Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第7章 サリー・ウォータースについて 


〈サリー・ウォータース〉という遊びについて,もうすこし解説しておこう。すでに述べたように,これは遊び手の輪のなかで, 男の子と女の子が,かわるがわる相手を指名するという遊びで,かの文句はそのまわりをとりかこんだ子供たちによって唱えられるものである。着目すべき点は,まさにそれら唱え文句のうちにある。 そもさん,ガム夫人はこの文句のヴァリエーションを50例も集めているが,そのすべての構想・筋立てはみな等しく同じものである。


すなわち,まず「サリー」は,「お鍋から水をまきちらす」あるいは「じょうろで水をまく」といった儀礼を通過させられる。 次に「指名をなせ(*どの子かを選べ)」と迫る合唱が続く。指名がなされると,手をつなぐ,ひざまづく, あるいはキスするといった行為によって契りが結ばれ,最後にその関係をことほぐような文句が合唱される。という具合である。


同じような文句や行為は〈可愛いあの娘〉(Pretty Little Girl of Mine),〈お山のレディ〉(The Lady of the Mountain),〈キッス・イン・ザ・リング〉(Kiss in the Ring) などの遊び*1 の中にも見られるが,それらは「同じ筋立て」といえるほど顕著なものではない。
 〈サリー・ウォータース〉の文句の中で最も着目すべきは,このドーセットシャー州(英南部)の例である。

 Sally,Sally,Water,sprinkle in the pan,         サリサリ・ウォーター まかせやお鍋
Rise,Sally;rise,Sally,and choose a young man;      いざサリいざサリ婿殿選べ
 Choose[or bow]to the east,choose to the west,       東の西のみなみなさんの
 [or Choose for the best one,choose for the worst one,]
 Choose the pretty girl[or young man]that you love best. さてもとりませ一番を

 And now you're married,I wish you joy,         結婚したらば娯しみゃよい
 First a girl and then a boy;               一姫二太郎生れてほい
 Seven years after son and daughter,           七年たったら娘に 
 And now young people,jump over the water.       さこそ若衆 水面を渡れ
 (1894,No.1)

 こうした唱え文句,そして〈サリー・ウォータース〉が結婚式に際して踊られる〈クッション・ダンス〉と関係があるという事実から見て, 〈サリー・ウォータース〉という遊びは異教時代の結婚の儀式に由来するものであると思われるのだ。たとえば, 先にあげたドーセットシャーの例で,歌は若者のカップルに「水を飛び越せ」と命じて終わっているし,サマセットシャー州 (英西南部)の例ではここが「キスして水から出ておいで(kiss each other and come out of water)(1894,No.3), シュロップシャー州(英西部)では「キスに握手で出ておいで(kiss and shake hands and come out)」(1894,No.14), ロンドンの例では「水から出る前キスをしな (kiss before you go out of the water)」(1894,付論より)というように唱われている。


異教時代において,この「水に浸る」という行為が儀礼の一端を担っていたのは,タム・リンの場合や, 魔女の疑いをかけられた者が水中に放り込まれたこと(第5章参)からも分かるように,これによって人としての真のアイデンティティーが回復される, あるいは明らかになると信じられていたためである。こうした行為はまた,ある特定の祝祭の行事のうちにとりこまれてもいる。 たとえば,ノーザンプトン(英中部)は,儀礼的な水浴びが五月祭の行事の一部として行われているし,コンウォール州(英西南端)では 「五月一日,浸礼の日(The first of May is dipping day)」とまで言いならわされているほどである。(1876,p.235) すでに述べたように, この五月祭の日は,かつて異教時代には「結婚の縁組み」をとりむすぶ大切な日であった。ちなみに,現在の五月祭がそうでなくなったのは, しばしばこれが原因で,何かと騒動がまきおこったためである。


 〈サリー・ウォータース〉の唱え文句からいうと,ここで結ばれた者同士の関係は「七年間」という期限付きであったようだ。 この「七年間」という言葉は,〈サリー・ウォータース〉の場合,ヴァリェーション50例中16例の中ではっきりと口にされており。 同様のくだりはまた〈可愛いあの娘〉に用いられる文句の24例中16例,さらに〈お山のレディ〉の7例中3例にも見受けられる。


 ガム夫人は〈サリー・ウォータース〉の解説の中で,様々な例を引き,今なお一般的に,結婚の誓約の効力には一定の期限があるとみなされていること, そしてそれはしばしば「七年間」と表現されることをあげている。(1894,・,177) 筆者自身がかつてあつめた民間習俗の諸例の中にも, こうしたことを確証させられるような事例がある。たとえば夫からの消息が途絶えた女性は,七年を経たのち夫を死人とみなし, 葬儀の鐘を賜わる,つまり葬式を挙げても構わないとされている,などというのがそれである。


 「七年」という時間的制約の歴史は古く,また今なおそれは,多くの法的なとりきめの中に遺されている。また,たとえばエジプトの 「七年間の豊作,七年間の飢饉」*2 というのもあるし,妖精たちが連れ去る獲物を求めて外界にくりだすのも 「七年に一度」(*第5章参)とされていた。民間の祭礼中にも,七年に一度だけしか催されないというものがある。たとえば, 選ばれた二人の人物が,出会った人を誰でも腕づくで捕まえては,あちこち曳きずり回すという「バンピング(bumping)」という風習。 この奇習はビショップス・ストラトフォード(Bishop's Stortford ロンドン近郊)の町で,七年に一度,9月29日のギャンギング・デイ (Ganging Day)*3 に催される(1876,p.380)。ブラッドフォード(英北部 ヨークシャー州)でも, 七年周期の2月3日,「イアソンと金の羊毛」と聖ブレイズ(St.Blaize) を賛える祝祭*4 が 催されている。(1876,p.60) 同様に,ミュンヘンにおいて行なわれる〈肉屋のおどり〉(Metzgersprung) も,七年に一度,疫病を払うために踊られるものとして知られている。(Bo,p.44) 


 この遊戯における「七年」という言葉の裏には,かつての婚姻関係は,ある一定の条件が満たされなかった場合には, 七年で解消されていたことが暗示されているのではなかろうか。「条件」とはたとえば,生れる子供に両性のうちの片一方がちゃんと 含まれているかといった類いのことである。ガム夫人はこれに関して,今も男の子とか女の子が生れないからといって, その結婚を不完全なものとみなす風潮のあることを指摘している。


ときに,彼女はまた,これらの「結婚遊び」の歌に見られる‘choose for the best,choose for the worst’という一節を, イギリスの伝統的な結婚式において唱えられる「健やかなる時も苦しき時も(for better,for worse)」に起源すると説いている。 しかしこの‘best and worst' もしくは‘wisest and best'という表現を用いているものは50例中13例に過ぎず,代って ‘choose to the east,and choose to the west'という表現を用いているものは50例中22例もある。(1894,II,168)  どちらがより祖形に近いかという判断は難しいところだが,筆者には後者の方であるように思われる。


 パートナー選びの動作は50例中の21例において‘sprinkling the pan’を合図に,残りのうち20例は‘watering the can’ で始められている。「鍋(pan)」はいうまでもなく女性,それも家庭の守り役たる女性を連想させる言葉である。この言葉はまた 〈ウォルフラワー〉(Wallflower)(1)*5 の遊び唄などにおいては, ゆりかご(cradle)とともに,家庭を持つ(*結婚するのに)にして,まずまっさきに必要なものとされている。


 バックス(=Buckinghamshire 英南部)の例などからみると,実際的にこのゲームをとりしきっているのは「母(mother)」 と呼ばれる存在である。彼女は「娘たち」の「水撒き」から,そのパートナー選びの成否までを監督することになっている。たとえば, バックスの唱え文句を例に,実際に配役を書き加えてみると,おそらくこうなるだろう――

  Sally,Sally Walker,sprinkled in the pan.
  What did she sprinkle for? 
   For a young man.
  Sprinkle,sprinkle daughter,and you shall have a cow.
  I cannot sprinkle,mother,because I don't know how.
  Sprinkle,daughter,sprinkle,and you shall have a man.
  I cannot sprinkle,mother,but I'll do the best I can.
  Pick and choose,but don't you pick me,
  Pick the fairest you can see.
  The fairest that I can see is ‥‥Come to me!
   (1894,No.23)

  [半組 合唱] サリサリ・ウォーカー お鍋が底抜け
  [もう半組 合唱] 何ぞにかかった?
  [答え]   若衆の袖に墨つけ
  [母親]   撒け撒け娘ご ほうびは牛よ
  [娘]    できんわ母ご はてどうしょ
  [母親]   撒け撒け娘ご ほうびはむこよ
  [娘]    できんわ母ご それでもいいの
  [合唱]   欲しや欲しやも わしだけァよしな
          どうせとるならべっぴんとりな
  [男]    器量良し○○ちゃん こっちきな

――この後さらに他にもあるような結婚を言祝ぐ文句が続く。*6
 これに似た問答形式の唄が,ハリウェルの『英国のわらべ唄』(1846)に入っている。ここでは「娘」が「笛を吹け」と命じられているが, これもあるいは,かつて低い声でささやかれていた呪訴の呟き,あるいは魔女の烙印を捺された女性の怨嗟の言に端を発するものであるのかもしれない。

 Whistle daughter,whistle,whistle for a cradle.   笛吹け乙女 子守のうたを
 I cannot whistle,mammy,'deed I am not able.     できぬわ母ご そいつはむりよ
 Whistle daughter,whistle,whistle for a cow,     笛吹け乙女 牝牛のうたを
 I cannot whistle,mammy,'deed I know not how.   できぬわ母ご どしてもむりよ
 Whistle,daughter,whistle,whistle for a man.     笛吹け乙女 をのこのうたを
I cannot whistle,mammy;whew! Yes,I believe I can. できぬわ母ご しかれどやるよ!
 (1846,p.219)(2)*7

 〈サリー・ウォータース〉の遊びに使われる文句を分析すると,‘Sally'という名前は50例中44例に出てくるが, これを‘water'と結び付けているのは,そのうちの24例のみであること。さらにこの‘Sally-Water'という組み合わせは, とくにイングランド南部および南西部の例に見られるものであるということが分かる。この地域を離れるにつれ,その名前は‘Sally Walker'(シュロップシャー, バッキンガムシャー, ヨークシャー, スコットランド, アイルランド),‘Sally Salter'(ヨークシャー, リンカーンシャー),‘Sally Sander'(ペンザンス)‘Polly Sanders'(リヴァプール)などと変わってゆく。 ここから見てもこの‘Sally-Waters’という名前が最も古いものであることは明らかである。この点はガム夫人も同様の見解のようだが, 彼女は‘Sally-Waters' という名前が,なぜ一般にこの遊びの名称として用いられているのかについて,その著書の中では説明していない。 だが,彼女もまたその唱え文句のヴァリエーションを内容に応じて分類する中で,やはり‘Sally Waters' という名前が用いられている ドーセットシャー,サマセットシャー,およびデヴォンシャーといったイングランド南部の諸例を, 最も注目すべき例として第一にとりあげている。〈サリー・ウォータース〉の起源を追うならば,我々も, やはりこのイングランド南部地域から見てゆかなければなるまい。


 まずは,英国におけるこの地域の歴史に目を向けてみよう。ローマ人が渡来して以降,バース(Bath 英中部 Avon 州)は その温泉によって広く世に知られるようになっていた。彼らの間では,この地はアクア・ソリス(Aquママ Solis…太陽の泉) という名前で通ってたが,この‘Solis'は彼らの太陽神の名前ではなく,ここの土着の神であった女神スール(Sul) から来たもののようである。 それはローマ人によってバースに建てられた神殿に,ソリス・ミネルヴァ(Sulis-Minerva) なる女神が祀られており, その碑文にそれとミネルヴァのついていない「スール」という二つの名前が見られることからも判ぜられる。(3) このように,支配した土地の土着の神の名を,自分たちの神々の名前と組み合わせることは,(*征服者としての) ローマ人の一般的な慣習であった。ここでミネルヴァという女神が,温泉を神格化したスールと結びつけられたのは, 彼女がまた「治癒」を司る女神であったためと思われる。さらに,神殿の正面に掲げられていた円形レリーフには, 額の上で髪を結った女神の頭部が刻まれており,その背後には三日月が配されていた。*8 しかし,このように「月」がミネルヴァの紋章に使われた例は他になく(*「月」は一般的に狩猟の女神ダイアナの象徴とされる), ここからも,このレリーフはまずもってスール神を刻んだものであったと考えられるのである。土地の神であるスールのほかに, ここではまた 「スレーヴェ(Sulevæ)」を祀った遺跡も発見されている。ニーメス (Nismes 仏 Gurd 県)*9 では ‘Suliviæ Idenniæ Minervæ',すなわち,「ミネルヴァと同一身たるスリヴィエ神」に献納された,同様の祭壇が発見されているという。 スカース(H.M.Scarth)*10 はローマ支配時代のバースの歴史について述べた著書の中で, これらスレーヴェに関するローク・スミス(Roach Smith)*11 の説を引用している。 彼によれば,スレーヴェとは「…シルフェ(精霊)のようなもので,川や泉,丘,道路,村やその他様々な土地・場所を守護神であったが, 五世紀以降にはとくに教会から破門されたクリスチャン議員・宣教師・君主などを指すようになった」(4)という。 こうしたことを考慮に入れると,伝統的な結婚遊びである〈サリー・ウォータース〉がバース周辺の諸地域において, 最も原意を遺した形のまま行なわれてきた理由は,この遊びがバースの泉の神「スール」や,その後継者,あるいは眷属たる 「スレーヴェ」と関係のあるものであったためだと考えることもできやしないだろうか。*12


 わが国に関する限り,スール神について分かっていることはこれ以上はない。しかし,フランス中部においては, 太陽を女性神格化してラ・スウル(La Soule)と呼びならわしており,額から光明を放つ姿で描かれるベリ(仏中部 Berry)地方の守護聖者 ・聖ソランジュ(St.Solange)は,キリスト教の聖者の列に加えられたスール神の成れの果てであるとされている。また, ローマ時代のブルターニュにスリス(Sulis) という名前の地があった。それはオーレイ(Auray) からクェンペ(Quimper) の間のどこかに位置していたとされるが,おそらくは現在のサン・タンヌ・ドーレー寺院(St.Anne d'Auray) のあたりのことだろうと思われる。ここはその聖なる泉で有名であり,今なお近遠の諸地域から巡礼者たちが訪れる。 ここには巡礼者たちがその聖なる水を汲む巨大な石の水盤がある,これなどは(*前キリスト教時代の)この地を忍ばせる最も面白い名物であろう。 *13


 スカンジナヴィアの児童間伝承には,大勢の娘たち(*すなわち天空の星々)の母として天界に座します「ソーレおばさん」(Fru Sole…太陽夫人) とか,プレゼントを配って回るという「ソーレトップおばさん」(Fru Soletopp…天頂夫人)などという存在が見られる。 これなぞもバースの泉の‘Sul' もしくは,伝承遊戯における‘Sally'のどちらか,あるいはその両方に関連あるものなのかもしれない。


しかしながら,とりあえずは広い伝承分布をもつ〈サリー・ウォータース〉という遊びが,イングランド南西部一帯と独特の関係を有しているということからだけでも, ゲームにおける‘Sally'と泉の神‘Sul'との間に何らかの関係があることを信ずるに足りるだろうと思われる。


〈第7章注〉
○原注
1 Gomme 夫人 前述‘Wallflowers'の項より。この遊びの歌い文句は以下の通り――

  Mister Moffit is a very good man,         モフェット さんは粋なやつ
  He came to the door with a hat in his hand,    帽子小脇にごあいさつ
  He pulled up his cloak and showed me the ring; 指輪とりだし はしょげたマント
  To-morrow,tomorrow the wedding begins.      あすはあしたは祝言よ
  First he bought a frying pan,           はじめ買ったがフライパン
  Then he bought the cradle,            それから揺り篭買いまして
  And then one day the baby was born.        それで赤ちゃん生れたら
  Rock,rock the cradle.  (No.32)          ゆらり ゆらゆら揺り篭ゆらせ

2 参考までに。1892,p.506にはこんな唄があり――

    A whistling woman and crowing hen        口笛女にコケコッコ
    Are neither fit for Got or man.         神にも人にもなれぬぞよ

 ――フランスではこんな諺が知られている

    Une femme qui siffle et une poule qui crie   女の口笛 雌鶏の鳴声
    Porte malheur dans la maison.          家に不幸をよびよせる

3 H.M.Scarth “Aqマ Solis,Notices on Roman Bath",1864,p.16,22 参照

4   〃        同書              p.53 より

○訳者補足
英文学者・竹友藻風が『英国童謡集』(昭3年 研究社)の解説で‘Little Polly Sanders’などの唄の起源を〈サリーウォータース〉 に求めているのはこの本から引いた説である。論説の真偽のほどはさておき,ガム夫人の本など伝承遊戯について述べた書物の多くはこれを「女の子の遊び」としており, エッケンシュタインの言うように〈サリー ウォータース〉を「男女交互にパートナー を選んで,キスして代る」遊びとしている例は少ない。 ガム夫人1894,p.167で,S.Addyの“Sheffield Glossary”を引いて,女の子が男の子を選んだ場合は‘Sally'を‘Billy'に ‘man'を‘girl’に換える。また『遊戯大事典』(昭32年 不昧堂)で,鬼のサリーに指差されたのが「たまたま」男の子だった場合は 「ジョニー ウォーター」として続行する,とある。 エッケンシュタインが自説の下敷きとしたのはおそらく“N.& Q." 5thS.No.77(5thS.・.481〜483)の‘Yorkshire Village Games'(by James Fowler,F.S.A) という記事と思われる。 ここではこのゲームが「男の子」もしくは男の子に扮した「女の子」が輪の中心に位置どり,唄を歌って,真ん中の子が輪の方の 「女の子」を選び,キスして交替する,と紹介されている。またこれらのsinging-gamesをかつての May-gamesに由来するという主張も, ここからとられたもののようだ。


 参考までにガム夫人の記述に従い,このゲームの一般的なやり方を説明しよう。

 1.子供たちが手つないで内向きに輪をつくる。

 2.一人の女の子が輪の中心にひざまづくか座り込むかして,泣く時の感じに手で顔を覆う。

 3.輪は踊りながら唄を唱える。

 4.唄(前半部)に即して中の子が立ち上がった時,彼女の真正面に当たった子が選ばれる。

 5.唄(後半)に合わせて二人はキスを交わす。

 6.最初に中にいた子は輪の方に加わり。

 7.選ばれた子は中に残ってゲームは続行される。

○訳者補注
*1 ‘Pretty Little girl of Mine' 輪になって‘Oh this pretty little girl of mine…云々' (N.& Q.7thS.X.450)と歌う同様の唱歌遊戯。‘See what a pretty little girl have I'(N.& Q.8thS.I.249) という出だしの歌もある。ここにあげられた他の遊戯同様,その遊び方は‘Sally Waters’とほとんど同様で, これらはその名称レベルから混同されることもある。
‘The Lady of the Mountain’…次章に紹介する‘Lady of the Land’同様の遊戯。
‘Kiss in the Ring’…これも同様の唱歌遊戯。「輪の中でキスする」というのはこの類の遊びの一番の特徴とされているので, これが‘Sally …’に類する遊びの総称として使われることもある。N.& Q.8thS.I.210にはこれの文句として‘Here comes three jolly sailors' で始まる唄が見えるが‘Sally …云々’の文句が使われることもある。また一般にこの名は, ハンカチ落としの類の遊戯の名としても知られているが,ここでいうのはそれとは別の遊び。

*2  旧約聖書・創世記にある有名な予言。ヤコブ の子 ヨセフがファラオの見た夢を断じて, エジプトの滅亡を予言した。

*3  Ganging Day (たかりの日・徒党の日)については詳細不明。この行事の日だという9月29日(秋分の日)は, 英国では聖ミカエルの日(Michaelmas)とされ,次年の作柄及び天候の占いの日である。また魔女や死霊の出現する日ともされ墓地での献燈, 迎え火がたかれる。収穫と死者の祭り。

*4  ギリシャ英雄 いわゆる『アルゴ号の航海』の一話。イアソンはその一員(アルゴノーツ)でコルキスから国の宝である金の羊毛を持ち出すことに成功する。金羊毛がのち太陽の寓意とされ,その復活を祝う春の祭典と結び付いた。

*5  ‘Wallflowers'に関しては原注参照。同様の結婚遊びの一つ。

*6  省略された後半部分は以下の通り  

Now you're married I wish you much joy;
   Your father and mother you must obey;
   Seven long years a girl and a boy;
   So hush,a bush,bush,get out of the way. (1894,p.159)

*7   JOHの後版(1853)では二節のみの次のような唄に代っている  

   Whistle,daughter,whistle,whistle daughter dear;
   I cannot whistle,mammy,I cannot whistle clear.
   Whistle,daughter,whistle,whistle for a pound;
   I cannot whistle,mammy,Icannot make a sound.

*8  これらの記述の裏付はとれなかった。他の本では神殿正面の円形レリーフには‘バース-ゴルゴン' と呼ばれる怪物の顔が彫られていたことになっている。その他,青銅製のミネルヴァ神の頭部が十八世紀に発掘されているが, これらとも違う何か他の発掘物を指すものか。

*9 原文は Nismes。上注の同書に従いこれを直す。またこの碑文は今は失われてしまったという。

*10 Harry Menegden Scarth(1814~90) 好古家。“Roman Britain"全八巻 (1883〜)の著者として有名。ローマ支配時代の英国史に詳しい。

*11 Charles Roach Smith(1807〜1890) Wight島生れ。Scarthと同趣味の好古家。

*12  “Lexikon der Griechishen und R嗄ischen Mythologie"(1977),‘Sul'の項, ならびに‘Suleviae'の項目によれば,Sulevie はケルト系の女神的存在。豊穣の母。大地母神もしくは精霊。 座して膝の上に収穫物を載せた三人一組の女性像として描かれる。ヨーロッパで‘Matres Matronae Matrae' などと呼ばれるものに同じで,その祭りは「母たちの祭り(Matronalia)」と呼ばれ,男子禁制,女性だけで行なわれる。 春の再生を祝うローマの祭りだとある。

*13 この寺院で祭られている聖アンヌはブルターニュの護り神とも言うべき存在で,聖母マリアの母とされるが, 実際は古代ケルトの大地と豊穣の女神アンヌ(アンナ)に由来するものとされる。その祭りは「パルドン(大赦免)祭」 と呼ばれ7月25日におこなわれ,昔はそこで「スウル」と呼ばれるラクビー様の球技も催された。このスウル球技に用いられる球は, 太陽を象ったものだというが,それこそスール神に関係しているのかも知れない。


Comparative Studies in Nursery Rhymes トップページへへ