次には,我が国のわらべ唄を他国に通行しているそれと比較してみることとしよう。ハリウェルは,我国のそれと同様の唄が,
ドイツやスカンジナビアの子供たちによっても唱えられていることに気づいたとき,そうした唄の淵源の古さ深さにあらためて感銘を覚えたという。
ハリウェルの所見は,主として(*唄を介しての)北ヨーロッパの諸国との関係において向けられたものであったが,
同じことは中部および南ヨーロッパ諸国にもあてはまる。近年,わらべ唄の学術的な収集が,スカンジナヴィア,ドイツ,フランス,
イタリア,スペインなどでも刊行され,それがそれらの国々の特殊な地域にまで及ぶに到って,我々にも,
そうした他国のわらべ唄の児童間伝承を明確に把握することができるようになってきた(巻末参照)。
こうした収集を我が国のものとつきあわせてみると,時として驚くべき結果が得られることがある。たとえば,同じような構想を,
同じような形式の歌詞で表現したものなどはザラにあり,時にはさらに,まったく同じ固有名詞が
,同じような相関関係をもってあらわれることも珍しくはない。そして多くの場合,我が国では意味不明と思われていた事柄は,
諸外国の類例をともに考えることによって,はじめてその本来の意味合いが明確に得られるのである。
常識的に言っても,またわらべ唄というものが印刷物にされて広まるようになった時代を考えてみても,
これほど大量の唄が単なる翻訳であるということはまず考えられない。そこで残される推測は,
そうした唄は歌詞が原意をまだ保っていた時点で国から国へ移入されたものであるか,もしくは,
それぞれの国で(*偶然に)同じような思考の結果として生じたものであるか,のどちらかにならざるをえない。
このようなわらべ唄を,それぞれのもつ諸外国における類例の寡多によってえりわけてみると,
ある唄の古さを相対的に判断するための付加的な基準が得られることだろう。なぜなら,より原初的な概念が具現されている(*より古い)
唄ほど,地理的にもより広い分布を有しているはずだからである。
すでにこの本の中で論じてきたように,《ハッバードおばさん》や《三匹の盲鼠》などは,比較的新しい時代に成立した唄である。
また《マフェット嬢ちゃん》に類する唄などは,我が国の〈クッション・ダンス〉や〈サリー・ウォータース〉に起源する。*1
したがって,この種の唄には海外における平行例はまず存在しない。これにたいして,テントウ虫やかたつむり(snail)
に手向けられるような唄や,《ハンプティ・ダンプティ》に代表される「謎かけ唄」のたぐいでは,その数膨大にして,
かつ極めてよく似た平行例がヨーロッパ全域にわたって存在するのである。
古来より,多くの昆虫が太陽の運行と結びつけて考えられてきたが,「テントウ虫(ladybird)」は我々にとって,
そのなかの代表格といえるものである。この「太陽」と「虫」という関係の歴史は,古代エジプトの「ケペラ(kheper)」
―その卵を入れた玉を転がす習性を持つ,*2
一種のコガネ虫―に対する信仰にまでさかのぼる。その玉が天体の太陽に見たてられ,ケペラはその運行を司る慈しみ深き存在として尊ばれたのである。
そして「空を飛ぶ」能力を持つ甲虫,なかでも特に「テントウ虫」(学名 Coccinella septem punctata…*和名 ナナホシテントウ)は,
これと同じような象徴として重要視されてきた。たとえば,インドではこの虫を「インドラゴパス(Indragopas)」,
すなわち(*ヒンズー教の最高神である)「インドラ神(雷神)により護られたるもの」と呼んでいる。*3
また,ある伝説によれば,この虫はあまりに太陽のそばまで高く飛んだために,羽根を焦がして,地上に落ちたのだという。
(1)
これはギリシャ神話のダイダロスの息子イカロスの伝説と同様の発想である。イカロスの場合,その翼は自前の物でなくこしらえものであったが,
彼も太陽にあまり近く飛んだため,海へ落ちて溺れ死んだとされている。ちなみに古代ギリシャ人はこの神話に納得がゆかなかったらしく,
理の通る解釈として,イカロスを帆船の発明者であるとした説も見られる。すなわち彼は(*空を飛んで海に落ちて死んだのではなく),
ボートに初めて帆を取り付けた人物で,西を目指して舟出したが,波に流され「海に果てた」のだというのである。
我々がテントウ虫に手向ける唱えことばは,ふつう彼らをたんに飛びたたせるためのものであり,ほとんどの場合,その文句は,
火事で焼失のきわにある彼らの家(house)もしくは住まい(home)に帰れ,そして飛び立たなければ子供たちに破滅の危機が迫ろう,
という警告の言である。しかしいくつかの唄は,これを占いの文句としており,またある唄のように,天恵降臨の願文となっている例もある。
このテントウ虫の唄の文献初出は収集1744年,次のような唄である――
1 Ladybird,ladybird,fly away home, てんとむしむし お家へ帰れ
Your house is on fire,your children will burn. 燃えるお館 子供も焼ける
これには数多くのヴァリエーションが各地で流布しているが,だいたいまとめると次のようになろう――
2 Lady cow,lady cow,fly away home, べこべこむしむし 飛び帰れ
Your house is on fire,your children all roam. 家に火が出て 子供ら追われ
(1892,p.326)
3 Ladycow,ladycow,fly and be gone, べこむしべこむし 飛び帰れ
Your house is on fire,and your children at home. 燃えるお家に 子供ら中に
(1892,p.326 ハーレムシャー州 蘇北部)
4 Gowdenbug*4 ,gowdenbug,fly away home, ぽちぽちむしむし 飛び帰れ
Yahr house is bahnt dun, あんたのお家は焼け落ちて
And your children all gone. 子供らみんな都落ち
(N.& Q,・,55 サーフォーク州 英東部)
5 Ladybird,ladybird,eigh thy way home, てんとむし てんとむし 家帰れ
Thy house is on fire,thy children all roam, 家が火事だよ 子供ら逃げて
Except little Nan,who sits in her pan ちびすけナンだけ鍋の中
Weaving gold laces as fast as she can. いそぎ錦を編んでいた
(1892,p.326 ランカシャー州 英北西部)
6 Ladybird,ladybird,fly away home, てんとうむしむし 飛び帰れ
Your house is on fire,your children at home, お家が火事で 子供は中だ
They're all burnt but one,and that's little Ann, みんなまるやけ ちびすけアンが
And she has crept under the warming pan. もぉぐりこんだのそれ行火(アンカ)
(Rusherのトイ ・ブックスより)
7 Ladycow,ladycow,fly thy way home, べこむしべこむし 飛んでけ家に
Thy house is on fire,thy children all gone; 家に火が出て子供ら逃げて
All but one,that ligs under a stone, 一人が石の下じきに
Fly thee home,ladycow,ere it be gone. べこむし帰れ 助かるうちに
(1842,p.204 // *co p.158.No.299 英北部)
8 Ladycow,Ladycow,fly away home, べこむしべこむし 飛び帰れ
Thy house is on fire,thy children all gone; 火事で子供ら家追われ
All but one,and he is Tum, ひとりタムだけ他はるす
And he lies under the grindelstone. もぐりこんだの石の臼
(1892,p.327 シュロップシャー州 英中西部)
9 Dowdy cow,dowdy cow*5 ride away hame, べこむし べこむし 帰りなよ
Thy house is burnt,and thy bairns are ta'en; 火事だ 子供ら火の中よ
And if thou means to save thy bairns, 助けたいっていうのなら
Take thy wings and fly away. 羽根を広げて飛んでゆけ
(1892,p.327 ヨークシャー北部 英北東部)
10 Lady,Lady Landers,Lady,Lady Landers, てんとむし てんとむし
Take up your coats about your head, 上着をとってひっかぶり
And fly away to Flanders! 遠く天竺飛んでゆけ!
(1870,p.201 蘇格)*6
11 Fly,ladybird,fly! てんとむし 飛べ飛べ!
North,south,east,or west, 北に南に東へ西へ
Fly to the pretty girl that I love best. 好きなあの娘のもとへ飛べ
(1849,p.5)
12 King,king Golloway, とのさまむしむし
Up your wings and fly away, 羽根うちふりふり
Over land and over sea; 海も飛び越せ国も越せ
Tell me where my love can be. 様のゐどこを吾に示せ
(1870,p.201 キンカーデンシャー州 蘇中東部)
13 Ladycow,ladycow,fly from my hand, べこべこむしむし 手々にのせ
Tell me where my true love stands, 様のゐどこを吾に示せ
Up hill and down hill and by the sea-sand. 浜の砂の小山越せ
(1892,p.119)
14 Bishop,Bishop,Barnabee, バーナビーの坊さん坊さん
Tell me when my wedding will be. わたし嫁ぐ日 何時かしらん
If it be to-morrow day, さてもその日が明日なら
Ope your wings and fly away. 羽根をひろげて飛べとやら
(1892,p.119 サセックス州 英南東部)
15 Bishop,bishop,barnabee, 坊様坊様 バーナービが名前
Tell me when my wedding will be. 嫁ぎゆく日を示しませ
Fly to the east,fly to the west, あまつ駈けゆけ飛んでゆけ
Fly to them that I love best. 様をたづねて飛んでゆけ
(N.& Q,1st.S,No.9// I,p.132)
16 Burnie bee,burnie bee, 美女虫 美女虫
Say when will your wedding be. 何時わしゃ嫁ぐ
If it be to-morrow day, さてもその日が明日なら
Take your wings and fly away. 羽根をうちふり飛べとやら
(1849,p.3 ノーフォーク州 英東海岸)*
17 Bless you,bless you,bonnie bee, 神のご加護を美人虫
Say when will your wedding be. そこはなんどき嫁ぎゆき
If it be to-morrow day, さてもその日が明日なら
Take your wings and fly away. 羽根をひろげて飛ぶとやら
(M,p.253 脚註より)
18 God A'mighty's colly cow,fly up to heaven; 黒べこ虫よ 天国のぼれ
Carry up ten pound,and bring down eleven. 十両もって十一返せ
(1892,p.327 ハンプシャー州 英南海岸)
19 This ladyfly I take from the grass, そは乙女虫 草辺より
Whose spotted back might scarlet red surpass. 背なの赤丸何よりいとし
Fly ladybird,north,south,or east or west, 北へ南へ 東へ西へ
Fly where the man is found that I love best. 様をたづねて飛んでいけ
(Brandより引用,* M,p.417)
これらの唄を外国の例,たとえばマンハルトの採集した一群の唄例と比較してみると,ドイツ・ザクセン地方に流布している唄が,
もっとも我々のものに近しいということがわかる――
Himmelskühlein,flieg aus! 天駈け虫や 飛びなされ
Dein Haus brennt, おまえのお家に火がついた
Deine kinder weinen alle miteinander. (M,p.349) 子供らみんな泣き出した
マンハルトは,こうしたテントウ虫の唄は,太陽が「日没」という禍つどきを,速(ト)く,
また無事に越すことを祈るまじないの文句に起源するものであるとし,「家が火事」とは,すなわち日暮れてもえる西の空の夕焼けのことであると解釈した。
げんに東洋の国々では,沈みゆく太陽が翌朝無事戻ってくることを願い,祈りを捧げることが今なお行なわれてる。
テントウ虫は,英国においても海外においても様々な名称によって呼ばれている。我が国のわらべ唄では,
テントウ虫を牛や鳥や蜂になぞらえ,語頭に「レディ」を付けて呼ぶ,一方,ドイツの例にはこれを「メリー」にした(*lady,mary
ともに聖母マリアの意味がある)「マリエンケーファー(Marienk廓er=マリアのムシ=テントウ虫)」という言葉が見られる。
スウェーデンでは,テントウ虫を「聖母マリアの鍵担ぎ(Jungfru Marias Nyckelpiga)」と呼び,その説話として「天界の鍵束」
を失くした聖処女すなわちマリア様のため,世のすべての獣たちが探し回ったというお話しが伝えられている。
すなわちそれを見つけたのがテントウ虫で,彼は今なおその管理人であるというわけである。ここでいう「天界の鍵束」とは,
天の水門を開いた時に漏れる天の光明,すなわち「稲妻」のことと解釈されている。これは(*後代,聖母マリアにとってかわられた)
いにしえの太母神(mother divinities) が,天候を司り,雨をもたらし,大地を浄める存在とされていたためである。
こうした連関(*太母神―天候)は,スコットランドのわらべ唄でテントウ虫を呼ぶのに用いられている「ランダース(landers=降らすもの)」
とか「ローンドレス(laundress)」という言葉のなかにも遺されている(M,p.250 脚註参考)。
ポツダム(Potsdam 独中西部ベルリン東南)では――
Marienwömken flig furt, 聖母の虫よ 飛んでゆけ
Flig furt nach Engelland ! 天使の国へ飛んでゆけ
Engelland ist zugeschlossen, 天使の国は閉鎖中
Schlüsel davon abgebrochen. (M,p.347) だってお鍵が修理中
――という唄が歌われている。これによって「天界の鍵」と「天使の国」すなわち「生れ出でざる魂の郷」
(*前章参照),そしてこの虫の献ずる「聖母マリア」という概念は一つに結ばれた。
私達のうたうテントウ虫の唄は,迫りくるある種の危難――日没,もしくは(*死の国たる)西方に由来する――について言及したものが多い。
しかし,そこにはなぜか無事でいるものが一人いる。たとえば上述 No.5 の唄でいう「ちっちゃなナン(little Nan)」。
彼女は座って「金のレースを編んでいる」という。この金または絹の糸を紡ぐという行為はまた,天に座します母なる神のみしるしでもある。
(Gr,p.223/M,p.705) 他の唄で彼女は「アン(Ann)」とも呼ばれているが,この「ナン」もしくは「アン」は,
我国のテントウ虫の唄に類する,スイスやスワビアの唄にも出てきている。たとえばアルゴビエ(瑞北部 Aargau)では――
Goldchäber,flüg,uf,uf dine hoche Tanne, コガネ虫飛んだ 空の果て
Zue diner Muetter Anne. アン母様のところまで
Si git dir Chä und Brod, チーズにパンもらえるよ
's isch besser as der bitter Tod. (R,p.464) *7 死ぬことよりはよかろうよ
そしてスワビアではこう歌われている。
Sonnevöele flieg aus, あまてらむし とんでゆけ
Flieg in meiner Ahne Haus, アーネ.ハウス(御先祖様)の所まで
Bring mir Aepfel und Bire; リンゴにナシをとったなら
Komm bald wieder. (Me,p.24) すぐとってかえりな
我が国の唄にある「十ポンド もってのぼって十一返せ(carry up ten pounds,and bring down
eleven)」(No.18) というお願いなども,これに類するテントウ虫に対する天恵降臨の祈願なのである。
ある唄のなかでは,家にいて無事だった者を,「グリンデルストーン(grindelstone)」すなわち「ひき臼(grindstone)」
の下にもぐりこんだ「トム(Tom or Tum)」ということになっている。そこでこの「トム」という名前の者が出てくる昔話を分析してみると,
それが北欧の雷神「トール(Thor)」に関連し,唄にある「ひき臼」は「トールの鎚」に符号するものだということが判ってくる。
スカンジナヴィアの民間伝承にある「トーメルグーベ (Tommelgubbe)」,直訳すれば「トムぼうや」と呼ばれる家霊(*house-spirit
家霊・座敷童の類)は木曜日(Thursday),すなわちトール神に聖別された日に仕事をしようとすると腹をたてるという。
またトール神の鎚の名前,「ミョルニール(Mjölnir)」とは,「粉砕するもの」の意味であり(*「ひき臼」に通づる),一説に,
天上界が夏の間,この神はこれで氷を雪に打ち砕くのに忙しい*8
のだともいわれている。
『トム・ヒッカスリフト』(Tom Hickathrift もしくは Hickifric)という,古いおはなしの本がある。
(2)
これの主人公のトムには,トール神を連想させる特徴がよく残されている。たとえばトムは「昔ながらの藁のねどこに寝ている(*古風な),
母親と一緒に暮らしており,父親はいない。トール神もまた父親をもたず,ゴットモール(Godmor)と呼ばれる母親のみ
*9 である。
またトムは「大喰い」である。トールもまた同じ。トムは「大きな川の真ん中までどでかい鎚を放り投げることができた」というが,
(*神話で)トールも鎚を投げて距離を計ったことがある。そしてトムが「頼まれてビールを荷車で運ぶ」というくだりなどは,
トール神を言い表すにもっともふさわしい「飲んだくれ」という特徴を思い起こさせる。また物語のある版では,
トムは荷車の車輪に棒っ切れを突っ込んだものを武器にしているが,「トールの鎚」というのも,
じつは平らな石に穴をあけて棒をさしこんだものだといわれているのである。おなじく,トムはそのこん棒が折れたあと
「ふと目についた痩せっぽっちの,しかれど頑強なる粉屋」を振り回しているが,この「粉屋(miller)」こそは,
トールの鎚たる「ミョルニール」(*意味は打ち砕くもの,粉屋にも通づる)が混同されたものなのではないだろうか?
*10
次に,テントウ虫の唄をさらに違う角度からも分析してみよう。ザクセンには,次のような唄がある――
Flieg Käer,flieg,dein Vater ist im Krieg, 飛んでけ堅虫父サのいくさ場
Deine Mutter ist in den Stiefel gekroche, 母サはお靴の中こもり
Hat das linke Bein gebroche. (M,p.347) そいで左のアンヨを折った
この唄の「足を折った」母親,という表現は〈ベイビーランド〉の「びっこの母さん」や,
〈ハンカチ落とし〉の「噛まれた」人を思い起こさせる。また,「靴の中にもぐりこむ」という表現は,
我々の唄の一つに出てくるある女性,靴の中に住まい,数多くいる自分の子供たちを虐待している,かの女性の本質をひもとく糸口となろう。
さきに《ハッバードおばさん》にからんで引いたその唄例(*There is an old woman who liv'd in the shoe…第4章参)では,
子供たちはみな,いったん死んだふりをきめこんで,すぐ生き返った,となっていた。この発想は〈ベイビーランド〉に見られるそれ同様,
「赤ん坊(=生れ出でざる魂)」が再びこの世に生を受けるさまをあらわしているものなのではなかろうか。ちなみに,
この唄の文献上最も古いかたちは次のようなものである――
There was an old woman who lived in a shoe,
She had so many children,she didn't know what to do;
She gave them some broth without any bread,
She whipped all their bums and sent them to bed. (c.1783,p.52)
婆ちゃん住んでた靴の中
たくさん子がいて どうしたものか
スープばかりで パンすらやらず
したたかはたいて 寝床にやった
先にあげたテントウ虫の唄のなかには,これに恋占いに属する言葉をかけているものがあるが,スカンジナヴィア諸国にも,
これらときわめて近しい類例が見られる。たとえばスウェーデンではこう歌われている――
Jungfru Marias Nyckelpiga, マリア様の鍵担ぎ
Flyg öster,flyg vester, 東へ飛べよ 西へ飛べ
Flyg dit der bor din älskede. (1849,p.5) おまえの良い娘のもとへ飛べ
また,この種のテントウ虫の唄の一つに,「ゴロウェイ(Golloway)」という語が用いられている例(No.12)があるが,この‘Golloway'
とはおそらく,日中に太陽が天空を渡る軌道,すなわち「黄道」を意味する語と思われる。ちなみに夜空に星々が渡す道を「乳の道(Milky
Way=銀河)」というが,これとは少々別物である。*11
「坊様,坊様(Bishop,bishop)」という呼びかけで始まる唄例がある。(No.14,15) この歌い出しの言葉は,
これまでも様々な注釈者を悩ませてきたものである。あえて言わせて頂けるなら,これは本来「蜂の舟(Bee-ship)」と読むべき語で,
羽虫を死者の魂を天に運ぶ小舟に喩えた言葉だったのではないだろうか。*12
俗説の一つに,死者の魂は蜂の姿をとるというのがあるが,北欧の英雄叙事詩(サーガ) においては,「死者の御魂を運ぶ船」を,
実際「ビィスキップ(Byskip)」と詠んでいるのである。たとえば,マンハルトの注には,西暦 902年から 980年頃に活躍したスカルド
(古スカンジナヴィアの吟唱詩人),エギル・スカッラグリームスソン(Egill Skallagrímsson)*13
の詩が引用されている。それは彼の水死した息子に手向けられた詩の一節で――
…Byrr es byskips i boe kominn kvanar son.
――というものである。訳すなら
蜂の船のそのうちに,妻の産みしわが息子の逝く
――とでもなろうか。我国の注釈者たちはぞんざいにも,この「ビィスキップ」という表現を「蜂の巣箱の都(City of the
Hive)」*14 などと訳してしまっているようである。(C.P,I,546)
またウェールズの吟遊詩人たちは,人間がやって来る前のイギリスを「蜂のみぞ住みける」国であったと想像していた。
ちなみにこれは英国をあらわす詩的な言回し「蜜の島(Isle of Honey)」ということばの由来であるとされている。
こうした天国へと渡る小舟のことは,ドイツ・プロシア地方のテントウ虫の唄にも見られる。ダンチヒ(Dantzig 現グダニスク
独北岸)で歌われている唄にはこうある――
Herrgotspferdchen,fliege weg, 神の仔馬よ 飛んでゆけ
Dein Häschen brennt,dein Känchen schwimmt, 家は燃え落つ お舟は流る
Deine Kinder schreien nach Butterbrod; バタ付パンをば子供はねだる
Herrgotspferdchen,fliege weg. (M,349) 神の仔馬よ 飛んでゆけ
古来,太陽はこうした小舟に乗せられ,天空を運ばれていると考えられてきた。また,そうした「(*太陽の)舟」
そのものを神格化した神の信仰は,世界じゅうのほとんどの国で見られる。タキトゥス(55?〜117? ローマの歴史家)は,
祭儀としてアレクサンドリア(エジプト北部にあった学芸都市)付近まで運ばれてくる,「イシス(Isis)の舟」*15
のことを精知していた。また異教時代のゲルマン人が,ヘルタ(Hertha)崇拝の儀式*16
として行なっていた「イシスの舟」同様の行列についても言及している。(Gr,p.214) エジプトでは,太陽神ラー(Ra)の「太陽の舟」
が死者を天に運び,スカンジナヴィアの最高神・オーディンは,「黄金の船」によって戦で命を失ったものの身体を「ヴァルハラ(天国)」
へと運んでゆくこととなっていた。冒頭に触れた,イカロスが帆かけ舟を発明したという話も,
こうしたエジプトの太陽の舟の記憶などが起因となってできあがったものと思われる。そしてこの記憶は,我々の唄にある
「ビーシップ(bee-ship=bishop)」,さらには先にあげたドイツの唄例にみられる
「ケーンシェン(Känchen ボート・こぶね)」という言葉の中にも同様にとどめられているのではなかろうか。
〈第9章注〉
○原注
1 De Gubernatis “Zoological Mythlogy",1872.vol.2 p.209
2 Halliwell,1849 reprint p.81
○訳者補足
‘custom-rhymes'とは,日常のしぐさや事象に即して習慣的に唱えられる短い文句,まじないのようなものを指す語である。日本でいうならカラスを見た時の「からすかんかん勘三郎」とか「螢コイ」などがこれである。適当な訳語が見付からないまま「わざ唄」と訳したが,余りしっくりとこない点はお許し頂きたい。英米の子供の風俗では,テントウ虫を捕まえ,もしくは草辺から直接,指の先に這わせ,こうした唄を唱えてから,息を吹きかけ吹き飛ばし,それを合図に虫を飛び立たせる。この時の唱えられる唄がいわゆる‘Lady-bird
rhymes'である。日本にはこれに類する唄はほとんどなく,北原白秋『日本伝承童謡集成』(昭22)に――
てんと虫 てんと虫 お天道さんのお使いに行って来い。(東京・千葉)
――という一首がある程度であるが,お隣の韓国でこれを「巫女の虫(mu:dang-polle)」と呼び,また我が国にも「太陽の神の虫」ともとれるこの「天道虫」のほか,方言に「神楽虫」とか「太神楽」などという呼び方のあるところから見ると,ヨーロッパと同様にこれを神の使いとする信仰があったのかもしれない。ちなみに日本語の「天道虫」という言葉には,16世紀にキリスト教の布教にきた宣教師が,彼らの神(デウス)を「天道」と訳し,彼らが「神の虫」と呼んでいたこの虫を「天道虫」と呼んだのが広まった(林長閑『人と甲虫』など)とする外来起源説があるが,出典不明にしてどうも怪しく,また方言を分析した例からみても訳者にはにわかには信じがたい。
○訳者補注
*1 第7章参照。ただしこれら同様のモチーフを持つ唄を〈サリー ウォーターズもしくは クッション ダンス〉
に起源するとしたこの説は今日では一般的でない。
*2 ファーブル の観察により明らかになった通り,正確には転がしているこの玉には卵は入っていない。
こうして集めた糞の良質な部分によって造られ,地中に埋められた,ナシ型の玉の中に生みつけるのである。
*3 ‘Indra-gopah'‘Ind-kitah'の他,大いなる者(=インドラ) の虫という意味の‘Sakra-gopah'とも呼ばれる。
*4 ‘Gowdenbug' Scot.の方言に星椋鳥(Starling)を‘Gowden-knap'と呼ぶ例があるから,原義は「星虫」「水玉虫」
などという意味であろう。
*5 ‘Dowdy'は‘lady' と同義の方言的表現。
*6 原書は(Chambers,1842,p.43)とし Halliwellの収集から孫引きするかたちで,
この唄の1・3行目のみの版が記されているが,初版(1842)には見当たらない。誤謬だと思うのでChambersの収集(1870)により補っておく。
‘Flanders'はベルギー北西部 フランドル地方のこと。
*7 テントウ虫の唄と紹介されているが‘Goldch fer' はコガネ虫である。
*8 「トールは…夏の間じゅう云々…」はヨーロッパ北部で夏空に雷鳴が多く轟くことから出た伝承,
なお古くはトールが鎚を振るっている,のではなく,二頭の山羊に曳かせた彼の車が空を行き交う音とされていた。
*9 前章注参照。同様の大地母神ではあるが‘Godmor’は母ではなく妻。
*10 JOH,1849 の「トム ヒッカスリフト」では,トムは心棒を抜いて武器に握り,車輪を腕にかけて盾にしている。
この辺のトムの所業については,読上の便のため,同書を参考に原書の記述に少々加筆した。
ちなみにトムはハンマーを1マイル向うまで飛ばしたことになっている。「トールが鎚を放り投げて」云々の出所は未詳だが,
おそらく『ソール頌歌』もしくはスノッリのエッダにある,トールと,巨人ゲイルレーズとその娘との闘いにおける,
ヴィルム川渡りの一節ではないかと思われる。
*11 “Jamieson's Scotish Dictionary"vol.3,p.32にこんな唄が紹介されている。
King,King-Coll-Awa, Tak up yer wings an'flee awa.
この‘King-Coll-Awa'とは‘King-Call-Away’の意味。また‘Golloway' はこれの転訛であろう。また‘Golloway’
を黄道と解釈する説は他に見たことがなく,Ecken.の云う「黄道起源説」は俄かには信じがたい。
指に乗せて「飛ばす」虫の代表格であるから「あっちゃ行けの王様」という意味で,この名前が与えられたのではないかと訳者は考える。
*12 ‘bishop=bee-ship' よりはこれを夏至の日に祭られていた聖人バルナバス(聖パウロ の友人・使徒ヨセフ)
と結び付け,古代の太陽崇拝の名残と見る説の方が多いようだ。
*13 エギル(900? 〜983)は蛮猛なヴァイキング戦士であり,優れた詩人である。その一生を吟った一群のサーガは
“Egils saga Skallagr知ssonar"と呼ばれる。これは中でも彼の代表作とされる長編詩「ソナトレイク」(子を失いて)を指す。
*14 ‘Hive' には「墓穴」という含みもあるから,この訳を一概に否定はできないが,石を舟型に並べた舟型列石。
舟ごと墳墓として埋める舟葬墓(skeppsgrav)などはヴァイキングに多い遺跡として有名。
*15 イシスはエジプトの豊穣女神で,冥界の神オシリスの妻・太陽神ホルスの母。
「イシス の舟」とは中央に玉座のある小舟をかついで,町から町へ巡回する祭。玉座の神像は幕に掩われ,隠されていたという。
*16 ここの記述は紛らわしい。タキトゥス の『ゲルマーニア』(Cap.40 ランゴバルディー および ネルトゥス)
にあるのは,北欧神話の男性神 ニョルズ(Njor_) に符合する女性神 ネルトゥス (Nerthus)の祭儀についての記述である。
この女神が巡幸する小車は,ふだんは大洋中の小島の聖林に隠されている。グリムを含め伝統的な説ではこの「島」を独北部 バルト海の
R殀en島,聖林の場所をその東北部の山中にある ヘルタ湖とし,ここで信仰されている女神ヘルタ(Hertha)
をネルトゥス の後継と唱える。Ecken.はこの間を飛ばしていっしょくたにしたらしい。(『ゲルマーニア』 岩波文庫 他参考)
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