Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第16章 供犠の鳥


 「ミソサザイ殺し」の風習はフランスにおいても広く行なわれている。しかし,そこで唱えられてきた歌は,我々のものとは異なり, 実際の狩りの過程ではなく,いけにえとなる鳥の羽根をむしり,切り分けてゆくさまが吟われており,さらには,その詩句の形態も, 我々の歌のように反復により構成されているものではなく,積み上げ式の文体になっている。しかし,その内容も形態も, これらが同様の思考から派生したものの,一発展型に過ぎないことをあらわしていると思われる。


 ヴォクリュズ県(Vaucluse 仏南東部)のアトレイジュ(Entraigues 同県西部)では,クリスマス・イヴになると,男たちは老いも若きも ミソサザイ狩りに出かける。生捕りにされた鳥は司祭に手渡され,司祭はそれを教会内に放つのである。ミラボー(Mirabeau 同県東部)では,捕らえられた鳥は司祭によって潔められる。また,ここでは興味深いことに,その最初の鳥が女性によって 捕らえられた場合は,女性に,男をからかったり,辱めたりする権利――捕まえた男性の顔を泥や煤で真っ黒けにすること―― が与えられることになっている。カルカソヌ(Carcassonne 南仏)の町では,十二月の第一日曜日,サン・ジャ(Saint-Jean) 通りに住む若者たちが,手に手に棒切れや石つぶてを持ち,町の郊外へと狩りにくり出した。最初に鳥を仕止めた者は「王様」と呼ばれ, 行列を組んでその鳥を家に運び帰る。十二月の末,彼はおごそかに王として任命披露され,十二夜の日には教会のミサに参列, そのあと王冠をかぶりマント(cloak) をまとい,真面目ぶった行列を随え,地元の様々な有力者たち,司教や市長などを訪問したという。 この儀式は1819年ころまで行なわれてそうである。(1)
 鳥や人に対するこうした「見立て」は,我々の歌において,たかが「鳥」の運搬に,なぜわざわざ馬車(a cart or a waggon) があつらえられたりするのかということを解く鍵ともなろう。


 ブルターニュの民謡《鷦鷯むしれ》(Plumer le roitelet)は,こんな出だしではじまる――
                                  
 Nin' ziblus bec al laouenanic   いざ裂かん鷦鷯(ササエ)が嘴(ハシジ) 
 Rac hen峻 a zo bihanic…    なれば彼,まこと小さし…
 (L.I,p.72)

 これに続き,左目−右目−左耳−右耳−頭−首−胸−背−腹−左の翼−右の翼−左足のつけね−右足のつけね−左の腿−右の腿−左脚 −右脚,そして左足の一番目の爪からはじまり,両足すべての爪が順に連ねられてゆく。最後の句は「いざ裂かむ鷦鷯が尻尾」である。 ここから今度は逆行し,最初の「いざ裂かむ鷦鷯が嘴を…」まで復誦してゆくのである。


 これとは別に,ブルターニュには,捕らえられたミソサザイが,鳥篭で飼われ,屠殺人とその仲間たちが来て,どんちゃん騒ぎの口切りに, それを殺すまでを描いた詩歌というものも伝えられている。(L.I,p.7)


 筆者は,自由な歌鳥を篭に閉じ込めるという,この冷酷な趣味がどこからきたものか常々疑問に思っていたが,おそらくこれは, 供犠にかける生贄を飼い肥らせる風習に由来するものなのであろう。ブルターニュにおいても,我が国同様, ミソサザイは特別な禁忌の鳥とされており,俗信によれば,十二夜の夜には,ミソサザイの子鳥たちが各々の両親のいる古巣へと集まる。 ゆえにこの日には一切,彼らの邪魔になるような事をしてはならないとされている。ここには新たなる生命が芽ぶき始めるとされた, 冬至期における,殺生に関する信仰が反映されている。


 採集された歌からみて,フランスにおいて生贄とされ,屠られる鳥は,ミソサザイに限らなかったようである。たとえば, 北フランスには《雲雀むしり》(Plumer l'alouette) という歌がある――

 Nous la plumerons,l'alouette,          ひばりをむしれ
 Nous la plumerons,tout de long.         みんなでむしれ
 (D.B,p.124)

――続いて,嘴−両眼−頭−喉−背−両翼−尻尾−両足−両腿,そして爪が連ねられる。
 この歌の類例はラングドック州にもあり,《むかれた雲雀》(L'alouette plum仔) と呼ばれている。また,解説によると, これはあるゲームの遊び唄ともなっているそうである。(M.L,p.457)


 ツグミ(thrush)の解体を主題とする歌は,ブルターニュ北部(L.I,p.81)やラングドック州南部でも歌われており,総じて《ツグミを刻め》 (Dépecer le merle) と呼ばれている。一風変わったことに,ここでは鳥が刻まれながらも,なお歌い続けることになっている。 ラングドック州の例は――

 Le merle n'a perdut le bec,       嘴なしツグミ
 Le merle n'a perdut le bec,        嘴なしツグミ
 Comment fra-t-il,le merle,       ツグミや フラティル
 Comment pourra-t-il chanter?     プラティル 如何に鳴く?
 Emai encaro canto,le pauvre merle,merle, 高らに歌えあわれなツグミツグミ
 Emai encaro canto,le pauvre merlatou.   高らに歌えあわれな雄の黒ツグミ
(M.L,p.458)

――から始まり,続いて−舌−目が一つ−二つ−頭−首−翼が一つ−翼が二つ−足が一本−足二本−身体−背中−羽毛−尻尾, と連ねられるが,節ごとに,すでに解体されてしまったはずの鳥の述懐が,司祭の口からくりかえし唱えられるのである。


 フランス語の「メリル(merle)」という言葉は,ツグミ(thrush)とクロウタドリ(blackbird) の両方を意味する。 クロウタドリを崇拝する信仰は,我が国のシャロップシャー(英中西部)やモンゴメリーシャー(威中部)にも見られ, コンウォール(英南西端)には十二夜に「クロウタドリのパイ(blackbird-pie)」を食べるという風習がある(2)が, この鳥を特に生贄として殺めるといった事例はないようである。フランスの歌では,この鳥は殺されながらも歌い続けていたが, このことに通じる表現は,我が国のわらべ唄《六ペンスの唄》にも見られる。コンウォールにおいて実際に「クロウタドリのパイ」 が食べられていることや,フランスの歌のことを考え合わせてみると,この唄も実は,いにしえの「鳥の供犠」の記憶を留めたものなのではないかと思われる。 収集1744 では,この唄の二句目には「クロウタドリ」ではなく「わんぱく小僧(naughty boy)」が出てくるが,他の童謡集においては大体, 次のような唄となっている――

 Sing a song of sixpence,          うたえお歌は六文銭
   A bagful of rye,              袋は麦で一杯
  Four and twenty blackbirds       クロウタドリは二十四羽
   Baked in a pye              焼きこめたパイ

  And when the pye was open'd,        パイをひらけば
  The birds began to sing;           鳥鳴く突然
 Was not this a dainty dish         はてやこりゃまた
  To set before the king?            殿様御膳?

  The king was in his parlour          殿様 御殿で
   Counting out his money,           銭金勘定
  The queen was in the kitchen         奥方 勝手で
  Eating bread and honey,           おやつを少々

  The maid was in the garden         お女中お庭で
  Hanging out the clothes,           衣干す
  Up came a magpie            カササギ押し寄せ
  And bit off her nose.  (c.1783,p.26)     鼻つまむ

 ハリウェルの版では「小さなクロウタドリ(little blackbird)」に代り「カササギ(magpie)」が,さらに続いて――

  Jenny was so mad,              ジェニィは気が変
   She didn't know what to do,          あぶない奴
  She put her finger in her ear          耳の穴に指を入れ
   And cracked it right in two.       びりっと裂いたまっぷたつ

――という一節がある。
 ハリウェルの注によれば,1589年に出された『エピュラリオ・あるいはイタリア風祝宴』(Epulario,or,the Italian Banquet) *1 という本には「切れ目を入れると生きた鳥が飛び出すパイ」を作るためのレシピが載っているという。 もっともそれは,生きた鳥を,パイが焼きあがってから中に仕込むというだけのはなしであるが。これが単なる道楽に過ぎないのか, それともいにしえの信仰にのっとった,富の祈願かなにかに由来するものであるのかは定かではない。


 フランスのル・シャルム(Le Charme 北仏西部)やルワーレ(Loiret 北仏中部)では,かつて胸赤コマドリ(robin redbreast) を, 二月一日のキャンドル・ミサ(Candlemas)*2 の日に,屠って食べたという。(Ro,Ⅱ,p.264)  筆者の知る限りにおいては,フランスには,こうしたコマドリの供犠に関する歌はないようである。逆に我が国には,「コマドリ狩り」 がどこかで行なわれていたというような記録はないが,デヴィッド・ヘルド(3) やチェンバースの 本には,これを生贄としていたことが暗示されるような歌が採録されている。チェンバースが《コマドリの遺言》(The Robin's Testament) と題すところのこの歌は,コマドリがその死に際し,形見として遺すおのれの身体のほうぼうを,フランスの鳥の歌と同様に あげつらねてゆくというものである。それは,嘴からはじまり,髭毛−右脚−左脚−尾羽根−胸毛と続く。またその身体の部分部分には, それぞれ,ある種神秘的な意味合いが賦与されているようである。二つの版を混合してみると,この歌はおよそ次のようになろう――

 Guid-day now,bonnie Robin,       迎えの日だよコマドリさん
  How lang have you been here?      この世永らえ幾歳ぞ
 I've been bird about this bush       薮の庵に住み馴れて
  This mair than twenty year!        そうさ数えで二十てとこぞ
Chorus
 Teetle ell ell,teetle ell ell,         ティートル エル エル ティートル エル エル
 Teetle ell ell,teetle ell ell;         ティートル エル エル ティートル エル エル
 Tee tee tee tee tee tee tee,         ティ ティ ティ ティ ティ ティ ティ
 Tee tee tee tee,teetle eldie.         ティ ティ ティ ティ ティートル エルディ

 But now I am a sickest bird        されど吾ほど茂みのうちで
  That ever sat on a brier;          病をえたる鳥はなし
 And I wad make my testament,      さてはのこそうこの遺言
  Guidman,if ye wad hear.          神様どうぞ伝えたし

 Gar tak this bonnie neb o'mine,        これなる愛しき嘴は
  That picks upon the corn,         麦の粒をばはみしゆえ
 And gie't to the Duck o'Hamilton      これは家鴨の与作氏に
  To be a hunting horn.           こさえてくれろ狩の笛

 Gar tak these bonnie feathers o'mine,    これら愛しき羽毛のなかで
  The feathers o'my neb,           さらに美しこのお髭
 And gie to the Lady o'Hamilton      これは与作のかみさんに
  To fill a feather-bed.           布団に入れる綿にして

 Gar tak this guid right leg o'mine,      これなる無比の右脚を
  And mend the brig o'Tay;         とりてテイの橋葺けや
 It will be a post and pillar guid        それをば柱と欄干に
  It will neither ban nor gae.        決してするまいタガや桁

 And tak this other leg o'mine,        そして残りの脚をとり
  And mend the brig o'er Weir;       繕い直せやウェイル橋
 It will be a post and piller guid        それをば柱と欄干に
  It'll neither ban nor steer.         決してなすまい橋の脚
(これよりHerdのみ)
 Gar tak these bonnie feathers o'mine,    これら愛しき羽毛のなかで
  The feathers o'my tail,           さらに美しこの尾羽根
 And gie to the Lady o'Hamilton       これも与作のかみさんに
  To be a barn flail.             殻竿にでもしておくれ

 Gar tak these bonnie feathers o'mine,    これら愛しき羽毛の中で
  The feathers o'my breast,          さらに美し胸赤毛
 And gie to ony bonnie lad.         これは愛しき子供らに
  That'll bring to me a priest.        担いゆきませ吾が墓へ

 Now in there came my Lady Wren     そこに夫人のミソサザイ
  With mony a sigh and groan;      吐息歎息(トイキタメイキ)吐くとやら
 O what care I for a'the lads        この先どうして子供らを
   If my wee lad be gone?         貴男がここで死んだなら

 Then robin turned him round about     コマドリその時うろたえず
  E'en like a little king,           まさに小き王がごと
 Go,pack ye out at my chamber door,    さてや去り行け戸を閉めて
  Ye little cutty quean.           可愛い貴女よ小さな王女
(Chambersのみ)
 Robin made his testament        コマドリすべてを遺言と
  Upon a coll of hay            ま草の山の上で書く
 And by came a greedy gled         やがて鳶めがやって来て
  And snapt him a'away.          彼が身体をつかみ去る
(1870,p.38〜40)*3

 この《コマドリの遺言》と対比されるべきものに,フランスで多くの類例が採集されている《ロバの遺言》(Le Testament de l'Ane) という歌がある。《ロバの遺言》は,いわゆる「ロバ祭(Féte de l'Anne)」*4 にさいし, 教会の門前で唱えられていた歌である。この行事は,フランスのほとんどの町で,比較的最近まで行なわれていた。ドゥエ(Douai 仏北部 ノール県)の町では,1668年ごろ,すでに行なわれていたという。これは一頭のロバを教会の中につれこみ,キリストの聖家族を エジプトまで運んだロバやキリスト自身をエルサレムまで担った予言者バラムのロバなどのことを連ねたラテン語のお祈りを, ロバの鳴き声をあざえたカノン(輪唱曲)として合唱するというものであったが,教会内で行なわれるこの儀式に先立って, 教会の建物の外で,ロバの身体の各部をあげつらねた,問答形式の歌が唱えられていたそうである。(4)


そうした問答体の歌の一つ,フラーンシェ・コンテ(Franche-Comté仏西部旧州)で唱えられていた例では,死に臨んだ牝ロバは その形見として,足と耳を息子に,皮を太鼓打ちに,聖水はけ(aspergill 潅水器) の材料として尻尾を僧侶に, そして公証人のインク壷としてお尻の穴を遺すことになっている。(B,p.61)


 他の例は一般に,もっと長く詳細で,僧侶が子供に問答をしかけ,その子がそれに次々と,積み上げ式に答えてゆく形式をとるのが 普通である。


 ビュジャー(I.Bujeaud) は言う「ロバ祭りは,かつてとても盛んな行事であったのだろう。私は過去,何度となく,アングレーム (Angoumois 仏南東部旧州)やポワトゥ(le Poitou 仏東部)で,子供たちが,こんな歌を唱えているのを耳にしたことがある――」

Le prêtre: Que signifient           (司祭)何の験(タメシ)ぞ
     les deux oreilles de l'âne?          ロバの耳
L'enfant : Les deux oreilles de l'âne     (子供)ロバの耳こそ
      signifient les deux grands saints,     われらが町の
      patrons de notre ville.           守護聖人が験なり
Le prêtre: Que signifie la tête de l'âne?    (司)  何の験ぞロバ頭
L'enfant : La tête de l'âne           (子) ロバの頭は大鐘を
    signifie la grosse cloche et la langue     しゅもく打つなる
    fait le battant de cette grosse cloche     鐘楼の そびえてたてる
    qui est dans le clocher de la cathédrale   大聖堂にたてまつり
    des saints partons de notre ville.       われらが町をまもりつる
(B.I,p.65)                      聖人様が験なり

 歌は続けて,ロバの喉は大聖堂への入口,身体は建物それ自体,四肢は支えるその柱,心臓と肝臓は中を照らす大ランプ, 胃は食料倉庫,尻尾は聖水はけ,皮は司祭のマント,お尻の穴は聖水盤 としている。


 ロバの各部を吟ったこの歌は,現存するものの中では最も興味深い事例である。これは一見するとたんなる諷刺詩のようだが, 先にあげた《コマドリの遺言》や,鳥を生贄とする祭儀と共に伝えられてきた他の多くの歌,また同様に鳥の肉体各部をあげつらねた歌も, これと同じ発想を内包しているものであることは間違いない。よって,この歌も異教時代にあった何らかの儀式から引き抜かれ, 伝え継がれたものの一つと見なすことができよう。しかしながら,西欧でロバというものが知られるようになったのは,さほど昔の話では ない。「ロバ」という語はアーリア語族の一般名詞にはなく,従ってこれがどうして,異教時代の儀式と結びついたのかについては疑問が残る。


 マンハルドによれば,ドイツでは「ウサギ」という言葉を忌み,同じように長い耳を持つ「ロバ」に言い換えることが, 風習として各地で広く行なわれいるそうである。一般に,この言換えは「ウサギ(*Hase ハーゼ)」という語が「エゼレィン(heselî)」 「エゼルケン(heselken)」*5 と発音上近しいところからきたものとされている。(M,p.412) 


 しかし,西欧世界におけるロバという語が,もともとは他の動物を指していた言葉であったとしたならばどうだろうか。そこで, あらためて我が国の言葉を案じてみると,実に以下のような事実が浮かび上がってくる。  


 たとえば‘Dicky'という語は,一般に鳥,特に篭の中で飼われる(*もしかすると生贄の儀式と関係あるやも知れない行為) 鳥によく付けられる名前であると同時に,ロバ,正確には雄のロバの呼称としても広く用いられている。(5) また逆に,ロバの愛称としてよく使われる‘Jack-ass'‘Betty-ass'‘Jenny-ass’などという語の形式は,鳥,特に小型の野鳥を指す ‘Jack-daw'(コクマルガラス)‘Mag-pie'(=Maggie-pie カササギ)‘Jenny-Wren'(ミソサザイ)などの言葉のそれとほぼ同じ形式である。 さらに,‘Jack-ass' という語自体,四足獣だけでなく,実際ある種の羽毛の属をも指すことがある*6 のだ。こうした愛称(nickname)というものは(*忌み言葉同様,避邪などのため)ある生物の真のアイデンティティを隠蔽しようという 願望から生じたものであろうとされている。


 スコットランドにおいてもロバを意味する‘Cuddy'という語は,ヨーロッパカヤクグリ(hedge-sparrow) やアカライチョウ(moor-hen) を含む数種の鳥に対しても用いられている。‘Cuddy'はまた,人名のクースバート(Cuthbert)の略称でもあり,ミソサザイに対して 用いられる形容詞‘cutty'との関連も匂わせる(cf.上注書 p.176,193)が,その語源や本来の意味については未だ不明である。
 同じような名詞の重複はフランス語中にも存在する。フランスで一般にロバを指す語は「マルティ(Martin)」であるが (Ro,Ⅳ,p.206,223,233),この語は‘martin pêcheur'(カワセミ)‘martin rose'(ヨタカ)‘martinet'(アマツバメ)などのように, 鳥の名前にもあてられている(Ro,Ⅱ,p.70)。筆者の知る限り,ドイツでは,鳥狩りの歌は一例も採集されていないようであるが, ここにも「マルティンズフォーゲル(Martinsvogel)」*7 という言葉がある。これは鳥占い(augury)に用いられる不特定の鳥,場合によっては「赤い胸を持つ」鳥,を指す語である(Gr,p.946)。 *8 また,俗言で「ロバのマルティンよりかはましな奴 (Es ist mehr als ein Esel der Martin heisst)」*9 ということも言う。(Ro,Ⅳ,p.233) ベールメン(Barmen 独西部・現Wuppertal)の町の少年たちは,聖マルティン祭*10 前夜,ご祝儀を乞いながら通りをねり回るのだが,何もくれないような人があると,このようにはやしたてて歌うという(B,p.363)――

 Mäten ist ein Esel,      マーティンはロバよ
 Der zieht die Kuh am Besel.  バーゼル町まで牝牛を牽くよ
 (こ奴の財布には銭がない の意)

 今ある,こうした様々な事例から,西欧諸国においては「ロバ」という語が,なぜか「鳥」と混同されて用いられているのだ ということは分かる。しかし,これが一体,何時,如何なる理由からきたものなのかについては,いわく解き難い。
 キリスト教の聖職者たちが「ロバ祭」に対して寛容であったのは,ロバという動物が,新約・旧約いづれの聖書中においても 重要な表象を有するものであったためだろうが,その「ロバ」の導入が,何か他の動物の代用としての意識的なものであったのか, それともかつて鳥が占めていた地位をたまたま引き継いだに過ぎないものなのかはよくわからない。

〈第16章注〉
○原注
1  Rolland 既述二巻 p.295など及びFrazer既述二巻 p.445などより
2Folk-Lore" 1900年7月号p.227 N.W.Thomas‘Animal Superstitions'
3  David Herd 既述 二巻 p.166 
4  Madame Clémént“Histoire des fêtes civiles et religieuses du Nord" 1834,p.184 及び Glossarium Du Cange“Festum Asinorum" 参照
5  Murray's Dic. Dicky,cuddy,ass,Jackassの項参照

○訳者補注

*1  原文“Empulario or…” JOH原文により修正。

*2  おそらく二月二日の間違い。聖別したロウソクを会衆に別つ行事「聖燭祭」。現在はクリスマス-イヴに 行なわれることが多いが,旧習では聖母マリアの潔めの日,幼児イエスの奉献の日である二月二日に行なわれていた。

*3   Tay橋は蘇中部の Tay河にかかる橋。Chambersの注によればWeir橋は蘇南西部・レンフルーシャー州を流れる Cryde河流域の橋。同版では歌詞中の‘ban'が‘bow'(橋を吊るアーチ)になっている。‘post'は(アーチの)支柱,‘ban'は‘band'(たが), ‘gae'は橋桁(girder),‘steer'は橋脚と推して訳したが定かではない。

*4  『動物シンボル事典』‘âne'(ロバ)の項には,「ロバ祭」はクリスマスの日に祝われたとある。 ボーヴェの町では聖母に扮した娘がロバにまたがって教会へ赴き,司祭はミサの終わりにロバの鳴声をまねてみせる。 俗にロバの背中の十文字模様(背梁と肩口の交差縞)は主イエスを乗せた栄誉の聖跡であるという。

*5 おそらく古い独語で現在の‘Eselein'‘Eselchen' に当たる表記であろう。 どちらも(子供の)ロバ,小さなロバ,の意。

*6  オーストラリアの珍鳥ワライカワセミ(Dacelo gigas) のことを‘laughing-jackass' ともいう(今は一般には‘laughing-Kookaburra')。鳴き方がロバのようだったため。北米で大型の野ウサギ を‘jack(ass)-rabbit' と総称するなどはドイツの例に似てなくもないが, OEDなどを見るとこうしたの動物名は主に 18,19世紀になってから付けられたようであり,残念ながら余りここの引証に足るとは思えない。

*7 グリムの辞典によれば‘Martinsvogel' はハイイロチュウヒ(falco cyaneus) 聖マルチン祭(後注)の頃姿を見せるとあり, 他ミソサザイ,カワセミ,カラス,ガンなどともされるという。

*8  J.グリム原典にある独の童謡ではこれを‘bald rothen rock, bald goldnen flügel;'(赤いおべべで黄金の翼) とは吟っているが,これは本文にあるような‘redbreast'という表現と必ずしも同じではない。

*9 「ロバよりかはいくらかましな(だけの)まぬけ野郎」という罵言。

*10 MartiniまたはMartimas。11月11日。古の酒神バッカス祭の流れを汲む収穫祭。聖マルティンは酔払いと 宿屋の主人の守護聖人。


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