Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第2章 初期の参考文献について


 こうしたわらべ唄の収集とはべつに,一般の文学作品の中にも多くのわらべ唄が引用されている。 これが唄の流布年代を知るさらなる手懸かりである。たとえば,リンボルトは『幼児講座第1回もしくは 上古の詩歌における叙情と寓意に ついての童戯的小論』(Infant Institutes, part the 1st.or a Nurserical Essay on the Poetry Lyric and Alegorical of the Earlist Ages,1797) という本について述べたことがある。これはおそらくジョンソン博士(Dr.S.Johnson)の友人, ターナー(B.N.Turner)*1 の著作と思われる本で,内容は当時のシェイクスピア学者を 諷刺したものであるが,その論説中にはじつに多くのわらべ唄が引用されている。(N.& Q.,5,・,441) 


 さらに詩人のヘンリー・キャレイ(Henry Carey) は1720年頃,アンブローズ・フィリップス(Ambrose Philips) が子供向けに作った詩賦を皮肉って,これになぞらえ,わらべ唄をごちゃまぜにした詩を書いている。ここに彼が引いているのは‘Namby Pamby Jack-a-dandy'‘London Bridge is broken down'‘Liar Lickspit'‘Little Jack Horner'‘See-saw'など, 今もお馴染みようなの唄たちである。*2


 もっと古くは,1671年,神学者のジョン・イーチャード(John Eachard)が自分の論文*3 の脚註に アルファベットの唄の‘A was an apple'から‘G got it’までを引用しているが(1), このようにしても我々がさかのぼりうるのは,せいぜいこの17世紀あたりまでである。


 また,唄によっては,そこに言及されている歴史上の人物から,その唄の古さをたどる鍵が得られることがある。それは, その唄がそのかたちで広まったのは,その人物が公衆の面前で目立っていた時代であると推測しえるからである。 たとえばハリウェルは次のような唄を口述採録している――

  Doctor Sacheverel       セシェベレル先生
  Did very well,         ご機嫌よろし
  But Jacky Dawbin      けれどジャッキー
  Gave him a warning. (1849,p.12)    クギをさし

 この唄は,非国教派の牧師である‘Dr.Sacheverel'が,聖ポールズ寺院での過激な説教の中で,ホィッグ党員のことを 「英国教会の不実の友にして真の敵」なり,と論じたのに対し,‘Jacky Dawbin' すなわちジョン・ドゥビン議員(John Dolben 1662-1710) が下院議会においてこれを「悪意に満ちた,けしからん,煽動的な中傷」であるとやりかえしたことを吟ったものであるとされている。 *4 また――  

  Lucy Locket lost her pocket,        ルーシー ロケット なくした財布
  Kitty Fisher found it,            キティ フィッシャーそれ拾う
  But the devil a penny was there in it,*5   けれど空っぽこん畜生
  Expect the binding round it. (1849,p.48*nc) ふちに飾りがついとぉる

――という唄は,チャールズ2世(1630-1685) の御宇に人気のあった,二人の娼婦(courteasans)を吟ったものとされている。(1892,p.330) 


 また,次の唄で一番はじめに出てくる人物の名前は,1529年もしくは1530年,捕われて絞首刑になった,英蘇国境地帯(border)の 有名な義賊*6 のそれである。

  Johnny Armstrong killed a calf;     ジョニー アームストロング 仔牛を殺し
  Peter Henderson got half;        ピーター ヘンダーソン 半身が当り
  Willy Wilkinson got the head,−    ウィリー ウィルキンソン頭が当たる
  Ring the bell,the calf is dead. (1890,p.358) 仔牛死んだで鐘が鳴る

 ハリウェルの収集中には,累積式の唱え口で語られるわらべ唄(第11章参)がいくつかあるが,その中に‘John Ball shot them all.’ の一句ではじまり,毎節最後はこの句にたちかえるものがある。ハリウェルによれば,これはリチャード2世(1367-1400)の時代に起こった 反乱に荷担し,1381年,絞り首にされ,市中ひきまわしのうえ四裂きの刑に処されたある僧侶*7 のことを吟ったものなのだそうである。

 ただし,こうした歴史的な由来のある人名が,必ずしもその唄の広まった年代に結びつくとは限らない。なぜなら, こうしたポピュラーな名前は,往々にして,世をはばかる仮の名として使われることもあり,さらにいうなら,そうした名前が, のちに元来の人物と別の人物の方を指しあらわす名前となることもあるのだ。
 たとえば収集 c.1783 にもとりあげられている次の有名な唄には,幾つかのヴァリエーションが存在しているが――

  When good King Arthur rul'd the land,   アーサー王の時代には
  He was a goodly king,           王様良い子で通してた
  He stole three pecks of barly meal   三斤ばっかし小麦をくすね
  To make a bag pudding.         そいでプッティングこしらえた
  A bag pudding the king did make     王様こさえたプッティングは
  And stuff'd it well with plumbs,    どんと山盛り乾しブドウ
  And in it put great lumps of fat,    それにあぶらのかたまりを
  As big as my two thumbs.        親指ほども入れたよすごく
  The king and queen did eat thereof,   王様・妃がめしあがりつぎは
  And noblemen beside,           家来にちょいとあげ
  And what they could not eat that night   そいでのこったお余りを
  The queen next morning fry'd (c.1873,p.32)  お妃 翌朝 油揚げ

 ハリウェルの引用によれば,俗謡研究家のチャペル(William Chappel) は,この唄は元来このかたちではなく――

  King Stephen was a worthy king
  As Ancient bard do sing …

――と歌い出されるものであったとしているそうである。しかしバークシャー州(英南部)ではかつて,これをエリザベス女王と結びつけた,同じ筋書きの,よりシンプルな,一節だけの唄が歌われており――

Our good Quane Bess,she maayde a pudden, 我等がベス様プッディングつくる
An'stuffed'un vull o'plums.          きざみあんずをやまもりどん
An'in she put gurt dabs o'vat,        バター桶からしこたま出した
As big as my two thumbs. (1892,p.289)    親指ほどものやつ二本

 言葉使いの面から見れば,逆にこれがもっとも古い型となるようである。*8
 ここにこうして名前が入れ換わったり,そのあらわすところが変わった例のうちの,もっとも興味深い一例がある。 その唄は「アーサー王」の唄としても,かつまた‘mutatis mutandis' な存在たる「コール王」*9 の唄としても唱われている。 まずその「アーサー王」の版の歌詞は――

  When Arthur first in Court began     さてもアーサーおでまし
  To wear long hanging sleeves,        袖をひきずる長衣
  He entertained three serving men,     お召しになった三人家来
  And all of them were thieves.        本当はみんな みな泥棒

  The first he was an Irishman,       はじめにひかえし愛蘭人
  The second was a Scot,           蘇格人がそれをつぎ
  The third he was a Welshman,      とりをとるのは威爾人
  And all were knaves,I wot.         みんな悪党 保障つき

  The Irishman loved usquebaugh,     愛蘭目がないアイリッシュ-ウィスキー
  The Scot loved ale called blue-cap.      蘇格の愛すはスコッチ-ビール
  The Welshman he loved toasted cheese,   威爾人はチーズが好み
  And made his mouth like a mouse-trap.  ネズミわなみたお口がのびる

  Usquebaugh burnt the Irishman,     愛蘭酒焼け まっかっか
  The Scot was drowned in ale,        蘇格は沈没 土左ヱ門
  The Welshman had liked to be      威爾人ときたならば   
         choked by a mouse,      ネズめに引かれる寸前で
  But he pulled it out by the tail.      逃げたは良いがあやういもん

 これは1720年頃出された「今流行りの歌をよりすぐった」という,バッコック(Badcock) の『新たなる叙情歌』(New Lyric) に「合唱曲(glee)」の一つとして載せられたものである。
 一方,ハリウェルの収集1842 には,これと同系の――

  Old King Coel was a merry old soul,    コールの大殿 陽気で通る
  And a merry old soul was he,        ほんに陽気な御仁だえ
  Old King Coel,he sat in his hole,      コールの大殿 玉座で申す
  And he call'd for his pipers three.      おはやし三人いできたれ

  The first,he was a miller;        はじめが粉屋
  The second,he was a weaver;        つぎきた織り子
  The third,he was a tailor;        さんばんめが仕立て屋
  And all were rogues together.        いづれ名だたる無頼の徒

  The miller,he stole corn;         粉屋が盗ったは小麦
  The weaver,he stole yarn;         織り子が盗ったが紡ぎ糸
  The little tailor stole broad-cloth,    ちびの仕立て屋別珍盗み
  To keep these three rogues warm.     そいで三着こしらえた

  The miller was drown'd in his dam;    粉屋は堰で水漬けに
  The weaver was hung in his loom;     織り子は機で絞首刑
  And the devil ran away with little tailor, そいで悪魔に引かれて行くは
  With the broad-cloth under his arm.    別珍抱えた仕立て屋さ。
  (1842,p.3//*co Note,p.179)

――という唄が見られる。*10


チャペルはこの「老王コール」の歌のヴァリエーションをいくつかとりあげた上で,1632年に出された『レディングのトーマスの痛快史伝 もしくは 西部の大郷士六人衆』(The Pleasant Historie of Thomas of Reading,or the Six Worthie Yeomen of the West) に入っている, ヘンリー1世(在位…1100-1135)代のレディングの仕立て屋「コール」なる人物の伝説について触れ, この名前(コール)が「一般に広く知られるようになったのはこの本の流行に負うところが大きかった」ことを指摘している。 さらに彼によれば「今となっては知る由もないが」としながら,「このおいぼれコール(Old Cole)という名前は,エリザベス朝時代の劇作家たちの間で,何かの冗意か符牒を表わすものとして使われていたようだ」 という。(2) 実際,デッカー(T.Dekker)は1602年の『悪口応酬』(Satiromastix *co.) で,マーストン(J.Marston) は1604年の『造半者』(The Malcontent)で,ともにこれを女性の姓として用いているし,ベン・ジョンソン(Ben Jonson)も『聖バーソロミュー市』(Bartholomew Fair)の中で,‘Hero and Leander'という人形劇に出てくる船頭に 「おいぼれコール」の名前を与えている*11 ――しかし,こうして見ると, これらがどうやって「伝説の王」と同一視されるようなったのだろうか,という感は禁じえない。


 他方,従来とくに注目されることのなかったわらべ唄中のキャラクターにも,近年になって古い由緒があると認められるようになった例がある。


次に引く唄はたいていのわらべ唄集で見られる。トイ・ブックなどで唄に添えられた挿絵からすると,この二人は, 男の子と女の子の二人連れ,とも,男の子の二人連れともみなされているようだが――

Jack and Gill went up the hill,       ジャックとギルがお山に登る
To fetch a bottle of water;          かめにお一つ汲むのさお水
Jack fell down and broke his crown,   ジャック転んで割れたがおつむ
And Gill came tumbling after. (c.1783,p.51)  すってんころりと続くギル
[後世の収集ではGillがJillにbottleがpailになっているものが多い]

 それを最初に提起したのは,ベアリングールド(Sabin S.Baring-Gould)*12 であった。 彼によればこの唄は,スカンジナヴィア神話のヒューキ(Hjuki)とビル(Bill)という二人の子供の伝説,すなわち,ビュルギルの泉に水を汲みに行って, 「マーニ(Mani)」…「月」にさらわれ,今も二人は桶を下げた棒の両端を担う姿で,月の中に見られるという伝説をとどめたものである という。(3)


 たしかに,ハリウェルが『新編・ベドレムの気狂いトム』(The New Mad Tom o'Bedlam)*13 という本から引く次の唄においては「月男(Man in the moon)」が「ジャック」と呼ばれている――

The man in the moon drinks claret,     月の男がワインにはまる
But he is a dull Jack-a-Dandy;      けれどジャックじゃ目利きもさえず
Would he know a sheep's head from a carrot, 羊とニンジンくべつもならぬ
He should learn to drink cider and brandy. リンゴ酒 ブランディに河岸変えた
(1842,p.33//*co No.35,p.24)

 我国においても「月が水を運ぶ(the moon holds water)」(*上弦の新月が洪水もしくは旱の験である理由) ということを言うが(4),ドイツ北部の俗信ではこれを「月の中にいる男が手桶で水を汲む」と言い (K.,p.304),12世紀以前からあるといわれる北欧の覚え唄では,「セーグ(Saeg)なる手桶で,シミュル(Simul) なる天秤棒で,ビル(Bil) とヒューキ(Hiuk) が水運び」をするからだともされている。(C.P.,I,78) 
 「ジャックとジル(もしくはギル)」が,神話的存在,もしくは半神(heroic being 神と人間の中間的存在) であったという証拠は, 1460年頃のタウンレー奇蹟劇(Townley Mysteries)*14 のなかにある, 「ジェクのためでもギリーのためでもなく(for Jak nor for Gille)」 という台詞にも見出すことができる。ここではこの誓文をとなえると,ある超人的な能力が授かることになっているのだ。


同様の名前の組み合わせは「どちらにしようかな?」という時になされる,ある古い「占い唄(divination rhyme)」の中にも見られる。 これは,すこし撚った二枚の紙片を手の甲において,そこに息を吹きかける前後,次のような文句を唱え, どちらが先に飛ぶかを見るというものであるが,伝記作家のフォスター(J.Foster)に語ったところによると(5), ホーキンス(Hawkins)夫人はこの遊びをゴールドスミスから教わったそうである*15――

 There were two blackbirds sat upon a hill, 丘の上 二羽の黒歌鳥のゐて
 The one named Jack,the other nam'd Gill; 片やジャック 片やギル
 Fly away,Jack;fly away,Gill;        飛べやジャック 飛べやギル
 Come again,Jack;come again,Gill. 帰れやジャック 帰れギル
((1810,p.45 *co.原書 Gill を Jill とする)

 この文句からは,かつて鳥の飛ぶ態によって事を卜したという「卜占官(augur)」のことが示唆される。 ちなみに筆者が教わったこの占句は――

  Peter and Paul sat on the wall,
  Fly away Peter! Fly away Paul!
  Come again Peter! Come again Paul.

――というものであった。ここでは‘Jack'‘Gill(or Jill)'という異教徒的な名前がクリスチャン・ネームに代わっている。 しかしこうしてわざわざ名前が代えられたということこそ,まさしくそこに(*キリスト教社会にとって)冒涜的な, 異教的な意味合いが遺されていたということに他ならないのではないか。
ジャックとギルといえば,次のような唄が,ある初期の収集に収録されている――

  I won't be my father's Jack,         父ちゃんッ子はやだよ
  I won't be my mother's Gill,        母ちゃんッ子はいやさ
  I will be the fiddler's wife        いッそなるなら楽士の妻よ
  And have music when I will.        曲は何でも望みのままさ
  T'other little tune,t'other little tune,   ちょいと一節 別なのも
  Pr'y thee,love,play me,t'other little tune.  どうかぬしさま 違うのも
  (c.1783,p.25)*16


〈第2章注〉
○原注
1 Eachard,“Observations",etc,1671, ハリウェル 1849,p.137より引用
2 Chappel,“Popular Music of the Olden Time",1893,p.633
3 Baring-Gould "Curious Myths of the Middle Ages",1866,p.189
   ‘Fleet,Thomas'
4Murray's Dictionary" Jack'
5 J.Foster "Life of Goldsmith",II,p.71

○訳者補注
*1  Dr.Johnsonは文学者,シェイクスピア学者として高名な Samuel Johnson(1709-84)。Tunerは Rev.Baptist Noel Tuner。リンカーンシャー州デントン,ラトランドシャー州ウィングなどで教区牧師であり,“Gentleman's Magazine" 等に寄稿。(N.& Q.,5,・,Rimbault,‘Nursery Rhymes'より)

*2  Henry Carey(1687?-1743) 詩人・英国国歌作詞者の一人。ここに指摘された作品の題は‘Namby Pamby or a Panegyric on the New Versification"(1725 or'26)。Ambrose Philips(1676-1749)その牧歌が余りに凡庸な作品であるためPope及びその一派に攻撃された。なおこれに引かれた‘See-Saw'の唄は ‘See-Saw,Sacradown'のほう London Bridge …も リフレインが‘Dancing o'er the Lady-Lee'の古い版である。
 本文に‘Namby Pamby'の唄とあるのは Careyが冒頭に引いた  

Naughty Paughty Jack-a-Dandy,
  Stole a piece of sugar Candy
  From the Grocer's shoppy-shop,
  And away did hoppy-hop.

のヴァリエーションの一つで,この作品の影響か,現在一般的な歌い出しは‘Namby-pamby'である。

*3  Eachard の“Observation"正式には“Some Observations upon the Answer to an Enquirty into Grounds & Occasions of the Contempt of the Clergy"。JOH,1849,によれば様々な宗派の説教の流儀をとりあげたのち, 彼自身の会得した方法を簡単に説明して‘…Repent,R.readily,E.earnestly…And why not Repent Rarely,Evenly Prettily,Elegantly,Neatly,Tightly? And also,why not,A apple-pasty,B bak'd it,C cut it,D divided it,E eat it,F fought for it,G got it,&c?' と説く。

*4  Dr.SacheverellはHenry Sacheverell(1674?-1724 

*5  JOHは1842,p.36,No.53,にこの唄を引くが三行目が‘Nothing in it, Nothing in it,'である。二人を‘courtezans' であるとするところは同じだが,OXDNRは少し控え目に‘courtesan'かどうかは知れないが, その時代にそういう名前の有名な美人がいたことは確かだとしている。

*6  Johnie Armstrang,イングランド王ジェームス5世によって1528年に処刑さる。

*7  John Ball, 王候貴族の圧政に対し起こった農民一撥 Wat Tylerの乱に荷担。彼が ブラックヒースの丘でぶった説教から, のち革命家連の合言葉となった‘Whe Adam dalf,and Eve span,Wo was thanne a gentleman.(アダム が耕しイヴが紡いでいた頃, 貴族などどこにいたのか)が生れた。一節ごと一行増しでこの唄の最終節にはこうなる。

John Patch made the match,And John Clint made the flint,And John Puzzle made the muzzle,And John Crowder made the powder,And John Block made the stock,And John Wyming made the priming,And John Brammer made the rammer,And John Scott made the shot, But John Ball shot them all.

*8   ステファン王とはStephen o'Bl is(在位1135-1154),エリザベス1世は在位1558-1603 つまり最も新しいものの出てくる版が,字面的には最も古いということになる。

*9 ‘mutatis mutandis' 必要に応じ,時勢に従い変化したという意味。現在のこの歌の「老王コール」についての解釈では,紀元1世紀コルチェスター に都した Cubelin王,または3世紀頃ブリテン島を統治していたCoel王のこととする説が一般に行なわれている。

*10 1842,p.179のNoteにはもう一つ,上の歌とより一致点の多いvariation がある――

Old King Coel
 Was a merry old soul,
   And a merry old soul was he;
   Old King Coel,
   He sat in his hole,
   And he call'd for his fiddlers three,&c.
   The first,he was an Irishman;
   The second,he was a Scot;
The third,he was a Welshman;
And all were rogues,I wot.
The Irishman lov'd usquebaugh;
The Scot was drown'd in ale;
The Welshman had like to be chok'd by a mouse,
 But he pull'd her out by the tail.

*11 Thomas Dekker(1570?-1641?) ロンドン生れの劇作家。当時の風俗を写した喜劇に長ず。
   John Marston(1575?-1634) 聖職者・劇作家
   Ben Johnson(1573?-1637) 詩人・劇作家

*12 Sabine S.Baring-Gould 初期民俗学を支えた牧師・好古学者。

*13 “The New Mad Tom o'Bedlem" は1675年にbroadsidesとして出されたballad, ここにある唄がそのまま入っているのではなく,その末尾に‘The Man in the Moon drinks claret,With powder-beef,turnip,and carrot' というフレーズがあるにとどまる。

*14 “Townley Mysteries"(or The Wakefeild Plays)14世紀以前よりウェイクフィールドの地に伝わる一群の宗教劇, 19世紀になりランカシャーの タウンレー一族に伝えられていた手稿が翻刻刊行され,世に知らる。 32編中24は新約,残りが旧約聖書に材をとる。

*15 OXDNRはこれを,エッケンシュタインの言うような占いではなく。両手の人差し指に各々紙片を貼り付け, 隠したり出したりしてみせる,幼児向けのお遊びの唄だという。ちなみにホーキンス夫人(Laetitia-Matilda Hawkins)にゴールド スミスがしてくれたというのは,こちらの遊びの方。

*16 JOH,1842,ではこの唄が‘Games'に,1856,では‘Lullabies'に分類されている。


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