Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第17章 コマドリとミソサザイ


 さて,まだ片付いていない問題が一つある。それは「コマドリ」と「ミソサザイ」の関係である。多くのわざ唄や伝説, そして伝承文学においては,この鳥たちの名前はかならず一組のものとされ,時には彼らのその愛憎の交錯するさまが, また時にはこれらがたがいに相入れないものとなった理由が描きだされている。こうしたことは,この鳥たちの交互に去来するさまが, 季節の移ろいを象徴するものとして受けとられていたところからきたものである,とも考えられよう。


 コマドリとミソサザイを一対のものとしたわざ唄(custom rhymes)はいくつもあるが,その中にはまた,さらに他の鳥について 言及したものがある。たとえば――

 The robin redbreast and the wren      胸赤コマドリ ミソサザイ
 Are God's cock and hen. (1826,p.292)    神の御旨の夫妻(メオト)鳥

――をウォリックシャー(Warwickshire 英中部)では, 

 The robin and the wren         さてもコマドリ ミソサザイ
 Are God Almighty's cock and hen;    神の御旨の鳥夫妻
 The martin and the swallow       さてもツバメに海女ツバメ
 Are God Almighty's bow and arrow.    神のなすなる御弓か矢羽根
(1870,p.188)

――さらに,ランカシャー(英北西部)ではこのようになっている。

 The robin and the wren         さてもコマドリ ミソサザイ
 Are God's cock and hen;         神の御旨の鳥夫婦
 The spink and the sparrow        それでアトリにナミスズメ
 Are the de'il's bow and arrow.        悪魔御用の弓矢羽根
(1892,p.275)

ここにある「雀−弓矢」という組み合わせは,後にあげる伝承作品のいくつかにも見られる。
 コマドリとミソサザイのとり合わせはまた,スコットランドで採集された次のようなわらべ唄のなかにも見られる。ちなみにこの唄は, 最近では英語版のわらべ唄集にも見られるようである。

 The robin redbreast and the wran     胸赤コマドリ ミソサザイ
 Coost out about the parritch pan;     おかゆナベからご到来
 And ere the robin got a spune       コマドリお匙でおかゆの奉仕
 The wran she had the parritch dune.    ミソサザイったらとりこぼし
(1870,p.188)

 先に触れた《コマドリの遺言》は,コマドリがその死の介添えとして戸口に立ったミソサザイに対し,怒りをあらわす場面で終わっているが, これとは逆に,コマドリの介護の努力も空しく,ミソサザイが死ぬとする一群の例がある。このコンセプトはスコットランド民歌 《鳥たちのお葬式》(Birds' Lamentation)の主題でもある。この歌はデビット・ヘルドの1776年の収集中にも含まれており, そこに以下のようなくだりが見られる――

 The Wren she lyes in Care's bed,     レンちゃん は病の床よ
  In meikle dule and pyne,O!       少々こじらせやせこけた や
 Quhen in came Robin Red-breast     赤シャツ・ロビン,菓子パンと
  Wi'sugar saps and wine, O!       ワイン抱えてかけつけた や

 −Now,maiden will ye taste o'this?     さても乙女ご 気を強く
  It's sugar saps and wine, O!      パンにワインを召し上がれ や
 Na,ne'er a drap, Robin,           いいえ喉にも通りゃせぬ
  (I wis); gin it be ne'er so fine, O!    わたしはきっともう駄目ね や

 −Ye're no sae kind's ye was yestreen,   いやいや,先(セン)よりずっと良い
  Or sair I hae mistae'n, O!       あやうく他人にたがうほど や
 Ye're no the lass,to pit me by,       子供でもなし 駄々こねず
  And bid me gang my lane,O!       私の言葉信じなさい や

 And quhere's the ring that I gied ye,     時に私の指輪はどこへ
  Ye little cutty quean,O!        可愛い姫様あなたにあげた や
 −I gied it till an ox-ee[tomtit],      ウシメさん にあげちゃった
  A kind sweat-heart o'myne,O!     わたしの愛しいあの人に や

 これと同じ物語を,本当の鳥のお話しとして*1 仕立てたものに『ジェニィ・ミソサザイの一生涯』 (The Life and Death of Jenny Wren) というトイ・ブックがある。1813年,エバンスによって出版されたもので, *2 標語には「うら若き紳士淑女諸君のお手もとに。とても小さなこの本を,とても手軽なお値段で,読んで聞かせて下さいな, 彼ら大人となるまえに」とある。
 ここでは,物語はかくのごとくはじまる――

 Jenny Wren fell sick          ミソサザイ・ジェニィ病みついた
  Upon a merry time,           そもめでたき御代のこと
 In came Robin Redbreast         赤胸コマドリ パン ワイン
  And brought her sops and wine;*3     かかえて馳せた君が床

 Eat well of the sop,          パン召しあがれジェニィさん
  Jenny,drink well of the wine.      飲みませワインもぐいぐっと
 Thank you Robin kindly,          ありがた山のコマドリさん
  You shall be mine.            あなたぞ妾の未来の夫

 コマドリの看護によって,一時は回復の兆しをみせたミソサザイではあるが,彼女は結局,コマドリの恋情をさかなでするような 振る舞いに及んだあげく死んでしまう。そして,絵本はこのような一節でしめくくられている――

 Poor Robin long for Jenny grieves,   コマドリ哀し むくろのみまえ
 At last he covered her with leaves.    枯葉かけかけ 愛しきおまえ
 Yet near the place a mournful lay     墓前にいおり 月日をくらし
 For Jenny Wren sings every day.    ジェニィがためになきくらす

 古くからある迷信によれば,コマドリは死人,特に不慮の死を遂げたものの骸の世話をすることになっている。 *4
 コマドリとミソサザイの婚姻に材をとったもう一つの物語が,詩人R・バーンズの妹であるベッグ夫人(Mrs.Begg) *5 の吟唱をもとに筆記されている。彼女はこれを,ずっと,兄バーンズの創作だと 信じていたそうである。物語は,王様の御前で歌うため,冬至の日の朝方に飛びたったコマドリが,途すがら次々と出食わす危険な存在, 「ポージー・ボードロン(Poussie Baudrons…猫)」,「グレイ・グリーディ・グレッド(the gray greedy gled…鳶)」,「トッド・ロイヤー (Tod Lowire …狐)」など*6 をあしらうさまを連ねてゆく。そしてコマドリは, 王と王妃の御前に歌い,褒美として「小さなミソサザイ」を妻に賜わり,それからそこを飛び去って,もとのブライヤーの樹に 帰ってゆくのである。(1870,p.60) その先の,彼らの結婚については何も述べられていない。
 これらの話が総じて,ミソサザイを雄鳥ではなく雌鳥として描いていることは,鳥狩りの歌において,この鳥には「王位」 が冠されているとしていることとは相入れないものであるが,おそらくは「鳥の王権」の方がより古い発想であろうと思われる。 たとえばマン島の伝説は,祭礼でこのミソサザイを屠る理由を,この鳥の正体が妖精,それも「女」の妖精であるからだとしているが, 概してこのような「解釈」は,その風習それ自体よりあとになってから成立したものである場合が多いものである。 ノルマンディ地方においても,ミソサザイを‘La poulette du bon Dieu'すなわち「神の雌鳥」と称することがある。また, スコットランドではこれを‘Lady of Heaven'(聖母マリア)とじかに結びつけた,次のようなわざ唄が唱えられている――

 Malisons, Malisons,mair than tens,  ちちんのぷいぷい 十よりもっと
 That harry the Ladye of Heaven's hen. これぞ吾が家ぞ 聖母の雌鳥(トット)
 (1870,p.186)*7

 コマドリとミソサザイの婚姻を物語としたトイ・ブックは他にもあるが,こちらではコマドリが死ぬことになっている。 そのトイ・ブック『コック・ロビンとジェニィ・レンの求婚・結婚・披露宴』(The Courtship, Marriage, and Picnic Dinner of Cock Robin and Jenny Wren) が初めて世に刊行されたのは1810年,版元はハリスであった。この本ではコマドリとミソサザイだけではなく, 様々な動物たちが祝宴に参加してくる。雄鶏は笛吹き,『ハッバードおばさん』の本を持ったカラスは牧師,歌手の雲雀…そのほかベニヒワ, ウソ,クロウタドリなどもみな何かしらの役割を担っている。そして,続く野外晩餐会においては,大鴉(raven) は胡桃の実, 犬のトレイ(Tray)は骨を一本,フクロウは小麦を一束,鳩がカラスエンドウ(tare)と,各々が様々な食べ物を持ち寄ってくるのである。 しかし,宴もたけなわとなったその時――

 When in came the cuckoo            そこへと狼藉
  And made a great rout,             郭公参上
 He caught hold of Jenny             花嫁ぼてくり
  And pulled her about.              宴は惨状

 Cock Robin was angry              コマドリ怒り
  And so was the sparrow,             義なりと雀
 Who now is preparing              すぐさま手練の
  His bow and arrow.               弓矢をつがえ

 He aim then he took,              狙いはしたもの
  But he took it not right,             飛んでくどこか
 His skill was not good,              もともと下手だか
  Or he shot in a fright,              損じたものか

 For the cuckoo he missed,            郭公はずれて
  But cock robin he killed,             コマドリ殺す
 And all the birds mourned            衆鳥哀しまざるはなし
  That his blood was so spilled.         彼の血汐ぞ地にこぼる

――思い起こせば,カッコウは(*破壊の鎚ミョルニールを持つ)雷神トールの眷属である。また幸福な結婚生活の反兆とも されているではないか。*8
 この手の「鳥の結婚」を描いたお話しはこればかりではない。フランス,スペインでも,鳥の求婚と結婚,最後は悲劇で終わるという 同様のお話しが数多く報告されている。たとえばラングドックには《ヒバリの結婚 Lou mariage de l'alouseta)というお話しがある。 これは――

 Lou pinson et l'alouseta         アトリにヒバリ
 Se ne voulien marid・ (M.L,p.490)   結婚しょうと思うたが
      (以下Ecken.の英訳による)   式の初めの日になれど
                      御馳走なにもございません

――という一節に始まり,アブはローフ(loaf)を一切れ首からさげ,ブヨは酒樽,蝶は大きな肉切れを,雀は葡萄を持ち寄ってくる。 そして,寝床からノミが飛び出し,ダンスをはじめ,ぼろ服からはシラミが現れ出でてノミと手をとり踊りだし,ネズミが穴から出でて 太鼓叩きを務めたところを,猫が急襲,一切をむさぼり食らう,となっている。


 これとまったく同じ筋書き,ほとんど同様の形態ではあるが,スペインはカタロニア地方(西班北東部)に語り継がれている 《ゴシキヒワとツバメ》(La golondrina y el pinzon) には,その陽気なネズミと,破壊的な猫の登場する部分はない。(Mi,p.398) 同様の話しはほかにも,フランス中部や北部で採録されており,その中のあるものは1780年に刊行されているという (Ro,Ⅱ,p.180,212/D.R,p.106)。おそらくは,そうしたものが伝えられたのであろう,カナダには《ヒワと五十雀》(Pinson et Cendrouille)という歌がある。(G,p.257) これには,ネズミがフィドルを弾き,猫が襲来してお楽しみを台無しにするという 例の結末がちゃんと付いている。


 これら鳥の婚姻譚と比較されるべきものに,ノミとシラミが世帯をもって災難にあう,という一連のお話しがある。カタロニアでは 《ノミとシラミ》(La purga y er piejo)(Ma,p.74),ラングドックでは同様の話しが《アリとノミ》(La fourmiho e le pouzouil) のお話しとして伝えられている。(M.L,p.508) 形式上,これらの物語は,我が国の鳥の婚姻譚ときわめて近しいものである。たとえば, そこには客が祝いの品を持ちよる祝宴があり,同様に悲劇的に幕を閉じる無礼講がある。


 スペインの《ノミとシラミ》という物語のさらなる類例とされるものに,グリム童話集に収められている《シラミとノミ》 (Laüschen und Flöhchen No.30)がある。しかし,この両者ではドイツの例の方が,積み上げ式暗唱法によって唱えられ, その内容もより原初的である。ここには結婚式に関するくだりはない。物語はシラミとノミが二匹で一つの世帯をもち, 卵の殻の中でビールを醸造しようとするところから始まる。シラミが誤ってそのなかに落ちてやけどを負うと。たちまち, ノミがわあわあと泣き出し,ドアがきしみ,ホウキは掃いて,荷車がそこらを駈け回り,糞の山がぷんぷん匂いを発し, 木々はざわざわ枝葉をゆする,という騒動がひきおこされ。それは小川によってすべてが流し去られるまで続く, *9というものである。


 我が国にも,これとほとんど同じ筋書き,かつ積み上げ体で,内容的にも同じくらい原初的な物語が伝えられている。その物語, 《ティッティ・ねずみとタッティ・ねずみ》(Tittymouse and Tattymouse)は,かなり古くからあったものとされている。(1890,p.454) 物語は,ティッティとタッティが麦を借りに(もしくは落穂拾いに)行って,プディングを作ろうというところから始まる。 鍋がひっくり返って,ティッティが火傷で死んでしまったことから,タッティは泣き出し,腰掛けは跳ね回り,えだぼうき(besom) は掃き回り,窓はきしみ,木々は葉を落とし,鳥は羽毛を脱け落とし,少女はミルクをこぼす。最後には一人のおじいさんが梯子から落ち, すべてが瓦礫の下に葬り去られるのである。‘Tittymouse’と‘Tattymouse' は,ふつうネズミであるとされているが,‘Tittymouse' という語はまた‘tit-mouse'(シジュウカラ)とも符合する。また‘Titty and Tatty’という語は(*‘Humputy-Dumpty’などと同様に ・参第10章) もはや本来の意味のはっきりしない押韻合成語の一つでもある。


 これらの物語の構想には,すべからく太古の風習をほうふつとさせるところがある。たとえば,結婚式が来客による持ち寄りの, 共同形式の祝宴であること。さらに一個人の死が,多数の死を引き起こす(*殉死)というのもそうであろう。こうした様々な類例を 比較してみると,積み上げ形式をとる物語の方が,内容から案みても,より原初的なものであることが分かってくる。このことは, この積み上げ式の吟唱それ自体が,押韻詩歌以前の,原初期の文学における代表的な形式であるという考えを裏付ける一つの証例に なるのではないだろうか。
 先にあげたトイ・ブック『コック・ロビンとジェニィ・レンの求婚・結婚・披露宴』は,コマドリの死因を雀の不注意に帰している。 この雀という鳥は,我が国で最も古く,最も完成されたわらべ唄の一つにおいても,同様にコマドリの死をひきおこす者とされている。 そこにはまず,一つの惨劇としてのコマドリの死があり,続いて彼の血が秘蔵され,その骸が荘厳に弔われたことが吟われる。収集1744 および1771 における,この弔い歌は以下のようなものである――

1.Who did kill Cock Robbin ?          誰が殺した駒鳥をのこ
  I said the sparrow,              わたし と雀
  With my bow and arrow,           弓矢は手練
 And I did kill Cock Robbin.          殺しましたよ駒鳥をのこ

2.Who did see him die ?             誰が見たるかそのいまわ
  I said the fly,                 わたし と青蝿
  With my little eye,               小さな目々で
 And I did see him die.            わたしは見たり死のいまわ

3.And who did catch his blood ?        さて誰が受けたか彼の血潮
  I said the fish,                わたし と魚
  With my little dish,              小皿の中さ
 And I did catch his blood.          わたしの受けた彼の血潮

4.And who did make his shroud ?        さて誰が縫うか死に衣裳
  I said the beetle,              わたし と黄金虫(コガネ)
  With my little needle,             お針子請われ
 And I did make his shroud.         わたしが縫うのさ死に衣裳

 この《コック・ロビンの死とお弔い》(The Death and Burial of Cock Robin)という唄は,ロンドンのマーシャル, *10 バンベリーのラッシャーをはじめ,様々な出版業者によりトイ・ブック化されている。 サウス・ケンジトン博物館に展示されたパーソン所蔵の初期のトイ・ブックの一つにも,この弔い歌の詩句に古風な挿絵を添えたものが あった。「可愛いくて,ぴかぴかの玩具本,男の子にも女の子にも」という標語のつけられている,マーシャルのトイ・ブックでは, この唄は以下のような一節で始まる。しかし,この詩句は,先にあげた収集1744年にもすでにとりあげられている,本来別個の唄である――

 Little Robin Redbreast           小っちゃな胸赤コマドリ
  Sitting on [or sat upon] a pole,        竿のうえ立ってた
 Niddle noddle [or wiggle waggle]        きっくんかっくん
  Went his head [or tail]           首をふり(尾を振って)
 And poop went his hole.           ぷーりぷりうんちたれた

 これに続いて,コマドリの死んでいる場面が描かれているが,そこにはまたこんな言葉書きが付されている――

 Here lies Cock Robin, dead and cold,    ここにコマドリ 骸は凍り
 His end this book will soon unfold.      彼氏の最後がこの書の由来(オコリ)

 これに先にも引用したような四連の詩句が続き,さらにその後に,墓掘りのいなせなフクロウ,聖書を読み上げる牧師のカラス, 行者が如く「アーメン」と唱えたヒバリ,夜に来るというトビ,ミソサザイの夫婦,草葉の蔭に座すツグミ,弔鐘を引き鳴らす牛, などの登場するさらなる詩句が続いている。


 他のトイ・ブックには‘fly'(蝿)が‘magpie'(カササギ) になっているものがある。また先に述べた初期のトイ・ブックの挿絵から, もと鐘を鳴らすものは‘bull'(牛)ではなく‘bullfinch'(ウソ)であったことが分かっている。
 マーシャルのトイ・ブックは,次のような一節でしめくくられている――

 All the birds of the air          お空のすべての鳥たちは
 Fell to sighing and sobbing        すすり泣くやら歎息そぞろ
 When they heard the bell toll       弔い鐘は鳴り響く
 For poor Cock Robin.          哀れなりけり,コマドリをのこ
 (1849年 リプリント版 p.169)

 このコマドリの弔い歌の古さは,フランス,イタリア,そしてスペインなどに通行している海外の類例と比較することによって 明らかになってくる。これらの類例においても,その葬儀の主宰者たちはたいがい鳥となっているが,肝心の「死んだもの」の正体は, はっきりしない場合が多い。


 ドイツでは彼は‘Sporbrod(カビたパン)'とか‘Ohnebrod(パン無し君)'と呼ばれている。(Sim,p.70) これらはおそらく「貧乏人」 を意味する言葉であろうと思われる。メッケレンブルク(独北東部) に流布しているものは,我が国のそれよりずっとシンプルな形態を している。

 Wer is dod ?−Sporbrod.       死んだのたぁれ−カビつきパン子
 Wenn ehr ward begraben ?      お弔うのは何刻何時(ナンドキナンジ)?
 Oewermorgen abend,         あすの夕べに 
mit schüffeln un spaden,        鋤鍬さげて
 Kukuk is de kulengräver,        カッコウ墓掘り
 Adebor is de klokkentreder,       コウノトリ鐘打ち
 Kiwitt is de schäuler,          タゲリは行者の役回り
 Mit all sin schwester un bräuder.    兄弟姉妹うちそろい
(W,p.20)*11

 ラングドックでは《鐘の音》(La Champanas)という唄が歌われている。そのあるヴァージョンはかように始まる――

 Balalin,balalan,La campana de Sant Jan   バラリン バララン 鐘の音 サン-ジャン
 Quau la sona? Quau la dis?          誰がため響くと誰ぞ云う
 −Lou curat de Sant Denis.          サン-デニ 町の司祭云う
 Quau sona lous classes?           その鐘誰が鳴らす
 −Lous quatre courpatrasses.         四羽のカラス
 Quau porta la caissa?             誰が棺を担うかな
 −Lou cat ambe sa maissa.           猫がてづから
 Quau porta lon do・             誰が喪主するか
 −Lou pèirou. (M.L,p.225)*12         ヤマウズラ

――これの異版には,故人の持ち物が葬式に参加するという,特徴あるものがあり――

 バランリ バランル,シンジョウ(Yssingeaux)の鐘の音四月中響く
 死んだのだあれ?−お庭のジャン(Jan dos Ort) よ
 誰が墓場へ担いゆく?−彼氏の上着
 誰が付き添う?−彼氏の帽子
 誰が喪主なるか?−青ガエル
 誰が歌うか?−ガマガエル
 誰が見捨てた?−彼氏の木靴
 誰がそう言うた?−ジャンの子よ(?Jan the less)
 死出の手向けの品はなに?−犬の足でもやりましょか
 何処でそいつを求めよか?−シャレンコ(Chalencons)辺りにゃたんとある
 (M.L,p.232)(*原文なし英訳より)*13

――この‘Jan dos Ort'は,他の版において‘Jean le Porc'(豚のジャン)とか‘le père du jardin'(お庭の親爺), また近年の例では‘le père petit'(小さな親爺)ともされている。(M.L,p.226,230)
 イタリアの例はきわめて短く――

 Chi èmorto? Beccotorto.          誰ぞ御罷り?−口曲り
 Chi ha sonato la campanella?         誰が鐘をば打ち鳴らす? 
 Quel birbon de pulcinella.(Ma,p.133)*14   悪戯ピエロに頼んで任す

 またスペインのものも大して長くはない――  

 ? Quién s' ha muerto.−Juan el tuerto.   玉楼閣中誰ぞ逝かん? 片目のユアン
 ? Quién lo llora?−La señora.        誰が喪主ぞや? 彼が妻
 ? Quién lo canta?−Su garganta.      誰が歌うか? その喉が
 ? Quién lo chilla? −La chiquilla.      誰の泣くとぞ? その子供
(Ma,p.62)*15

 ヴィクター・スミス(Victor Smith *不詳)は,これらの歌唱を参照し,フランスやスペインの唄に見られる「ジャン」もしくは 「ユアン」。また「庭の親爺」とも呼ばれ,犬の肉を食物として与えられるその存在の正体を追求した。その解説に彼は, 牧羊神パンの伝説を引き,それが御庭の父(father of gardens)とみなされていたことや,その供物としては犬の肉が捧げられていたことを あげている。(M.L,p.227) 犬はパン神の祭,ルペルカリア(Lupercalia)* における主要な生贄の動物である。また, ルペルカリアの開催は四月。実際,この「四月」という言葉はフランスの歌のなかにも唱われている。もしこの説が正しければ, フランスやスペインで唱われているジャンとかユアンの弔い歌は,「鳥の生贄」ではなく「犬の供犠」の記憶を今にとどめているものだ ということになる。*16


しかし,イタリアの例にいう「口曲り(Beccatorto)」は鳥のイスカ(crossbill) のことであろうし(R,II,p.160),また, その他の海外の歌唱においても我が国のそれ同様,「鳥」が喪客の主要な地位を占めているではないか。


〈第17章注〉
○訳者補足
日本で出されたある解説書に‘Cock Robin’の唄を評して,「雀はなぜ罰されないのか、実に不思議な唄である云々」と書いてあったが、 J.Rusherのトイ-ブック (c.1820) を始め幾つかの版には‘All the birds …' の一節の後に――

    To all it concerns,            縁者一同皆様方へ
     This notice apprises           お伝え申すこの知らせ
    The sparrow's for traial         かの雀奴の罪科は次回
     At next bird assizes.           鳥類会の裁きの白州

――と云う言葉書きがあるし、未見だが“The Traial and Execution of the Sparrow for Killing Cock Robin(W.Darton,1806)" というトイ-ブックがあって、有罪判決を受けた雀は最後で裁判長の鷹に食い殺されるらしい。この唄には様々なヴァリエーションがあるが、 それらを大体まとめてみた。四節目までは本文に記載があるのでヴァリエーションのある個所のみをあげ注を付す。特記なき節はOXDNR からの引用である――

2.var.Who saw him die?
   I,said the Magpie,
   With my little eye,
   I saw him die.
   (J.G.Rusher,c.1820)

4.var.Who made his shroud?
 a  I,said the Eagle,
   With my thread and needle,
   I made his shroud.
   (Rusher,c.1820)

4.var.Who made his shroud?
 b  I,said the beadle,* 
   With my little needle,
   And I made his shroud.
   (JOH,1849)

5. Who'll dig his grave?      誰が彼氏の墓を掘る
  I,said the Owl,          おいら とフクロウ
  With my spade and showl,*     鍬鋤持とう
  And I'll dig his grave.     おいらが彼の墓を掘る
  (JOH,1849) 

6. Who'll be the parson?      誰がなります牧師さん
  I,said the Rock,         わたし と烏
  With my little book,       小本を欠かさず
  I'll be the parson.       わたしがなります牧師さん

7. Who'll be the clerk?      誰がなるのかその行者
  I,said the Lark,         わたし と雲雀
  If it's not in the dark,     なるべく昼に
  I'll be the clerk.       なればなりますその行者

8. Who'll carry the link?     誰が担うか松明を
  I,said the Linnet,        わたし とベニヒワ
  I'll fetch it in a minute,    またたくいとま
  I'll carry the link.      取り来て担うよ松明を

9. Who'll be chief mourner?    誰がつとめる彼の喪主
  I,said the Dove,         わたし と小鳩
  I mourn for my love,       つくすはハート
  I'll be chief mourner.     わたしはつとむ彼の喪主

9.var.Who'll be chief mourner?
   I,said the Swan,
   I'm sorry he's gone.
   I'll be chief mourner.
   (Rusher,c.1820)

10. Who'll carry the coffin?    誰が担うかその棺
  I,said the Kite,         わたし と鳶
  If it's not through the night,  夜更けは無理
  I'll carry the coffin.     でなきゃ担おうその棺

11. Who'll bear the pall?      誰がかざすか覆い布
  We,said the Wren,         わしら とミソサザイ
  Both the cock and the hen,    ともども夫妻
  We'll bear the pall.      わしらはかざす覆い布

12. Who'll sing a psalm?      誰が歌うか賛美歌を
  I,said the Thrush,        わたし とツグミ
  As she sat on a bush,       草葉の蔭に
  I'll sing a psalm.       わたしは歌う賛美歌を

var.of 11 or 12 *
 Who'll lead the way?           
  I,said the Martin,
    When ready for starting,         
    I'll lead the way.
    (Nusery Rhymes,1958)

13. Who'll toll the bell?      誰が鳴らすかその鐘を
  I,said the Bull,         わたし と雄牛
  Because I can pull,        力もあるし
  I'll toll the bell.       わたしが鳴らそその鐘を


*beadleは小役人。教区官吏。
*フクロウの道具は‘mattock and spade'‘spade and trowel' ‘Pick and shovel'等 var.が多い。本文にもある「いなせなフクロウ」とは言葉書きの――

  This is the Owl so brave,
  That dug Cock Robin's grave.

――に由来する。

*Bullの節の前または後につく一節。他でいう‘Linnet' の節に相当する。

また第四句,もしくは節末に‘And so Robin Farewell' の一句を持つvar.も多い。W.Dartonの出した“The Death and Burial of Cock Robin" (1806)には‘All the birds…’の節の後、更に墓を埋める‘Hawk so brave'遺言を読み上げる‘Daw' 墓碑を刻む‘timmid Hare'の登場する三節が続き,知る限りにおいてはもっとも長いヴァリエーションである。

○訳者補注
*1  Herdの全文は見られなかったが、Chambersはこれを‘allegorical'(寓話的な、たとえ話しの)な歌という。 若者の恋愛関係を鳥に仮託して吟ったものだろう。OXDNR,p.243 によればこれのtuneとされた‘Lennox love to Blanter' は 1710年までさかのぼることができるという。

*2  OXDNR p.243 によれば,エバンス版のcopyright は1800年T.Evans によるものがある。 この1813年版はJ.Evans とその息子によるもの。

*3  ‘sop'は牛乳や酒、スープなどに浸して食べるパン切れ。病人食の代表。

*4  J.ブランドはこの俗説を民歌“The Babes in the wood"に由来するという。悪伯父によって 森深く捨てられ、森をさまよい死に果てた二人の子供を哀れみ、コマドリは木の葉でその遺骸を覆う。上記の詩句もむしろ これを本歌取りしたものであろう。

*5  R.Burns(1759〜1796)にはアグネス(1762〜1854),アナベラ(1764〜1832),イザベラ(1771〜1858)という 三人の妹がいる。いづれが Mrs.Begg なのか,管見にして不明。研究者のご教授を待つ。ちなみにR.Chambersは “Life and Works of Robert Burns"(1856) の著者でもある。

*6  この他最後に‘callant'(男の子)がパン切れを出してコマドリを誘う場面がある。

*7  ‘Mallison’は蘇格語の呪いの言葉だという。何かのまじないか?不詳。

*8  ‘Cuckoo' はコキュ(寝盗られ男)に通ず。 シェイクスピア『恋の骨折り損』にいわく――

    Cukoo,cuckoo,O,word of fear,      クックー クックー やな言葉
    Unpleasing to a married ear.       女房持ちならみなそうだ

――カッコウが雷神トール の眷属というのは、この神の働く夏の風物詩であるため。(第9章訳注参照のこと) また結婚生活の敵であるこの鳥によって、反対に結婚の年を占う歌がある。上記シェイクスピア詩と共に参照されたい――

    Cuckoo,cuckoo,tell me true,      カッコウ カッコウ 教えて本当
    When shall I be married?        嫁ぎゆくまであとなんぼ
(ANMG,p.211)

*9  用いた訳本の為だろうか。このお話しに関する Ecken. の記述には グリムの原典との相違が多い。原典では 「火傷」とあるところを Ecken.は‘drown(溺死)'としているし、きわめつけに‘flea(ノミ)' と‘louse(シラミ)' が グリムの原典と逆である。グリム原典および金田鬼一訳(『完訳 グリム童話集』'81 岩波)により修正。

*10 OXDNR,p.132によれば マーシャルのこのトイ-ブックのcopyright は1770年。

*11 ‘Kiwitt' 現独語で‘Kiebitz'英語で‘pee-wit'千鳥の類。田計里。

*12 ‘Sant Jan' および‘Sant Denis' はもしかすると寺院かもしれないが、ここではラングドック地方内の地名 St.Jean(-de Fos エロー県), St.Denis(オード県)であると解した。

*13 ‘Yssingeaux'オーヴェルニュ地方オート-ロアール県。
‘Chalencons'ラングドック東部アルデーシュ県の都市。

*14 原書原文なし。英訳のみ。OXDNR,p.133 より原詩を補足。

*15 エッケンシュタイン は‘Juan el tuerto' を,既述上注の唄の同類と見てか‘Crooked Juan'。 ‘señora'を‘swallow'など訳している。ここにある和訳はOXDNRおよび語辞書等を参考に原文から直接訳した。

*16 Panの原意は‘shepherd' であるとされる。ルペルカリア(または ルパーカス) 祭はパン神, もしくは狼より羊を守るLupercus神を祀る。一説にローマの建設者ロームルス の乳母たる牝狼を祀るともいう。
ちなみに,この論が成り立たなくなるので敢えて修正しなかったが、私の知る限り祭日は二月十五日である。原著者もしくは 典拠の記憶違いならん。


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