つぎには,その内に異教的な性格を秘めている式目聖歌の例を見てゆくこととしよう。追って紹介する通り,
それにはブルターニュ,スペイン,スコットランド語の例があり,また歌の形になっているものがいくつか,
イングランド各地に流布している。それらの中で,最も意味深く,また複雑なものはブルターニュで採録された諸例である。
その一つに《蛙の晩祷》(Les v pres des grenouilles)と呼ばれるものがある。これは説法のような形式になっており――
Can caer,Killoré うたえキローレ高らかに
−Iolic,petra faot dide? イオリク何をうたいましょう
Caera traï a gement orizoud ti. 美なるものをば知るかぎり
(L.I,p.95)
――と始まる。続いて,一はメアリに捧げた銀の指輪,二は二つの銀の指輪,三は宮殿の女王,四に侍者,五頭の黒牛,
六人の兄弟と六人の姉妹,七つの日に七つの月(*七日七夜),八羽の空飛ぶヒタキ,*1
九人の武装した若者,岸辺についた十隻の船,十一頭の雄豚,十二振りの短剣,が列挙される。ここにある,
一から十二の事象と数のとりあわせは,先に述べた〈クリスマスの十二日間〉のそれに限りなく近いものと言ってよかろう。
ブレトン語の式目聖歌にはより長い版がある。それを載せた本の編者はこれを宗教的な教儀の歌唱と解釈し,
さらにその起源を古代のドルイド教に求めている。それはこのような出だしで始まり――
Beautiful child of the Druid, ドルイドの美しき子
Answer me right well. かなえよ我が望み
−What would'st thou that I should sing? −何を歌うがお望みか
Sing to me the series of number one, はじめの歌を唱えておくれ
That I may learn it this very day. 覚えゆかしき今日この日
−There is no series for one, この世にはじめなるはなし
One is Necessity alone, 唯一確かなことなるは
The father of death, 父なる死こそ
There is nothing before and nothing after. あとさき無比ぞ
――二はくびきを連ねた二頭の雄牛。三は世界の,そして人間とオークの樹にとっての世界の創成・発展・終末,
また魔法使いメルリンの仕えた三つの王国。四は「勇者の剣」を研いだメルリンの砥石。五は地球上の区分にして時の区分。
また女の膝の上の五つの石。六は月の力を受けて赤ん坊たちに生命が宿り胎動をはじめる時期。七は太陽と月,そして諸惑星を合わせた数,
または牝鶏座(La Poule =北斗七星)の星の数。八は風向き,そして五月のウォー・マウンテンにかかげられる八つの大松明。
九ではレザルムーア砦の小さな白い手のこと,うめく乙女たちのこと,さらに髪を花で飾り月光の下,白いローブをまとって
井戸の周りを踊りめぐる乙女たちのこと,そして――*2
‘The wild sow and her young 牝の野豚とその子らが
At the entrance to their lair, 巣穴の口で
Snorting and snarling,snarling and snorting; ぶううう ううぶう
Little one,little one,hurry to the apple tree, 一や一やリンゴの樹へ急げ
The wild boar will instruct you' きっと雄豚が教えてくれる
という一節の後,十はナント(Nantes)*3 より押し寄せた敵船――
‘Woe to you,woe to you, 災いあれ 報いあれ
Men of Vannes' ヴァンヌ*4 の者よ
十一は僧侶――
‘Coming from Vannes with broken swords 来たりけるかなヴァンヌから
And blood-stained garments, 折れた剣に血染めの衣
And crutches of hazelwood, ハシバミの樹の杖ついて
Of three hundred only 三百ただ中残りしは
These eleven one are left ’ たかが十一なりけるぞ
十二は一年の月と天宮(*signs…黄道十二宮)の数となっている――
‘Sagittarius,the one before the last, 射手座は終わりの一つ前
Lets fly his pointed arrow. さあさ飛びゆけ定めの矢羽根
The twelve signs are at war. 十二の星座はいくさ場なるや
The black cow with a white star on her forehead 額に星生う黒牝牛
Rushes from the forest(des despouillés)*5 森の中より駆け出して
Pierced by a pointed arrow, 定めた矢羽根に射抜かれて
Her blood flows,she bellows with raised head. 血汐溢れつ一声鳴いた
The trumpet sounds, ラッパの音
Fire and thunder,rain and wind. 炎に稲妻 雨に風
No more,no more,there is no further series. ’ はやなし はやなし 更なるものは
(H.V,p.1)
この歌にある幾つかの事項は,同じブレトン語の短い歌の方にあったものと合致する。たとえば七は曜日の数,八が風,十は船である。
スペインで採集された類例の,答えの部分の形式は,注目すべきヴァリエーションとなっている。すなわち,この例ではその数説きの多くが,
ある数と,それより小さい数との組み合わせによって構成されているのである。たとえば,一は運命の輪であるが,二は時計一つと鐘一つ。
三は左官屋のこての握り(? la mano del almiles) 四は「三個」の鉢と「一個」の皿,という具合。以下,五は赤ワイン三甕と白ワイン二甕
(もしくは聖フランシスの傷の数),六は抱いた女の数(amoures que teneis),七は僧侶の法衣六枚にケープが一枚,
八は屠殺屋七人に羊が一頭,九は猟犬八匹に野うさぎ一羽,十は両足の指の数,十一は騎士十人と勇者(breua)*6
が一人,十二はおそらく豚のことだと思われる。
前章で触れた問答形式の数え歌のように,この例も答えが積み上げ式で唱えられることになっている――
Quién me dirá que no es una? 誰が始めを教えてくれる
La rued de la fortuna. (Ma,p.68) 一つとせ,巡る因果の糸車…
このスペインの例では,五に「カナの葡萄酒の甕」もしくは「聖フランシスの傷」が結びつけられている。これらはいづれも,
すでに述べたようなキリスト教的な歌唱に出てくる,キリスト教的な概念である。たとえば五で「聖フランシスの傷」というのは
イタリアの例に,カナダでダンスとともに唱えられる歌などでは「葡萄酒の甕」は「六」にあてられていた。
我が国における異教的な式目聖歌の中にも,同様にキリスト教的な事項をとりこんでいる例は確かにある。しかしその数は比較的少なく,
それらは元来あった異教的なものが,キリスト教信仰への移行の中で,同様の概念にすりかえられたことを示しているに過ぎないものだろう。
我が国における異教的な式目聖歌の中の最古の文献例は,チェンバースがブッチャン(P.Buchan)による未刊行の歌謡収集から引用した例である。
これは問答体になっており,先に述べたドルイドの歌唱同様,先生が生徒に何かを教授しているような形態をとっている――
1.We will a'gae sing,boys, 歌おう みんな
Where will we begin,boys? どこから歌おか さてみんな
We'll begin the way we should, やりたいようにやりゃいいさ
And we'll begin at ane,boys. それじゃ一からはじめましょう
O,what will be our ane,boys? ああ ひとつとは?
O,what will be our ane,boys? ああ ひとつとは?
−My only ane she walks alane, −僕のあの娘よ 独りで散歩
And evermair has dune,boys. 歌は何時でもここからさ
2.Now we will a'gae sing,boys? 歌おう みんな
Where will we begin,boys? どこから歌おう さてみんな
We'll begin where we left aff, 前のとこから続けよう
And we'll begin at twa,boys. それじゃ二からよ さてみんな
What will be our twa,boys? ふたつとは?
What will be our twa,boys? ふたつとは?
−Twa's the lily and the rose −二とは百合とバラの花
That shine baith red and green,boys: みどり くれない映じたる
My only ane she walks alane, 僕のあの娘よ 独りで散歩
And evermair has dune,boys. 歌は何時でもここからさ
3.We will a'gae sing,boys? 歌おう みんな
Where will we begin,boys? どこから歌おう さてみんな
We'll begin where we left aff, 前のとこから続けよう
And we'll begin at three,boys? それじゃ三から さてみんな
What will be our three,boys? みっつとは?
What will be our three,boys? みっつとは?
−Three,three thrivers; −三は三者の スレイバー
Twa's the lily and the rose, 二本の百合とバラの花
That shine baith red and green,boys: みどり くれない映じたる
My only ane she walks alane, 僕のあの娘よ 独りで散歩
And evermair has dune,boys. (1870,p.44) 歌は何時でもここからさ…
――最後はこのようになる。
…What will be our twelve,boys? …十二とは?
What will be our twelve,boys? 十二とは?
Twelve's the Twelve Apostles; 十二はわが主の十二使徒
Eleven's maidens in a dance; 十一人の乙女は踊り
Ten's the Ten Commandments; 十は十戒
Nine's the Muses o'Parnassus; 九はパルナッサスの詩の女神
Eight's the table rangers; 八は テーブル-レインジャー(?)
Seven's the star o'heaven; 七つの星は天国の
Six the echoing waters; 六は神の力に感ぜし水よ
Five's the hymnlers o'my bower; 五人の賛美歌わが家に響き
Four's the gospel-makers; 四人の福音つくりし人よ
Three,three thrivers; 三は三者の スレイバー
Twa's the lily and the rose, 二本の百合とバラの花
That shine baith red and green,boys; みどり くれない映じたる
My only ane she walks alane, 僕のあの娘よ 独りで散歩
And evermair has dune,boys. 歌は何時でもここからさ *7
この歌のヴァリエーションは,ほかにもドーセットシャー(英南部),コーンウォール(英西南端),ダービィシャー(英中部),
ノーフォーク(英東岸)など,イングランド各地で唱えられていた。これら類例の多くは,その句末が‘boys'
ではなく,感嘆詞の‘O’になっている。そこからジェソップ博士(Dr.Jessop)*8 はこれを降臨節
(Advent)*9 の師走16日からクリスマス・イヴまでの間の晩祷のとき「聖母頌(Magnificat)」
の前に唱えられる歌,いわゆる《偉大なる七つのO》(Seven great Os)と関連づけている。ちなみに,この題名はその歌の出だし
「おお,賢きものよ(O Sapientia)」から来たものである。
イートン校(Eton バッキンガムシャー)では,ドーセットシャーで唱えられていたものと同様の歌が今なお唱えられている。
《緑たちまち世に萌えて》(Green grow the rushes oh)として知られているその歌の歌詞は,合唱様式になっていて――
Solo: I'll sing you one oh! (独唱)歌い染めよう ひとつとせ
Chorus: Green grow the rushes oh! (合唱)みどりたちまち世に萌えて
What is you one oh? どんなものかな あなたの一は
Solo: One is one and all alone (独唱)一は唯一無比なるものぞ
And ever more shall be so.(1) 永遠に変わらぬものなれば
――と始まる。ついで同様の形式で次の節が唱えられる。そして独唱者が「二」を説きおわると,それに続いてその前の一の部分が
合唱される…これが以降同様に続いてゆくものである。この歌では,二は百合が如く潔白なる少年たち,三は三人の敵,四人の福音著者,
戸口に掲げた五の印,栄光受けたる運び手六人,夜空の七つ星,八は険しき降臨者(bold rainers),九はかしこく輝くもの(bright shiners),
十は十戒,十一は天に登った十一人,十二は十二使徒,となっている。*10
コーンウォールの水夫たちの間で唱われている式目聖歌は,次のような出だしで始まるが――
Come and I will sing you! さてとこなたに歌ってやろか
−What will you sing me? −なにを歌うてくれまする
I will sing you one,oh! まずははじめの ひとつとせ
−What is your one,oh! −なにがあなたのひとつとせ
You one is all alone, おまえこの世にただ一人
And ever must remain so. なべてこの世はそんなもの
その数説きには,後世の手がかなり加えられているようで,二は緑のドレスを着た汚れなき乙女(Two are lily-white maids clothed
in green,oh!),三は畏くも輝くもの,四は福音作者,五は一隻の小舟に座す渡し守たちで,うち一人は異邦人,六は幸福なる給仕たち,
七は空の星,八は天に座します大天使たち,九は険しき降臨者(bold rainers),十は十戒,十一は天に登った者たち,
そして十二は十二使徒とされている。(2)*11
ダービィシャーでは,この歌は収穫祭と結びついており,その形態も酒宴の端歌(ハウタ)のようなものとなっている。さらに,
いきなり三から始まり,一と二の数説きは最期の一節になるまで出てこない――
Plenty of ale to-night,my boys, たんと飲もうぜ今宵は みんな
And then I will sing you. そしたらおいらも歌いましょう
What will you sing? おまえ歌うの何の歌?
−I'll sing you three oh. −さても歌うよ みっつとせ
What is the three O?… 三つのOとはそも何ぞ?
最期の一節で列挙されるのは,十二使徒,十一の大天使,十戒,九つのかしこき輝き,八にガブリエル・ライダース(Gabriel riders),
黄金に輝く七つの星,六人が帰り来た五つの船,*12 四の福音詩人,三のスレブル・スライバース
(threble threibers) そして二の汚れなき乙女たちと緑の服の一人の‘O’である。(3)
これとおなじタイプの歌は,ノーフォークでも,秋の収穫の時期に唱えられていた――
A: I'll sing the one O. 一つのOの歌うたお
B: What means the one O? 一つのOってなんでしょう?
A: When the one is left alone, 一つだけしかないのなら
No more can be seen O! OにはOは見られまい
C: I'll sing the two Os. 二つのOの歌うたお
D: What means the two Os? 二つのOって何でしょう?
二は汚れなき少年たち,三は三つの貴きO,四は福音作者たち,五は酒場の賭博台(*? thimble in the bowl),神の怒りに触れし六人,
七は空の七つ星,八は栄光の行者たち(bright walkers),九がゲイブル・レンジャース(gable rangers),十は十戒,十一は福音伝導者たち,
そして十二が十二使徒,とされている。(4)*13
またヘリフォードシャー(Herefordshire 英南西部)には,八のところまでしかない,こんな版が流布している――
Eight was the crooked straight, 八は曲がれど直なるものと
Seven was the bride of heaven, 七は天の花嫁通じ
Six was the crucifix, 六に十字架受難を抜けて
Five was the man alive, 五には生ある男子とて
Four was the lady's bower 四は婦人の御部屋より
[or ladybird,or lady,or lady's birth?]
Three was the Trinity, 三は三位一体をなす
Two was the Jewry, 二にはユダヤの民として
One was God to the righteous man 一に神の遣わされた正義の人
To save our souls to rest. Amen.(5) 我等が魂を息んぜたまえ,アーメン
*14
我が国のノンセンスなわらべ唄の中には,こうした数説き歌の成れの果てと見られるような唄がいくつかある,たとえば――
One,two,three,four,five, ひい・ふう・みいようご
I caught a hare alive, とらまえました野ウサギを
Six,seven,eight,nine,ten, ろく・なな・やあ・ここのつじゅう
I let her go again. (c.1783,p.48) 放してあげたで今では自由
――などがそれである。また,次の唄の‘sticks' は「十字架(*crucifix)」――前述 ヘリフォードシャーの例で
「六」にあてられている――に通じるし,‘straight' も前の歌に出てきた‘crooked straight’という語を思い起こさせる――
One,two,buckle my shoe, ひい ふう お靴をはこう
Three,four,shut the door, みい よお ドアしめよ
Five,six,pick up sticks, いつ むう お手ゝの棒
Seven,eight,lay them straight. なな はち そろえよ端を
(1810,p.30 *nc)*15
また,この唄には以下のように二十くらいまで続いている版もある。
Nine,ten,a good fat hen, ここのつとお おでぶのコッコ
Eleven,twelve,who shall deleve? etc. といちのふう だれが掘る
こうした様々な歌の「数説き」を表にしてみると,その本来の意味を失った時,どのような言葉が卑俗化し易いのかといった
法則のようなものが感じて取れるだろう。また,その語の原義を復原するための手懸かりも,これら意味不明瞭な語を比較することから
多少は得ることができよう。
以下 Sc=Scotland Dt=Dorset C=Cornwall Db=Derbyshire N=Norfolk H=Hereford
1.Sc−One all alone. 2,Sc−Lilly and rose.
Dt−One is one and all alone. Dt−Lilly white boys.
C−Is all alone and ever must remain so. C−Lilly white maids clothed in green.
Db−One was dressed in gren O. Db−Lilly white maids.
N−One left alone no more can be seen O. N−Lilly white boys.
H−One was God to the righteous man. H−Jewry.
3.Sc− Thrivers. 4.Sc− Gospelmakers.
Dt− Rivals. Dt− 〃
C− Bright shiners. C− 〃
Db− Threble thribers. Db− Gospelrhymers.
N− Rare O. N− Gospelmakers.
H− Tritiny H− Lady's bower.
5.Sc− Hymnlers of my bower. 6.Sc− Echoning waters.
Dt− Symbols at your door. Dt− Proud walkers.
C−Ferrymen in a boat and one a stranger. C− Cheerful waiter.
Db− By water. Db− Came on board.
N− Thimble in the bowl. N− Provokers.
H− Man alive. H− Crucifix.
7.Sc− Stars in heaven. 8.Sc− Table rangers.
Dt− Stars in the sky. Dt− Bold rainers.
C− 〃 C− Archangels.
Db− Golden stars. Db− Gabriel riders.
N− Stars in the sky. N− Bright walkers.
H− Bride of heaven. H− Crooked straight.
9.Sc− Muses 10.Sc− Commandments.
Dt− Bright shiners. Dt− 〃
C− Bold rainers. C− 〃
Db− Bright shiners. Db− 〃
N− Gable rangers. N− 〃
11.Sc− Maidens in a dance. 12.Sc− Apostles.
Dt− Went up to heaven. Dt− 〃
C− 〃 C− 〃
Db− Archangels. Db− 〃
N− Evangelists. N− 〃
この表から,スコットランドで三にあてられている‘thrivers’はダービィシャーの‘threble thribers’に通づるものであることが判る。
S.O.アディの解釈によれば「スレブル・スライバース」とは,三人のノルニス,もしくは白衣の貴婦人(white ladies)
*16 を指す言葉だという。(6) この説はブルターニュの歌の
「三人の女王」が,スペインの歌にある「三人のマリア」を示唆するものだろうとされていることから見ても妥当だと思われる。
さらに,スコットランドの‘table rangers'に符合する‘Gabriel riders’とは,ダービィシャーにおける「ガブリエルの猟犬
(Gabliel hounds)」もしくは「ゲイブル・ラチェース(gable ratches)」の別名とされている。「ガブリエルの猟犬」とは
ある種の禍つ風を指す言葉である。*17
ブルターニュの歌でも「風」は「八」と結びつけられていたではないか。また‘bright shiners' (栄光の降らせる者?)は
コーンウォールにおいては三にあてられているが,ドーセットシャーやダービィシャーでは九にあてられている。ブルターニュの版では
九は「乙女たち」の数である。このことからは紀元前四世紀に探険家ピシエスが訪れた大西洋の小島(おそらくブルターニュ半島沖に浮かぶ
ウーシャン島(ile D'Ouessant)で,宗教儀式をとりしきっていたという女司祭 (priestesses) たちのことが想起される。
主要な託宣を宰どる彼女らのうちの九名は,天候を自在に操ることができるとも称していたという。*19
これらの歌と民間伝承上の事象との比較対照には興味が尽きない。たとえばマホメットの後継者,ことイスラム教徒の間に伝わる説話には,
金持ちが貧乏な男に,自分の雄牛をかたにして,次のような数説き問答をしかけるという話がある――
なにが一で二ではない? 我等が神は只一人
何が二であり三でない? お天道様とお月様(昼と夜)
以下,三は妻への三下り半(divorces),四は神聖なる書物(新約聖書・旧約聖書・詩篇・コーラン),五はイスラム五ヶ国,
六はニザム*18 の領地,七は神の玉座を囲む七重の天界,と続く。(A,II,p.230)
ドイツはホルシュタイン地方の西隣りにあたる,ディトマルシェン(Ditmarschen)地方では,同様の話がより原初的な形態で
語り継がれている。その数説きも七までしかないが,それは(*イスラムのものどころか)ある小作人が「灰色の服の小男」と,
財産をめぐっての数説き問答をすることになり,困っているところへ「救世主キリスト」が現れ,こんな教えを授けるというものである――
一は一輪のねこ車(Wheelbarrow),二は二輪の大八車(cart),三は鍋置き(trivet)の三本足,四は四輪の荷馬車(waggon),五は手の指,
六は一週に働く日,七は北斗の星の数となろう
――これにより小作人の財産は守られる。(R,p.137)
これのさらに原初的なものが,小ロシア(ロシア南西部)に伝えられている―ある男が六頭の豚に目がくらんで自分の魂を売り渡す。
三年後,悪魔が彼を連れ去ろうとやって来るのだが,そのときその悪魔の前にある老人が現れ,報酬の見返りに悪魔を見事だまし
あしらってしまう―というものである。このとき,両者の間には次のような問答が交わされる――
家の中にいるのは誰だ? 一人と一人でないもの(二人)さ。
そこの二人は何する人ぞ? 一度で二回も棒を振り,一度に三度旅に出る。
一台の荷馬車を四つに持って,
五人の息子と徒党組む。
六匹豚は悪魔の所有,
けれど貧者に預けたものは,
永遠にその手にゃ戻らない。
(A,Ⅱ,p.227)
これらの民話と式目聖歌を比較してみると,こうした民話中の問答の方が,内容的にも,またおそらく形態的な点でも,
積み上げ式のそれより古いだろうことが判る。いづれの場合も,その人外の力は「数」と「物」とを結びつけることによって発揮されるが,
お話しの中ではそれは,たぶん死神を意味するだろうドイツの「灰色の小男」,ロシアでは「悪魔」が自ら用いる力であるのに対して,
キリスト教の歌の中ではそれが民間伝承上の聖人,たとえばデンマークでは聖シメオン,イタリアでは聖ニコラスが,その
「悪魔を屈服させる」ために用いる力となっている。
さらにその数説きは,六からせいぜい七まででしかない。このこと自体,これが比較的初期のものであるあかしであるが,
そこにある数説きのいくつかは,実際に積み上げ式の式目聖歌のキリスト教的なもの,異教的なもの,その両方に現わされている。
たとえばドイツの話にある「ねこ車」は,スペインの歌では異教的な概念である「運命の輪」となり,スコットランドの歌においては
唯一神を示唆する「ただ一人ゆく One 」となっている。そして今の我々の歌にある‘one O'とか,「円(circle)」といった表現も,
この流れを汲むものだったのかも知れない。また(*ホルシュタインの) 民話中で二は「二輪の荷車」であったが,ブルターニュの歌でも
これは「牛の引く車」と説かれている。そしてイスラム教徒の説話にあった「太陽と月」で二という数説きは,イタリアのエイブルジーの
キリスト教的な式目聖歌にも見られる。さらにドイツの話が六を「一週間の労働日」とするのも,我々の《新たなる啓示》にある
それと通づる。そして「北斗七星」は,ブルターニュの歌では「牝鶏座」という異教的な事象として,またそしてイギリスの歌の
「七つのかしこき光り」や,ラテンの歌にあった「ヨセフの見た星々」などキリスト教的な事象としても現わされている。
こうした類似点を,単なる偶然として片付けることは出来ない。すなわちこれは,これら数と事象を組み合わせた作品が何らかの関連を
持って結ばれているということを表わしているのだ。
「式目聖歌」自体が,それほど古くからあったものなのかどうかについては,いまだ論づる余地が残る――たとえばブルターニュの歌は
キリスト教の,もしくはヘブライのそれをもとにしたキリスト教の同様の歌から出たものかもしれない。そしてまたそれらと,
もとからあったであろう様々な異教の歌はどう関係しているのだろうか。しかし,こうした分析から,これらは,
すべてある一つの原型から派生したもの,そしてその原型とは民話の中にある「問答」であるとすることは可能である。
「式目聖歌」の数説きが,しばしば抽象的なものとなるのに対して,民話中のそれは「車輪」や「輪」といった,
往時の人間にとってそれ自体に不可思議な意味を感じとれるような,しかれど単なるモノとなっている。さらに式目聖歌で交わされる問答の
目的は,たとえば「悪魔を退ける」などとして,実のところ宗教的な教えを表わすことにある。これに対して,民話中の問答の目的は,
結局「豚の獲得」それだけでしかない。しかれども「豚」は,古来より大切な財産として尊ばれてきたモノなのである。
〈第14章注〉
○原注
1 S.R.Byrne “Camp Choruses",1891,p.91
2 “The Gentleman's Magazine",1889,Jan.,p.328. A.Lang の‘At the Sign of the Ship'より
3 同上 1890年,July,p.46 S.O.Addy‘Two Relics of English Paganism’より
4 “Longman's Magazine",1889,June,p.187 Jessopp ‘A Song in Arcady’より
5 S.O.Addy “Household Tales and Traditional Remains",1895,p.150 Herefordshire の例。
6 S.O.Addy 同上 p.150
○訳者補足
この章は難解である。特に論拠として重点がおかれている“Barzaz Breis" より引かれた歌の英訳詞には疑問やあやふやな点が
多いのだが,いかんせん原典に直接あたることが叶わなかったため,追求しきれなかった。今回の訳にあたって参考にしたのは
N.& Q. 4thS. p.506(1870)の記事‘Old Christmas Carol'に引かれたこれのフランス語によるこれの訳詩の断片である
(原著はブルターニュ語)。
Child.Chante-moi la série du nombre un,
jusqu'à ce que je l'apprenne aujourd'hui.
Druid. Pas de série pour le nombre un:
la Néessité unique;le Trépas,pére de la douleur;
rien avant,rien de plus.
Child.Chante-moi la série du nombre deux,
………
Druid. Deux bœufs attelés à une coque;
ils tirent,ils vont expirer;voyez la merveille.
Pas de série pour le nombre un:la nécessité unique.
………
Druid.Il y a trois parties dans le monde:
trois commencements et trois fins,
pour l'homme et pour le chê aussi.
Trois royaumes de Merzin(Merlin);
fruits d'or,fleurs brillantes,petits enfans qui rient.
Deux………un…
また式目聖歌の数説きを‘One,two, buckle my shoe'などわらべ唄の数え歌とむすびつけるという論はまったく頂けない。12章の補足にも述べたが,原著者の説は現在においてはその端緒のところから否定されていると言って良いが,ともあれ過去の一説として訳出することにした。
○訳者補注
*1 8―原文‘eight beaters of the air’すなわち「八人の空飛ぶ勢子衆」。 原詩がついてないので
自信はないが仏語の‘traquet'(ヒタキ) を‘traquer'(勢子)に間違えたのではないかと思われる。
*2 3―世界で最初に創造されたのはオークの樹で,人類はこの樹から生れたという神話がある。
メルリンはアーサー王伝説の魔法使いマーリンに同じ,一説にアーサーの伯父ペンドラゴン,父ユーサー,そしてアーサーの三代に仕えたとされる。
4―「マーリンの砥石」と名付けられた奇岩や史跡があるというが詳細不明。 5―英語原文‘…terrestrial
zones,the divisions of time,the rocks on one sister (sic)' 不明。 8―東西南北に北東・南東・南西・北西。 9―原文‘little
white hands near the tower of Lezarmeur' 不明。
*3 Nantes ブルターニュ南西部。ロワール河に面した港町。
*4 Vannes ブルターニュ半島南岸。
*5 ‘des despouill市' 貴族の所有する土地・領地・狩場を指す。
*6 1―‘Wheel of Fortune’応報天罰を司る女神フォルテュナ(もしくは ネメシス) の持物。
回る車輪は覆しようのない運命を現わす。 3―邦訳は英訳に従う。いづれにせよ,なぜ三なのかは不明。 11―原文
‘…and one leader(breva ?acorn)',‘breva(ドングリ)'は‘breua(勇者)'の間違いだろうと思われる。
*7 前頁の3の詞の一部およびこの最後の部分は原詞を収集1870より補足。
*8 Augustus Jessop(1823〜1914) 歴史学者。
*9 ‘Advent’降臨節または待降節 クリスマス前の四週間。 クリスマスの準備期間として
11月 26日以降の各日曜日がその聖日となる。
*10 “The Oxford Book of English Traditional Verses",p.32 No.189に‘The Dilly song’
と題する類例があり。その解説によれば 1―主なる神。 2―‘lily-white boys' は,キリストと洗礼者ヨハネ。 3―魔術士(Magi)。
5―疫病除けのペンタゴン(五芒星)。 6―カナでキリスト最初の奇蹟(既注)の水甕を運んだ者たち。 7―北斗七星。 8―‘bold
raingers'(本書 bold rainers)は大天使。 9―天使の階級もしくは聖母マリアの喜び。
イートン校はEton College。1444年創設。この歌は コーンウォールの歌(文中後述)をもとに,生徒に神学を教える上で
伝えられてきたものだともいう。
*11 2―不明。 6―‘cheerful waiter'上注の6と同じであろう。
*12 6,5―原文‘six come on the board; five by water’不明。
*13 5―不明。とりあえず‘thimble'を‘thimblerig' の意味で訳した。 6―‘provokers'英語の聖書にある
‘…provorkes God's anger'という言葉から解す。 8―‘bright walkers' カナの運び手か?
*14 8―おそらく羊飼いの杖,神の民たる羊飼いヨセフ の連想か? 7―聖母マリア。 4―子宮を示唆し,
処女懐妊を暗喩するか?
*15 原典である収集1810,p.30 にはここにいう8までの版ではなく,この後に述べられている20までの版が
掲載されている。
One,two,buckle my shoe;
Three,four,lay down lower;
Five,six,pick up sticks;
Seven,eight,lay them straight;
Nine,ten,a good fat hen;
Eleven,twelve,who will delve;
Thirteen,fourteen,maids a courting;
Fifteen,sixteen,maids a kissing;
Seventeen,eighteen,maids a waiting;
Nineteen,twenty,my belly's empty.
JOH.1842,p.132には3,4を‘shut the door',19,20を‘My stomach's empty'とする版が見られるが,本文にある8までの版,
および11,12を‘who shall deleve'とする版の典拠は不明。
*16 ドイツ,北欧などの伝承。死神。女神 フリイ信仰の名残りともされる。訳者はこれをその音から,
ケルトの豊穣の母‘Suleviae'(第7章補注参照)と関係あるのではないかと考える。
*17 ‘Gabliel hounds' については第8章訳注参照。‘Gable riders'‘−ratches'をこれと同様とする説は
N.& Q.4thS.・.439〜440に見られる。また‘Gable rangers'を大天使ガブリエル とする解釈が,同書7thS.I.96 に報告されている。
原著者はおそらくこうした記事を読んでいるに相違ない。
*18 ‘Nizam'インド 南部 ハイデルバードの君主を指す称号。イスラム圏。