(吉竹)」
○「文なし」「それで、振り向いたが、もう誰も見えなんだ(And never looked behind him.)」 「あとふりむかず すたこらさっさ(吉竹)」
○「とことこ床屋さん」「フンとお鼻で御挨拶(Give the barber a pinch of snuff.)」 「とこやさんに かぎたばこひとつまみやりな(谷川)」
○「お籠の婆さん」「何處へ行くのか、訊かうにも訊けず(Where she was going I couldn't ask it)」 「そのゆきさきを きかずにゃおれず(吉竹)」
○「南瓜つ食ひ」「ペエタアさん(Peter)」「ピーター(谷川)」*「Peterとeaterは押韻」
○「はしっこいヂヤツク」「ヂヤツクが飛び越した(Jack jump over / The candle stick.)」「ジャックよ、ローソク立てをとびこえなさい。(松本)」*命令形
○「お婆さんと息子」「ヂエリイは首くくつた。(Jerry was hung)」「ジェリはくびられ(竹友)」
○「母鵞鳥の歌」「その子まづまづお人よし(A plain-looking lad)」「まずい器量の男の子(竹友)」
○「ヂヤック・スプラットと」「爺さは食べても痩せこけだ(Jack Sprat could no fat)」 「ジャック・スプラット、脂肪(あぶら)がきらい(竹友)」*「fat」の訳が不明確。
○「お山の大将」「見ろやい、ひと飛び、俺や此処だ。(Here am I, Little Jumping Joan;)」 「まかりでたのは しりがるジョーン(谷川)」*原詩は娘が主人公で、ひわいな意味あり。

   この他、ありうる訳として不問に付したものもあり、そのうち一点紹介する。
○「てんたう虫」「みんな子供は焼け死んだ(your children all gone)」*殆どの訳者は「逃げた」と訳している。

   また、明らかな誤訳でも後の版で訂正されたものは不問にし、「天竺鼠は」など、 原詩を特定できずに点検不能だったものもあるそうだ。

   筆者は最後に、言葉の魔術師とも言われた白秋がなぜ、このように多くの「誤訳」「不適切な訳」を多数残したのか、 という点について、次のように推測している。単行本『まざあ・ぐうす』に掲載された131篇のうち、既発表分が30数篇、 残り90篇以上が新たに訳し下ろしたもの。大正10年の白秋の活動を見れば、かなりのハードスケージュールだったと思われる。そのため、 訳詩の「気配り不足」の原因を「拙速」と結論している。「装丁その他造本の豪華さに比べて、内容に意外と誤りが目立つのは惜しい」 と結んでいる。

*先の本会研究誌『マザーグース研究』第7号<北原白秋の『まざあ・ぐうす』特集>を読んで思い出したのが、だいぶ前に読んだ この論文である。白秋の研究をしている方には、よく知られているものかもしれないが、英語文法に詳しくない身としては勉強になった。 紹介できなかったが、「付記」の「荊棘(いばら)のかげに」の原詩特定の苦労話も興味深い。
※『まざあ・ぐうす』の白秋訳に関する他の論文:水島裕雅著「訳詩論-3-北原白秋と「まざあ・ぐうす」と童謡」 『地域文化研究』第8号(広島大学総合科学部、1982)

(会報No.165. 200.12 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第三回」より)


◎平野敬一「マザー・グース語彙の特性」(寺澤芳雄・竹林滋編『英語語彙の諸相』研究社出版、1988.3所収)

   今回は、雑誌・紀要掲載論文ではなく、単行本に収録されているものを紹介します。論文の内容紹介に続く、 「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   いわゆるマザー・グースの唄は、幼児向けのものなのだから、言葉も幼稚で易しいはず、という考えは、 マザー・グース「最大の誤解」のひとつかもしれない、と説き起こす。英語入門の素材に使われることも多いが、 「マザー・グースの英語」=「入門期英語」という図式は簡単には成り立たない。何百という伝承されてきた唄の中には、 「一筋縄でいかない、いくら付き合っても掴みどころがない」唄もかなりの割合で存在する。その理由を、具体例に即して明らかにする。

   まず「Old woman, old woman, / Shall we go a-shearing?」を取り上げる。谷川俊太郎訳 「ばあさんや ばあさんや くさをかりにいこうかね?」が付され、「shearはここでは『草(あるいは麦)を刈る』 という意味の北イングランド方言で、一部で誤って注解されているように『羊の毛を刈る』ことではあるまい。」と続く。 (鈴木註・実は、谷川訳も草思社版では、「ようもうかりにいこうかね?」という誤訳である。拙論「谷川俊太郎のマザー・グース翻訳比較」 『マザーグース研究』第7号所収p.63参照)さらに「go a 〜ing」も現代英語の用法ではない。このような方言的用法、 古い用法が含まれたままの唄を、「英米の童謡集は、なんの注釈もなしに、平気で子どもにぶつける」と著者はいささかあきれ気味である。

   これらが残されている理由として、(1)ライムの要請、(2)ことばや内容の古さ、(3)方言的用法、(4)文学的修辞、 (5)その他特異な用法を挙げる。

   意味のないライムはあり得るが、押韻しないライムは存在しない。ライムの要請が主で意味が従の例として、 「Little Miss Muffet」を挙げる。「tuffet」は「Muffet」 と押韻するために登場した造語であり、「Little Mary Ester」の「tester」 も同じ。

   オーピーによれば、マザー・グースの唄の半分は200年以上経っている。既に言葉の意味するもの自体が消滅した例として、 「oyster girl」「groat」「warming pan」、意味するものが今と違う、ルーシー・ロケットの失くす「pocket」等80例を列挙。

   さらに方言的用法こそ、マザー・グースの英語の特色だと著者は言う。ネイティブ・スピーカーですら、 標準英語の語感で見当違いの注釈を付けていることが多いという。経験上、『OED』より『EDD』の方が「はるかに役に立つ」と断言する。 そもそもマザー・グースの唄の多くが限られた地方に伝承されてきたものなので、その地域の方言的痕跡が残っている、というわけだ。 「Cushy cow, bonny」の唄の「cushy」は牛の幼児語、「bonny」は美しいの北方方言。この後の行に出てくる「tee」は、『OED』と『EDD』 には「搾乳の間、牛をつないでおく馬毛の綱」という意味が出ているが、普通の辞書には出ていないのに、童謡集では『ODNR』 とベアリングールドの『AMG』くらいしか注記していない。また、「Little Tommy Tittlemouse」は方言の「tittymouse(シジュウカラ)」 とつながるし、 「Old Mother Niddity Nod」は愚か者を意味する方言「niddletynot」を踏まえているし、「Old Father Baldbate」 「Nauty Pauty Jack-a-Dandy」の名前も『EDD』によれば、それぞれ「はげ頭」「うぬぼれ男」という方言である。シーソー遊びの唄 「Titty cum tawtay」も無意味なかけ声ではなく、シーソーの方言に「titter-cum-totter」「titticumtawta」の形があるし、 「Grandfa' Grig」は、イングランド南西部の方言でダンゴムシのことで、子どもたちはこの虫を捕まえるとこの唄を唱えて虫が丸まるのを 促したという。『ODNR』他の童謡集は、これらの情報を与えてくれない、と著者は腹立たしげである。

   その他の用法としては、マザー・グースは韻文なので、詩語、雅語、文語が含まれている場合がある。 「Up hill and down dale」の「dale(=valley)」、「Goosey, goosey, gander, / Who stands yonder」の「yonder」等11例を示す。 また逆に口語的、卑語的な用法も見られる。「Put on the pot, / Says Greedy-gut」では「greedy-guts」は卑語的用法で「大食漢」 を意味する等10例を挙げる。

   示した事例は各用法のほんの一画で、この他にも、「All on a market day」や「all of a row」など頻出する 「all」の用法も現代英語では見られない特異な用法という。いずれにしろ、「幼児向け英語」だから易しい、というのは 「無知と偏見に基づく誤解」であり、マザー・グースの英語の究明があまりされてこなかったのは、この誤解と関係がある。 現在のマザー・グース研究の停滞を打ち破るには、多様性と多層性に細かく目配りした用語集が必要だ、と結んでいる。

*この論文を見つけたときは、平野氏がわかっている範囲でいいから、一覧表を出してほしいと思いました。勉強会で苦しんだ 「辞書にない語」は、この次から『EDD』を引いてみよう、とも心に誓いましたが、なかなかその機会はありません。実は、 この論文を読んで「Old woman, old woman」の「shearing」の谷川訳は「ようもう」だったはずだが? と思った所から、 先の『マザーグース研究』第7号の谷川訳比較も始まったのでした。

※類似の内容のものとしては、同じく平野敬一「マザー・グースの英語」(『児童文学とその英語』多田幸蔵監修、谷本誠剛編、 大修館書店、1988.3 所収)があります。これも単行本に収録された論文です。こちらの方の執筆が古く、今回紹介したものは、 これを敷衍したものである、という断り書きがあるように、一部内容が重複しています。

(会報No.173. 2007.9 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第九回」より)


◎平野敬一「竹久夢二の『歌時計』とマザ−グ−ス

平野敬一氏が,増進堂発行の『高校英語教育・だいあろ−ぐ』No.13(1990年6月)の巻頭言に,上記のような文を寄稿している。 内容は,大正8年に出版された『歌時計』に,マザ−グ−スの訳詩が少なくとも20編は,含まれていることを紹介。

(会報No.26. 1990.8 より)


◎平野美津子「マザー・グースとアメリカの子供」『常葉学園短期大学紀要』第22号所収

第17回全国英語教育学会,香川研究大会における口頭発表をもとに論文にしたもの。アメリカ・マンガの "The Family Circus"に登場したマザ−グ−スを通して,子供たちの 日常生活をかいまみている。

(会報No.42. 1991.12 より)


◎ひろたまさき「竹久夢二とマザーグース」(『待兼山論叢 日本学篇』25号、大阪大学文学部、1991)

 前回、北原白秋を扱った論文を紹介しましたので、今回は竹久夢二を扱った論文を紹介します。論文の内容紹介に続く、 「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   日本にマザー・グースを「本格的に紹介した」のは北原白秋が最初だが、竹久夢二の方が早かったと指摘されている、 と著者は口火を切る。早いのは、アン・ヘリングの『あんさんぶる』1973年10月号[鈴木註・実際には通巻80号(1973.7) 「英語わらべ唄と竹久夢二」]で、森一の「竹久夢二とマザーグース」『東京新聞』1985年1月19日夕刊と、藤野紀男 「マザーグース夢二が初訳」『日本経済新聞』1985年7月9日が続けて報告したと指摘している。

   夢二がなかなか認識されなかった原因のひとつに、「訳」と記さなかったことがあるが、なぜ記さなかったのか。 著者は、藤野が指摘する「奔放な意訳」の例として、「There was an old woman lived under a hill」の谷川訳、白秋訳と夢二訳 「春や昔」を比較する。[/は改行]
「三国峠の掛茶屋に/お婆さんが住んでゐた。/かき餅、葛餅、桜餅、/峠名代の力餅。/江戸は吉原 小紫/お職を張ったといふ話。 /今はどうしてゐるぢゃら。」
   この訳を著者は「谷川や白秋とは全く異なるイメージ、まさに奔放な意訳、というよりも原詩にヒントをえて 夢二の想像力が展開したところの、パロディーというよりも彼の創作とみなしてよい作品」「原詩の持つ素朴なイメージとナンセンスのもつ ユーモアはなくなり、それに代わってきわめて具体的な日本の伝統的(江戸時代的)なイメージが展開し、そこに抒情性が生じている」 とする。また、「白秋が比較的に韻律から自由であるのに比べて、夢二は伝統的な七・五調の様式を守っている」とも続け、 さらに「六ペンス」「パンとチーズ」など西洋的な語が出てくる詩にも、日本人の着物姿の挿絵を添えていると指摘する。この姿勢は、 「すなわち夢二のマザーグースの翻訳は、日本的なイメージと日本的伝統的な韻律のもとに、日本的な抒情の世界を描き出す作業と なっている」と特徴づけられる。

   著者は、夢二の「英語力は早稲田実業学校で学んだ程度」だったので、白秋以上に「詩の翻訳に自信がもてたとは 思えない」とし、「夢二がはじめから正確な翻訳を志向しなかった理由はその辺にあったであろう」と推測する。

   夢二の最も早いマザー・グース訳は1910(明治43)年だが、ちょうど1910年に5冊、1911年に6冊と本を出していた時期 である。著者は、この「精力的な活動のために彼は様々の素材を求め消化していったのであって、マザーグースもその一つ」 だったと位置づける。

   最後に、マザーグースにはナンセンス唄も多いが、谷川俊太郎や白秋は原詩を尊重して訳したのに対し、 夢二は冒頭に紹介した「春や昔」にも見る通り、「まとまった情景を与えてナンセンス的なものをなくしてしまっている」ことを指摘する。 結局、夢二は白秋に先立って訳しはしたが、「それはマザーグースの世界を紹介したというよりも、マザーグースを触媒として 夢二的世界を描くための翻案であった」と結論している。

*この論文を読んで、『初版本複刻 竹久夢二全集』(ほるぷ出版、第1期29巻、第2期28巻、1985)の中のマザー・グースを コピーしきれなかったことがわかりました。竹久夢二とマザー・グースについての論文は多数ありますが、その一部を掲げます。
※藤野紀男「竹久夢二とマザー・グースの訳業」『英学史研究』17号(1984)、滝沢典子「竹久夢二と児童文学−童謡を中心に-2-マザー・ グースの訳出」『学苑』602号(1990)、平野敬一「竹久夢二の『歌時計』とマザーグース」『高校英語教育・だいあろーぐ』13号(1990)、 長瀬恵美、長瀬慶来「Mother Goose and Yumeji Takehisa -- A Database for Comparative Literarry Analysisマザー・ グースと竹久夢二−比較文学的分析のためのデータベース」『就実論叢 人文篇』22号その1(1992)、 平辰彦「日本における『マザーグース』受容の系譜--竹久夢二と北原白秋を中心に」『秋田経済法科大学経済学部紀要』34号(2001)、 田中妙子「竹久夢二の孤独-英国伝承童謡を通して」『東京純心女子大学紀要』6号(2002)、田中妙子「英国伝承童謡が夢二に与えたもの」 『日本歌謡研究』42号(2002)

(会報No.166. 2006.7 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第四回」より)


◎藤野紀男「マザ−グ−スの中のオノマトピア

『時事英語研究』1991年12月号に寄稿。動物の鳴き声の例,人間の発する声の例,無生物が出す音の例, などをマザ−グ−スからとっている。

(会報No.42. 1991.12 より)


◎松村美佐子「マザーグース研究 I」(『東海大学短期大学部生活科学研究所所報』1, 1988.3)

   【この論文は、内容がタイトルにもサブタイトルにも現われていないので、興味がありました。昨年のマザーグース研究会 第8回全国大会(2004.12)での松村有美さんの発表「『オレンジとレモン』の唄の伝承の系譜」で触れられて、 このマザー・グースの唄に関する論文であることがわかったので、さっそく国会図書館から取り寄せました。】 論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   17〜18世紀イギリスの上流階級の間で、オレンジの温室栽培がが一種のステータス・シンボルとして流行したが、 専ら観賞用だったという点から説き起こす。19世紀後半になって、安価な食用果物としてのオレンジが、「オレンジ娘」 と呼ばれる売り子によって、庶民に人気を博した。("レモン"1個6ペンスに対し、"オレンジ"は3個で1ペニー。)

   次に、子供の遊び唄としての「オレンジとレモン」が17世紀半ばに文献に登場するが、この種の遊びは 16世紀頃からあったと指摘。さらに一連ごとに、登場する教会の立地を解説。セント・クレメント教会については、シティの中にある教会と、 ストランドのセント・クレメント・デインにある教会の二つが考えられる。前者は、地中海からの柑橘類が荷揚げされる 船着き場のそばにある。後者は、「オレンジとレモン」の唄を奏でる鐘があり、毎年3月下旬に「オレンジとレモンの日」を祝っているが、 この行事は1920年に始まった新しいもの。

   後者の教会に、「オレンジとレモン」の唄を奏でる鐘が取りつけられた経緯に、イギリスの児童文学者ファージョンが 書いた「子供たちの鐘」という詩があったこと、船から荷揚げされたオレンジとレモンが通行料として、セント・クレメント法学院に 支払われたこと、オーウェルの『1984年』の中で、「オレンジとレモン」の唄が出てくる場面など複数のエピソードを紹介。

   教会と金の貸借についてのやりとりがなぜ結びついたのか。第二次世界大戦で多くの教会が失われたとき、 復興の中心になったのは、ロンドンの呼び売り商人たちだった。20世紀でさえ、人々と教会にこのような結びつきがある。 唄を支えるこの現実が単純化されて「教会」と「金」だけが残った、と著者は推測する。

*この論文で、「セント・クレメント教会」の本家・元祖争い(?)は、船着き場に近いシティ内にある方が信憑性が高い、と感じた。 また、ファージョンの詩「子供たちの鐘」とセント・クレメント・デイン教会の復興の関係の指摘など、日本では知られていなかったように 思う。
※この唄に関する他の論文:会員の夏目康子さんの「“Oranges and lemons”の唄の系譜」(『駒沢女子短期大学研究紀要』31, 1998)

(会報No.162. 2005.11 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第一回」より)


◎松村美佐子「マザーグース研究 II」『東海大学短期大学部生活研究所・所報』No.2, 1989所収。

 「序」に、こうある。「聖書」が精神を高める縦軸であるとすれば、「シェイクスピア」は人間社会を謳歌する横軸であった。 そしてその合間からこぼれ落ちて大地に根付き、芽を出し、花開いていったのが、「ナーサリー・ライムズ」であろう。否むしろ、 「ナーサリー・ライムズ」が育つ土壌があらばこそ、「聖書」や「シェイクスピア」が豊かな言語文化の花を咲かせ、 実を結んでいったのかも知れない。

 第二章で、「月の中の男」のマザーグースを例に出し、これが旧約聖書の民話と関係があり、またシェイクスピアが、 「嵐」(Tempest)の中で引用していることを述べている。第三章は、「17世紀の英国」第四章は、「Sir Isaac Newton」第五章は、 「ノリッジにいた人」第六章は、「ノリッジ・ケンブリッジ・ロンドン」と、英国の自然科学史を追っている。 (吉野直哉氏より寄贈。)

(会報No.16. 1989.10 より)

◎松村美佐子「マザーグース研究 II」(『東海大学短期大学部生活科学研究所所報』 2, 1989.3)

論文の内容紹介に続く、「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   マザー・グースの唄「月の中の男」は、従来、旧約聖書に基づいたエイケン・ドラムの民話と結びつけられてきた。 日曜日(安息日で労働禁止)に薪拾いに行った老人が飼い犬とともに罰せられて「毎日が月曜日」の月に閉じこめられた、というものである。

   しかし実は、唄が成立した17世紀のイギリスに実在した人物を指しているのではないか、という衝撃的な指摘が続く。

   その人物はアイザック・ニュートンである、というのが著者の結論である。1665年にケンブリッジ大学を卒業し、 教授となったニュートンは、大学構内に住んでいた。「万有引力の発見」は、「月から転げ落ちた」のであり、落ちた所がケンブリッジ。 ニュートンは、ノリッジの医者トーマス・ブラウン卿を父とも仰いでいたが、卿の死後、ノリッジに赴くことなく、ロンドン (ケンブリッジの南)に引っ越し、王立協会の会長として、学者たちと「舌をも焦がす」論争に明け暮れた。

*この結論のみを紹介すると、いかにもこじつけのようだが、著者の丹念なニュートンの足跡の跡付けをたどっていくと、「そうに違いない」と思えてくる。著者の手法は、前号の「オレンジとレモン」の唄でもそうだが、当時の書簡や文献を駆使した社会史的なアプローチである。この新説を現代のイギリス人に聞かせたら、どう反応するだろうか、興味深い。

(会報No.162. 2005.11 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第一回」より)


◎松村美佐子「マザーグース研究 III」(『東海大学短期大学部生活科学研究所所報』第3号)

 英国の紋章に現れているライオンとユニコーン。この二つの動物が、それぞれイングランドとスコットランドの象徴であるのは 周知の通り。二つの国がどんな歴史で統一されていったか、王室の歴史を探る論文です。 (資料提供は、吉野直哉氏から。)

(会報No.24. 1990.6 より)


◎鷲津名都江「マザーグースと日本 −幕末〜第一次マザーグース・ブームを中心として−」 (児童文学翻訳大事典編集委員会編『図説児童文学翻訳大事典』第4巻【翻訳児童文学研究】、大空社・ナダ出版センター共同刊行、 2007.6 所収)

   今回は、雑誌・紀要掲載論文ではなく、単行本に収録されているものを紹介します。論文の内容紹介に続く、 「*」以下の文は、私の感想です。「※」は、似た内容、又は同じ唄を扱った、他の論文です。

   初めに著者は、「日本における本格的なマザーグースの翻訳本」として、白秋の『まざあ・ぐうす』(アルス、1921) をあげる。それ以降、西条八十、水谷まさる、松原至大、竹友藻風らが次々と翻訳を発表し、「第一次マザーグース・ブーム」 があったことを紹介。しかし、「ブーム」が起こるには、その下地があったはずだとして、白秋以前の受容に目を向ける。

   まず明治25(1892)年出版『幼稚園唱歌』掲載の、「Twinkle, twinkle, little star」の訳である「きらきら」を紹介し、 訳者は明記されていないものの、校閲者の一人の松山高吉だろうと推定する。次に、竹久夢二が明治43(1910)年の『さよなら』 などいくつかの画文集で、「マザーグース」と明記せず訳したり、翻案したりしていることを紹介。さらに大正8(1919)年、 土岐善麿が出したローマ字詩集『Otogiuta』にも、「Karappo no kame」と題した「Humpty Dumpty」の訳ほか数篇があることを紹介する。 また、雑誌『おとぎの世界』の大正8(1919)年6〜8、11月号に1篇ずつ無記名の訳が出ており、訳者は、雑誌の編集者、井上猛一(=岡本文弥) だろうという、高屋氏の指摘を紹介する。

   ここで著者は、川戸道昭氏の「明治のマザーグース」および「明治の『アリス』」という2論文により、 マザーグース受容史が20年以上遡ったことを改めて確認する。また、慶応3年に福沢諭吉が持ち帰った『ウィルソン・リーダー』第2巻には、 川戸氏が指摘した「キラキラ星」以外にも、実は2篇「A man of words」「I like little pussy」が文中に挿入の形で掲載されていることも 新たに指摘。

   さらに、現存する資料が少ないため、川戸氏が重視しなかった『サージェント・リーダー』が、 既に明治3年には使われていたという記述を発掘し、「キラキラ星」全文が掲載されていたこのリーダーが、明治初期に日本での 「キラキラ星」普及に果たした可能性は大きかったのではないか、と推測する。

   これらのリーダーの直訳本や独(ひとり)案内に掲載されている訳は、「訳詩」とは言えないようなものだが、 明治34年出版の『ニューナショナル第二読本独稽古:新式考案訳解』は、著者がネイティヴのアメリカ人、イーストレーキなので、 要を得た注釈が付いている、として「Little BoPeep」の部分を引用する。リーダーの本文は「ボーピープ」という羊が出てくる物語だが、 この名前は有名な子守唄から採ったもので、格別の意味なし、という注記と、元唄として掲載されている、会話体の「Little Bo Peep」 の珍しいバージョンを紹介する。

   また、著者は、これらのリーダーの直訳本や独案内において、「キラキラ星」の章だけ削除してあるものも多いこと、 大正時代でも英詩を教えない教師が多いことへの苦言が英語雑誌に見られることから、実際には、川戸氏が述べたような「原詩を暗誦し、 …原音の響きや押韻の妙も含めて…面白さの全体を理解する」形でマザーグースの受容が行われていたとは考えにくいとする。
   一方、少数の優秀な英語教師も存在した。『英語世界』『初等英語教育』『正則初等英語』などの初学者向け英語雑誌に、 的確な訳詩と遊び方や解説、ハーモニカ譜などが掲載されており、訳者は無記名ながら、当時の英語雑誌の編集に関わった 英語教師たちだろうと推論する。「小さなお星がぎーらぎら/全体お前は何物だ!(後略)」「猫が三味ひくチントンシャン(後略)」など、 「すでに漢文の読み下し文調を脱し、マザーグースをよく理解し、その楽しさを子どもたちが味わえるようにと工夫や意欲が とても感じられる訳詩になってい」ると賞賛する。

   川戸氏も高く評価する人物で、雑誌『英語の友』の編集者、長谷川康が訳した「キラキラ星」は、「ピーカ、ピーカ、 お星さま/あなたは一ッ体何ンでせう(後略)」というもので、著者は、夢二や白秋以前にこのようなリズム感のある訳に成功し、 メロディーにも乗る、と評価する。長谷川の「説明」からも意訳と直訳の兼ね合い、リズムを大切にした訳詩の姿勢がわかる、という。

   著者は最後に、長谷川康がいかにして英語を学んだか、どのような教師であったかを断片的な資料の端々から読み取り、 その「楽しげな授業風景が彷彿としてきて、できるものなら、マザーグースの授業を聴いてみたかった」と嘆息し、 さらなる長谷川康研究が待たれると結んでいる。

*鷲津さんが、川戸先生に対して堂々と論を張っているのに、感服しました。
※白秋以前のマザー・グース訳を扱った論文に次のものがあります。高屋一成「文弥と『おとぎの世界』とマザーグースと」 (『マザーグース研究』8、マザーグース学会、2008.3)および、同じく高屋氏の「『アリス』のマザーグースの初期翻訳− 『まざあ・ぐうす』以前のマザーグース訳を追って−」(『MISCHMASCH』7号、日本ルイス・キャロル協会、2004.12)

(会報No.182. 2009.3 鈴木直子「“マザー・グース”の論文を読む・第十一回」より)


◎鷲津 名都江「なぞなぞのナーサリー・ライム "Humpty Dumpty"」(『高校英語展望』1994.6、尚学図書)

   ハンプティ・ダンプティにまつわるエピソードを4頁にわたって楽しい読み物として書かれています。興味深いのは、グロスターとコルチェスターに残る話です。 それぞれの町を守る街壁の上に大砲が17世紀の昔に設置されており、それをハンプティ・ダンプティと呼んでいたというのです。 議会派の攻撃で破壊され、ハンプティ・ダンプティの唄のように元に戻ることはなかさてという記録が残っているそうです。
   イギリスでナーサリーライムを研究してきた成果を、今後も発表していただけることを期待します。

(会報No.72. 1994.6 より)


◎鷲津 名都江「英語学習におけるナーサリー・ライムの有効性を探る〜日本語と英語のリズムの違い」(『CAT』1994.12、アルク)

   英語のリズムを身につける良い方法がマザーグースというので、大学でナーサリーライムを取り入れている鷲津名津江さん(目白学園女子短期大学助教授)にインタビューしたもの。

(会報No.77. 1994.11 より)


◎鷲津 名都江「マザーグースの魅力 −メロディ、ライム、そしてリズム」(『英詩評論』27号 2011.6、中国四国イギリス・ロマン派学会)

   昨年(※2010年)6月のシンポジウムで、「音で魅せるマザーグース」とのテーマで、鷲津名津江先生が、 吉本和弘、志鷹道明両先生とパネリストをつとめ、 あまり今まで研究されてこなかった曲のルーツやメロディの違いなどについて楽譜集等を比較検討した論文です。
(以下、会員の皆さんからの感想・コメントです。)

   :大変面白く一気に読ませていただきました。マザーグースの音の側面(メロディー、ライム)を文献を押さえながら、広範囲に論じておられ、大変な労作だと思いました。 歌詞やメロディーがイギリス、アイルランド、ヨーロッパ、アメリカと、帆船や蒸気船に乗って、伝わり、流布、干渉しながら現在に至っている姿は壮観といえます。
   特にミンストレル・ショーへの言及はとても興味深く思いました。大人の世界と子どもの世界がはやり歌を通じて影響しあっているのでしょう。
   日本のマザーグース学も歌詞やイラストの領域から音の世界へ広がってきたことを嬉しく思いました。いつか、音を交えてのお話をお聞きするチャンスがあればと願っています。

   :鷲津先生の「マザーグースの魅力 −メロディ、ライム、そしてリズム」、とても楽しく読了しました。
   私たちの歌っている「キラキラ星」のメロディーがフランス生まれなのは知っていましたが、ルメールの絵本に、違うメロディーが載っているのは知りませんでした!  この絵本は再刊本しか持っていないので、鷲津さんのご指摘の通り楽譜が出ていません。やはりちゃんとした古書を探さないと、という気持ちになりました。
   現在入手できるテープやCDにもそちらのメロディーのものがある、という点もたいへん興味深いご指摘です。 私たちも、日本で編集したのではない音源を注意深く調べてみれば、手元に発見できるかもしれません。ぜひ、聴いてみたいものです! 
   また、ダンス曲としての「ロンドン橋(Lady Lee)」と、遊び唄としての「ロンドン橋(My fair lady)」が存在するとの考証は、きっとその通りだろうと思います。 イギリスの人にも教えてあげたら、なんと言うでしょうか。

   :鷲津先生の論文を読んで、感動するとともに、私自身、またBaby's Operaと照らしあわせて、音が聞けたらと思いました。
   私としては、曲にあわせて弾こうと思ったところでした。

(会報No.196. 2011.7 より)




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