Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第4章 トイ・ブックスの唄たち


 

 比較的長いわらべ唄には,「おもちゃ本(toy-books)」――すでに述べたように,18世紀になって著しく発展した――豆本の中で,はじめて文字に写されたというものが多い。


これらの小本には,あとで自分で折畳んで十六から三十六頁または六十四頁の小冊子にする一枚もの程度の印刷物として 街頭で売られるものから,装幀済みで立派な表紙をつけた,一シリングあるいは一シリング六ペンス(18 pence)もする高価なものまで 色々とあった。ふつうその各頁は各々一節の詩句とそれにふさわしい挿絵で飾られているが,続きもののお話しを内容とするものでは, 本の頁数などに合わせてその詩句の多くを削ったりのばしたりしている場合もある。


 有名なわらべ唄,たとえば《アルファベットのお唄》――

 A was an Archer, who shot at a frog,   AはArcher,射るのはカエル
 B was a Blind man, and led by a dog … BはBlind man,イヌ引き帰る…

――のような唄がはじめて登場したのも,まさしくこうしたトイ・ブックス上においてのことである。この唄が最初に現われたのは 『ちっちゃな子供のちっちゃなご本』(A little Book for Little Children),これはT・Wなる人物によって, 小ブリテン(仏・ブルターニュ地方)のリング(Ring)で発売された小本で,アン女王(在位1702〜1714年)の肖像画が入っているところから, 18世紀初頭に出されたものと推測されている。
 すでに触れた,1760年頃の出版になる『この本最高』(Top Book of All)には,〈欠伸のガマ口与太カエル〉 (The Gaping Wide-mouthed, Waddling Frog)*1 の唄の,最も古い版が素朴な挿絵を添えて入れられている。 またこれも既に述べたように1671年にはもう引用された例のある《Aはアップルパイ》の唄は,1791年ごろJ・エバンスによって 『Aはアップル・パイ,の悲劇的な死』(The Tragic Death of A,Apple Pie)というトイ・ブックとされている。 価格はファージング(1/2penny)であった。また,刊年は不明だが《コマドリの最期とお弔い》 (The Death and Burial of Cock Robin)は,ロンドンのJ・マーシャル,そしてバンベリーのラッシャーの双方が トイ・ブック化している。*2 《コマドリとミソサザイの求婚・結婚・披露宴》(The Courtship,Marriage, and Pic-nic Dinner of Cock Robin and Jenny Wren)は, 1810年,ハリス(Harris)によって,さらに《ジェニィ・ミソサザイの一生涯》(The Life and Death of Jenny Wren)は, 1813年,J・エヴァンスによって発行されている。


 こうしたトイ・ブックスの唄の中でも,《ハッバードおばさんとおばさんの犬のおかしな冒険》 (The Comic Adventures of Old Mother Hubbard and her dog) は特に有名なものである。このお話をトイ・ブックに仕立て, 最初に出版したのは,「聖ポール寺院街角,E・ニューベリーの後継者」ことJ・ハリス。 おそらく1806年はじめのことであったと思われる。*3 価格は18ペンスであった。 大英博物館にはこれの「1806年5月1日」という日付の入った第二版が一部所蔵されている。それには 「第20期 下院議員 T.B.殿に捧ぐ。汝の提案のもと,汝が館にて,この見事なる小品,はじめて編まれり。諸手に敬意を表し, この巻を献ず,敬具。S.C.M.」*4


という献辞が入っており,またその挿絵の一枚として描かれた棺桶の上には「1804年」という年と「S.C.M.」の頭文字が刻まれている。 著者の名前を棺桶の上に刻む…この本にはまさしくトイ・ブック文学の真骨頂が発揮されていると言えよう。


 J・ハリスはこの本とは別に,1805年10月『気紛れ事件,もしくは音楽の底力と名づくべき,ハッバードおばさんに親しき者による詩的なお話』(Whimsical Incidents,or the Power of Music,a poetic tale by a near reration of Old Mother Hubbard) という本を出している。多少は前書にかこつけたところもあるものの肝腎の,例の面白い犬は出てこず, またそのはじめの頁には,のちの収集で別個の唄としてとりあげられている――

The cat was asleep by the side of the fire,   猫じゃ寝込んだいろり端
Her mistress snor'd loud as a pig,       奥様豚みた高いびき
When Jack took the fiddle by Jenny's desire, 君にねだられ ジャック の弾くは
And struck up a bit of a jig.   陽気なジグをひとしきり
(1810,p.10*nc)*5

――という唄が掲げられている。ハリスはさらに,1806年3月『パグ犬到来・もしくはパンチ氏の災難』(Pug's Visit,or the Disasters of Mr.Punch) というトイ・ブックスをも出版しているが,これには「P.A.殿に捧ぐ…敬具。W.F.」と,先例にならったような献辞が付されている。
 『ハッバードおばさんと犬のおかしな冒険』の人気は,爆発的かつ永続的であった。たとえば,ハリスが1810年に出した『ミソサザイの求婚』 (挿絵には1806年の日付がある)では,牧師のカラス(Parson Rook) が聖書の代りに『ハッバードおばさんの本』を抱えている姿で描かれ, さらには「一万部以上も刷られたこの賛うべき作品は,僅かな月日の間に国の隅々にまで波及した」という端書きまで記されている。事実, 『ハッバードおばさん』の本は,ロンドンはもとより国じゅういたるところで,オリジナルはもちろん海賊版によっても広く読まれた。 筆者の見た限りでも,J・エヴァンス(Long rane,West Smithfield 在),W・S・ジョンソン(60 St.Martin's Lane在), J・マーシャル(Aldermary Churchyard在) によって出版された版などがある。またサウス・ケンジントン博物館の A・パーソン*6 の展示物中にも,《ハッバードおばさん》の素朴な挿絵の入った, 極めて小さなトイ・ブックがあるが,その出版元はわからない。


 《ハッバードおばさんの唄》は,ふつう十四節の詩句,すなわちおばさんが納戸に行くところから始まって,パン−棺桶−牛の臓物−ビール−ワイン−果物−上着−帽子−カツラ−靴−長靴下−亜麻のシャツ,を買いにゆき,最後は――

  The dame made a curtsey,      おばさんおじぎで
   The dog made a bow,         ワンコも敬礼
  The dame said,“Your servant,"   おばさん相の手よされと打てば
   The dog said“Bow-wow."      ワンコもワワンとご返礼

――という一節でしめくくらるが,いくつかの版では,さらにおばさんが魚を買いに行く一節が加えられている。また,サウス・ケンジントン博物館の本には――

  Old Mother Hubbard             ハッバードおばさん
   Sat down in a chair,             座るはお椅子
  And danced her dog             ワンコはひらひら
   To a delicate air;              優雅にダンス
  She went to the garden            公園行って
   To buy him a pippin,            買ったはリンゴ
  When she came back             帰って来たらば
   The dog was skipping.            ワンコがタンゴ

――という一節が加わっていた。またラッシャーの版では最後の一節の‘the dog made bow'のところが‘Prin and Puss made bow’となっている。
 ハリウェルは「単に推測に過ぎないが」と前置きしつつも『ハッバードおばさんと犬』のお話しが古くからあるものと考えられる理由に 「第三節において‘coffin’が‘laughing’と韻を踏んでいる」*7 ことをあげている すなわち――

  She went to the undertaker's         行くは葬儀屋
   To buy a coffin,                買ったは棺桶
  When she came back              帰りゃワンコは
   The poor dog was laughing.          笑ってOK

――の一節である。しかしながらこれは,原作者の頭にこの古い唄―1797年の『幼児講座…』にも出てくる― の韻律がよぎったためとも考えられる。

  There was a little old woman       小さなおばさんおりまして
   And she live'd in a shoe,         何と住み家は靴の中
  She had so many children,         たくさん子供はおりますが
   She didn't know what to do.       世話も知らないなーかなか
  She crumm'd'em some porridge      ひきわりお粥つくるのに
   Without any bread          あららパンなど欠片もなくて
  And she borrow'd a beetle,        かわりに子供らつぶします
   And she knock'd'em all o'th'head.    すりこぎ握ってぶんなぐり
  Then out went the old woman      そいでおばさんお出かけだ
   To bespeak'em a coffin.          棺桶たんと注文しょう
  And when she came back        ところが帰ってきて見たら
   She found'em all a-loffing.         子供ら笑いの大合唱

 後の章でも述べるが,これは神話学の立場から言って,非常に興味深い唄である(第9章参考)。
 収集1810年(*Gummer Gurton's Garland,p.37)には,この長い唄の最初の一節しか載せられていない。 ハリウェルの好意的見解に従うなら,これはこの著名な本の編者(*J.Ritson)が,事実を歪曲したのでも,そういう版を捏造したのでもなく, もともとこの一節だけだった唄に,後世,歌詞が付け加えられたのだということになる。
 たしかに「ハッバードおばさんと犬」というコンビが出来上がったのは比較的近世のことであるが,「ハッバードおばさん」 という名前それ自体には,古い由緒がいくぶんか認められる。たとえばエドモンド・スペンサー(Edmund Spenser) の諷刺詩に 『プロソポピアもしくはハッバードおばさんのお話し』(Prosopopeia or Mother Hubberd's Tale) *8 というのがある。これは彼の知られざる若き日の詩作で,「よき老婦人のきわみハッバードおばさん」は 「底抜けに陽気」に,狐と猿の寓話を語る存在として登場している。トーマス・ミドルトン(Thomas Middleton) *9 も1604年に『ハッバードおじさんのお話し――もしくは蟻と小夜鳴鳥』(Father Hubburd's Tale,or the Ant and the Nightingale) という本を出しており,その序文にはこうある,

『ハッバードおじさんのお話し』と申しましても,別に『ハッバードおばさんのお話し』の「焼き直し」ではございません。 いずれこの世界が一寸したお裁き(*すなわち最期の審判)を迎えても,私は‘Plena stultorum omnia' *10 と言ってのけましょう。なんとなれば私,ここにとりあげましたる事どもは, おいぼれ熊やお猿のお話しでもなければ,老夫人のお皿の哀しき墜落でもない,まったく別のお話しなのですから…(以下略)

 スペンサーの作品が「焼き直し」されたことがあったのかどうか,またそこに「老ぼれ熊(ragged bears)」とか 「お皿」なるものが出てきたのかどうかについては定かでないが,ミドルトンがここで公にはできないながら, (*ハッバードおばさんが出ていると思われる)他の作品に言及していることは間違いない。いずれにせよ‘Mother Hubburd'(あるいは Hubbard)という名前は「おばさんと犬」のお話が広まるずっと以前からよく知られた名前であったわけである。


 ミドルトンの言う「ハッバードおじさん(Father Hubburd)」もまたわらべ唄のネタとなっており, 雑誌『ノーツ&クィエリーズ』に引かれたある唄には,彼と納戸(cupboard)という,ある意味, 伝統にのっとった組み合わせが見られる――

 What's in the cupboard? says Mr.Hubbard;     納戸は何じゃと申すは南野
 A knuckel of veal, says Mr.Beal;         子牛の筋じゃと申すは富樫
 Is that all? says Mr.Ball;            それでしまいか問うたは米瀬
 And enough too, says Mr.Glue;           とうに充分 申すは近江
 And away they all flew. (N.& Q,7,IV,166)     いっせのせで飛んでった

 彼らは「猫」でもあろうか?*11
 この「ハッバードおじさん」の詩形は,こもごもに鳴り響く鐘の音を摸したようなものだが, これと同じ技巧は次のようなわらべ唄――  

  Fire! Fire! " says the town-crier;     火事だ火事だと鍛冶屋が叫びゃ
 “Where,Where?" says Goody Blair;      どこだどこだと床屋が騒ぐ
 “Down the town," said Goody Brown;     向こう向こうと紺屋が言えば
 “I'll go and see't," said Goody Fleet,    見よう見ようと易者が申す
 “So will I," said Goody Fry.         それじゃわたいも芋屋も追従
   (1890,p.315)(*town-crierの原義は「触れ役」,ほかは人名)

――にも用いられている。この詩形の歴史は古く,1550年頃に書かれた戯曲『ラルフのまぬけのおいぼれの』(Ralph Roister Doister)*12 の終い,「当の教区の行者によって,塔の鐘が鳴らされる」 という場面にも,こんな台詞が見られる。

  First bell: When dyed he, when dyed he?
  Second bell: We have him! We have him!
  Third bell: Roister doister, Roister doister.
  Fourth bell: He cometh, he cometh.
  Great bell: Our owne, our owne.

〈第4章注〉
○訳者補足                             

 まず《ハッバードおばさんの唄》の全文を紹介しよう――  

 1.Old Mother Hubbard           8.She went to the tailor's
  Went to the cupboard,           To buy him a coat;
  To fetch her poor dog a bone;       But when she came back
  But when she came there          He riding a goat.
  The cupboard was bare,
  And so the poor dog had none.      9.She went to the hatter's
                       To buy him a hat;
 2.She went to the baker's          But when she came back
  To buy him some bread,          He was feeding the cat.
  But when she came back
  The poor dog was dead.         10.She went to the barber's
                       To buy him a wig;
 3.She went to the undertaker's       But when she came back
  To buy him a coffin;           He was dancing a jig.
  But when she came back
  The poor dog was laughing.       11.She went to the cobbler's
                       To buy him some shoes;
 4.She took a clean dish           But when she came back
  To get him some tripe;          He was reading the news.
  But when she came back 
  He was smoking a pipe.         12.She went to the seamstress
                       To buy him some linen;
 5.She went to the ale-house         But when she came back
  To get him some beer;           The dog was a-spinning.
  But when she came back
  The dog sat in a chair.         13.She went to the hosier's
                       To buy him some hose;
 6.She went to the tavern          But when she came back
  For white wine and red;          He was dressed in his clothes. 
  But when she came back
  The dog stood on his head.       14.The dame made a curtsy,
                       The dog made a bow;
 7.She went to the fruiterer's        The dame said,Your servant,
  To buy him some fruit;          The dog said,Bow-wow.
  But when she came back
  He was playing the flute.         (OXDNR p.317~19)

  JOHの版では‘undertaker's’が‘joiner's’となり、詩句の順列もこれと若干異なる。また本書文中に触れられた「魚屋」のくだり、すなわち――

  She went to the fishmonger's     おばさん魚屋(トトヤ)に参ります
   To buy him some fish,        ワンコにあげよ美味しいお魚
  And when she came back        けれどお家に帰ったら
   He was licking the dish.       ワンコ奇麗になめてたお皿

――という一節が四節の後に加えられている。

 後の研究により著者S.C.M(初版ではS.M.C)は Sarah Catherine Martin(1768〜1826)という女性であることが判っている。本書では献辞が「下院議員T・B殿」宛てとなっているが、今に伝えられる『ハッバードおばさん』の由来からすると、これは後に彼女の義兄となったJohn Bastard議員にあてられたものであり、 OXDNR解説(p.319) の引く初版の献辞もこれを「J・B」としている。 エッケンシュタインの見た第二版がこうなっているのかどうかは不明。なお、おばさんのモデルは議員宅の家政婦という。これより以前から民間伝承また文学において「ハッバードおばさん」という名前が存在していたことは間違いないが、 ハリウェルの云うようにこの唄自体が十六世紀に起源するということはない。

○訳者補注

*1  第12章参照。円形に座りひとりづつ累積する文句を唱えてゆく。

*2   Cock Robin(駒鳥),Jenny Wren(ミソサザイ) の唄については16〜17章を参照。後の研究によりMarshall版は 1780年頃,Rusher版はより遅く1820年もしくは1840年に出たものと推測されている。

*3  ハリス版“The Comic Adventures…”の初版発行は1805年6月1日。Ecken.が参考にした第二版は その翌年に出されたもの。

*4  作者S.C.M.はSarah Catherine Martin(1768〜1826) という女性。この献辞の相手は妹の婚約者・John Bastard議員であるから,OXDNR,p.319 に引く初版の献辞にある通り「T・B議員」ではなく「J・B議員」が正しかろう。

*5 原典1810,p.10 には同唄なし。1810,p.33にある版は以下のとおり。Ecken.の引く唄と多少異なる。原典未詳, あるいは同書の異版よりか――

 The cat sat asleep by the side of the fire,
 The mistress snored loud as a pig,
  Jack took up his fiddle,by Jenny's desire,
 And struck up a bit of a jig.

*6  A.Pearson  不詳。初期の収集家の一人ではないかとのこと。

*7  ‘coffin' と‘laugh'(古形loffe,loffing,loffin) が韻を踏むのは16世紀の古い語法。

*8  Edmund Spenser(?1552〜1599) エリザベス朝の代表的詩人。
   題名の“Prosopopia”は「架空の人物」「想像上の人物」の意味。自らの境遇に飽き足りない狐と猿が, 司祭や廷臣貴族などに化けて旅に出るが,最後にジュピターに正体を暴かれる。1591年に出された初期詩集 “Complaints containing sundrie small Poems of the World's Vanitie”に収録されている。

*9 Thomas Middleton (1580〜1627) エリザベス朝の劇作家。初期はロンドンの市民生活に取材した喜劇, 後期はDekker,Draytonなどとの合作で有名。

*10 ‘Plena stultorum omnia'「万物こよなくわれ生ぜしめり」すなわちこの作は自分のオリジナルで、 微塵も盗作に非ずということならん。

*11 ‘knuckle'はこの場合,膝肉など関節の部分の堅いスジ肉の意味。狗・猫など家畜のエサの代表格である。

*12 “Ralph Roister Doister" 英国最初の喜劇。Eaton Schoolの修士Nicholas Udall(1506~1556) が Ulpin Fulwelの戯曲“Like will to like,quod the Devil to the Colier" の登場人物ラルフを借用して書いたもの。 


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