Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第13章 式目聖歌(Chant of Creed)


 〈クリスマスの十二日間〉,とくにそのフランスにおける類例の一つ‘Le foi de la loi' は,あたかも積み上げ式暗唱法による 説教のようであったが,同じように数と事象を組み合わせた詩句は,実際に,ユダヤ教,キリスト教,またドルイド教をふくむ様々な宗教において 多岐にわたる信仰行事中にもまた数多く見られる。そして,それらを比較してみると,こうした詩句がすべて一つの, 同じところから派生したものであろうということが判ってくる。とりあえずは,そうしたものをまとめて「式目聖歌(Chant of the Creed)」と呼ぶことにしよう。


 そうした積み上げ式歌唱の一つに,ユダヤ教の「過ぎ越しの祝い(Passover)」*1 の夜に唱えられる 《彼ぞ知る》(Echod mi jodea)(1)がある。これはユダヤ教教会での祭礼より帰ってから, 家の主人もしくは家族全員によって唱えられる単調な歌である。筆者が聞いたものは,もはや問答体形式にはなっていなかったが, それはこのように始まる――

 Who knoweth One?−I,saith Israel,know One.   誰ぞ一知る? ユダヤの民ぞ
 One is God,who is over heaven and earth.     一は神なり天地を治む

 Who knoweth Two?−I,saith Israel,know Two.   誰ぞ二を知る? ユダヤの民ぞ
 Two tables of the covenant;            二こそ誓約 石の板
 But One is our God                されど一こそ我等が神ぞ
 Who is over the heavens and earth …       なべて天地を治みける

――そして最後には次のようになるものであった。

 Who knoweth thirteen?             誰ぞ十三知りたるは?
 −I,saith Israel,know thirteen:          ユダヤの民ぞ十三知れり
 Thirteen divine attributes            十三なるは暦の月ぞ
 Twelve tribes −Eleven stars−        十二の氏族 十一の星 
 Ten commandments               十は十戒
 Nine months preceding childbirth        九つ月経て子供は産まれ
 Eight days preceding circumcision        八日過ぎたら割礼受ける
 Seven days of the week             七つの日数は一週間
 Six books of the Mishnah−Five books of the Law ミスナは六書,五書律法
 Four matrons−Three patriarchs         四人の妻と祖先の三人
 Two tables of the covenant            二こそ誓約 石の板
 But One is our God,                されど我等が神こそ唯一
 Who is over the heavens and the earth.     なべて天地を治めける*2

 おなじ歌唱にキリスト教で信仰されている事象があてはめられて,歌詞が一から十二までとなっているものは,ラテン諸国,イタリア, スペインを始めとして,フランス,ドイツなどにも流布している。我国ではこれは(*たんなる暗唱ではなく)歌となっている。しかし, その数と事象の組み合わせが必ずしも一定しないところからすると,これらの歌は(*ユダヤ教→キリスト教と伝わったものではなく) 個々独自に発生したものである可能性も考えられよう。またそのことは,それらの歌にある幾つかの事項が,純粋にキリスト教的なものではないこと, さらにそれらが純粋に異教的な歌にあるそれと事実上合致するものであることからも言えよう。


 「式目聖歌」のラテン語版の来歴は,16世紀後半にまでさかのぼることができる。その歌句はヴェネッチア生れの作曲家・テオドール・ クリニウス(d.1602)により,13人構成で合唱されるモテ*3 にも仕立てられている(E,p.408) また,これとは別に1650年の来歴を有する,次のような歌も伝わっている――

 Dic mihi quid unus?          我に示せ一とは何ぞ?
  Unus est Jesus Christus [or Deus]   一こそキリスト 救世主(or神)
Qui regnat in aeternum [or coelis] いずれ来たりし国の王(or天国の王)

――答えはさらに,二の聖書−三の祖先−四の福音書の作者−五はモーゼの律法書−六は「ガリラヤのカナの水甕」−七は聖霊の賜物 (もしくは神の座の七つの灯し火)−八つの至福−九つの聖職(天使の九聖歌隊)−十戒−十一弟子(ヨセフの見た星の数) −十二個条の誓約(十二使徒)と続く。*4


 スペインで唱えられている式目聖歌には,同様の形態で,六が天地創造の日数,十一が「千の十一倍の乙女」となっているほかは, ほとんど同じ数説きのなされているものや(A,II,p.142),聖処女を一に,三を「三人のマリア」とし,九をユダヤの歌のそれに通づる 「処女懐妊」の月日と説く版がある。(A,II,p.104) 同様に,九をキリスト降臨までの月日,十一を千の十一倍の乙女たち, と説いた例はポルトガルにもある(A,II,p.102)。*5


 イタリア全土,およびシシリー島では式目聖歌は《十二の真理》(Le dodici parole della Veritàとして知られている。 これらは一般に,悪魔に教えを説いてその目論見を砕いたとされる民間の聖人・バリのニコラス(Nicolas of Bari) *6 をその語り手としており,内容的には先にあげたラテン版のそれとほぼ一致するものが大半を占めているが, エイブルジー(Abruzzi 伊中央山地南端)の例のように,二を「太陽と月 五をキリストの,または聖フランシス*7 の傷の数,十一をカソリックの教義十一個条とする版も見られる(A,I,p.419;Ⅱ,p.97)。


 一方,デンマークの例では,これが聖シメオン*8 の言葉となっている――
Stat op,Sante Simeon,    先を続けよ聖シメオン
  Og sig mig,hvad een er?    われにしめせよ一とは何ぞ?

――この歌の数説きは完全にキリスト教的な事象のみで占められており,一はラテン語版同様イエス・キリストで始まる。ただし 「神により箱船で救われた人(sjaele frelste Gud udi Arken)」が八にあてられている。(Gt,II,p.68)*9 


 ランドック地方に流布している歌唱も,キリスト教に沿い,内容的にもラテン語版に準ずるものだが,三は三位一体, 五はイタリア版と同じく「キリストの傷」,さらに六は神の玉座に輝く光明,七は聖母の喜びとなっている。 *10


 式目聖歌はヨーロッパからカナダへも渡っている。フランス語で,四拍子の単調な曲に合わせたその歌は,《聖の円舞》(ronde religieuse)と呼ばれる,ある種儀礼的なダンスに際して唱われる。これはまず,六組のカップルが立ちあがる, その一人一人はそれぞれの数字を象徴している。つぎに個々に歌いながら,その歌にあわせて一列に連なり,各々最初は右, 続いて左に回転する。六番目の者が歌うとき,および歌の「六」の部分が唱われるたびに,踊りを一旦停め「六は酒甕,ワインでいっぱい (Six urnes de vin remplies)」という言葉に合わせて,偶数番に相当する踊り手たちが,右,左と回って深く一礼を捧げ, 同時に奇数番の踊り手たちは同じ礼式を逆向きに行ない,それからダンスを再開するという。(G,p.298) この記述からみると, このダンスの形式は,構成するカップルが「六組」となっていることを除けば,四もしくは八組で行なわれる〈グランド チェーン イン ランサーズ〉(Grand Chain in Lancers)*11 のそれとほとんど合致するもののようである。


 このカナダの例では,十一をスペイン・ポルトガルの例同様,「十一千の処女たち」としているほか,その数説きはすべて キリスト教的な事項でまとめられている。この「十一千の処女たち」は,他と違い十五まで続くチューリッヒ(Zürich 瑞北部) の例にも出ている。その歌では,九の「天使の九聖歌隊」までは,すでに述べた歌にもみられたようなキリスト教的な事項が並べられ, 十は「十千の騎士」,十一が「十一千の乙女」,以下十二を十二使徒,十三をキリストの弟子,十四は「救難聖人(Nothelfer)」, そして十五を「秘蹟(Mysteries)」にあてている。またその歌詞は,問答体で,しかも答えを積み上げ式に唱えるという古い形態を遺している (R,p.268)*12


 我が国で《新たなる啓示》(A New Dyall)*13 と呼ばれている詩歌は,こうした世俗的な 「式目聖歌」が発展して,正式な宗教上の詩歌となった例の一つである。1625年頃に書きとめられたと思われる,これの二種の異版が, ハルレオン・マニュスクリプツNo.5937に含まれており,それらは現在F.S.A.サンディズ(F.S.A.Sandys)による『クリスマス・キャロル集』 (Christmas Carols)のなかで見ることが出来るが,そのうち一方の版にみられるリフレイン部からは, (*たんにクリスマスというよりは)十二夜節の祝祭との関係が喚起される――

 In those twelve days,              この十二日
 In those twelve days,              この十二日
 Let us be glad,                 いざ我等賛えん
 For God of His power hath all things made.   神の御力万物なさん

先の例はどちらの版も,問答体ではなく,また積み上げ式でさえないが――

 One God,one baptism,and one faith,     唯一神 一度の洗礼 信心一途
 One truth there is the Scripture saith;     唯一の真理ぞ 聖書説く
 Two Testaments,the old and new,        二つの誓約 旧くと新と
 We do acknowledge to be true;         われら知りたるさこそが真と
 Three persons are in Trinity,          三(ミ)たりぞ 三位一体に
 Which make one God in Unity;         神のみもとに一つたり
 Four sweet evangelists there are       四人の愛しき福音弟子が
 Christ's birth,life,death,which do declare,    著わす主がことつまびらか
 Five senses like five kings,maintain      五感は五王の治世に似て
 In every man a several reign;          あまねく人にそぐうにて
 Six days to labour is not wrong;        あるがままなり六日の苦力
 For God Himself did work so long;        神そのひともかくありき
 Seven liberal arts has God sent down     七つの御技は神の賜物
 With divine skill man's soul to crown;      人の御魂をわかつもの
 Eight in Noah's ark alive were found,      八は箱船救うた命
 When(in a word)the World lay drowned.      この世すべてが沈むのち
 Nine Muses(like the heaven's nine spheres)   詩神は九人 天球九重(ココノエ)
 With sacred tunes entice our ears;        神が御言をわれらに伝え
 Ten statutes God to Moses gave,         十はモーセに下せし法よ
 Which,kept or broke,do spoil or save;      残り また割れ 守られ 反古に
 Eleven with Christ in heaven do dwell,      十一 使徒 主は天にあれ
 The twelfth for ever burns in hell;        十二人目は業火に焼かれ
 Twelve are attending on God's Son;       十二 はたまた神の御子
 Twelve make our Creed,“the dyall's done."(2)  十二の啓示ぞ 歌に見よ *14

――というように,その詩の事項の大半はラテン語版の歌唱のそれとほぼ合致するものである。ただし六は「カナの水甕」ではなく, 「神による創造の日々」。これはスペインの歌唱に云う「天地創造の日数」と一致する。さらに,この「週六日の労働」という一句は, 次の章に出てくる問答体の歌唱中にも見られるものである。また,八を「ノアにより救われた人々」とするのは,デンマークに流布する 「式目聖歌」の一例と同じである。


〈第13章注〉
○原注
1 E.B.Tylor “Primitive Culture",I,p.87 Mendes の “Service for the First Nights of Passover",1862 を引用。*15
2 F.S.A.Sandys“Christmas Carols",p.59 など

○訳者補注

*1 「過ぎ越しの祝い」は ユダヤ暦1月14日に行なわれる祭礼。ヘブライ語で セデルと云い, モーセ に率いられたユダヤ人が,エジプトから逃れパレスチナに帰着したことを祝う。昔は子山羊の丸焼きを, 苦い草と酵母抜きパンと共に食べたという。

*2   13―ユダヤの暦は一年13ヶ月。 12―ヤコブ(父イスラエル)十二人の子が諸氏族の先祖となった。 11―創世記「吾はまた夢見たり十一の星々,吾を拝し来たれり。」ヤコブの十一番目の子・ヨセフの夢は,のちユダヤの王となる予言。 6,5―ミスナはモーゼの律法五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)とその解説・口伝の集大成であるタルムードの 第一部を構成する六冊。共にユダヤ教の主要教典。 4,3―ノアの箱船で救われたノアの息子三人(セム,ハム,ヤベラ=アブラハム,イサク, ヤコブ)を祖先と云う,またノアの妻と息子三人の妻を足して四人。 2―出エジプト 31:18「主はシナイ山でモーセに語り終えられた時, 証の板二枚,即ち神が指を以て書かれた石の板をモーセに授けられた。」

*3 ‘motet'…ラテン語による合唱曲のこと。

*4   2―新約・旧約。 4―マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ。 6―「ヨハネによる福音書」にある話。 イエスの行なった最初の奇蹟。ガラリアのカナの地で婚礼の祝宴に招かれ,六つの水甕の潔めの水を葡萄酒に変じせしめた。 7―黙示録にいわく「七つの灯し火が御座の前で燃えていた。これらは神の七つの霊である」 8―「山上の垂訓」にある 「心の貧しきものは幸いなり」で始まる有名な教義。 9―または天使の九階級を指す。すなわち,ユリエル,ヨフィエル, ヤフキエルの率いる上級三隊。ザドキエル,ハニエル,ラファエロ,の中級三隊。カマエル率いる下級三隊。 11―イスカリオテのユダを除く。 12―カトリックの洗礼および諸典礼儀式において唱えられる信仰の誓いの告白文。 使徒信経(Apostolicum Creed)・三部構成十二個条の誓文。

*5  6―七日目に休息したから「創造の日々」は実質六日間。 11―‘eleven thousand virgins'のことは *13 参照。 以下「十一千」とあるのもこの数を指す。3―聖母マリア,マグダラのマリア,およびラザロとマルタ の姉妹であるベタニアのマリア。

*6  Nic詫a di Bari(or di Mira) ?〜345/352。現 トルコ・ミーラ の町の司教。11世紀にイタリア人兵士が 町より聖遺物を盗んでパリに移した。ギリシャとロシアの守護聖人。水夫,子供,商人,質屋の保護聖人。中世以後伝説化され サンタ・クロースのもととなった。

*7   5―いわゆる「聖傷」。イエスが十字架にかけられた際に負った傷。両手両足および脇腹。 聖フランチェスコ(1182〜1226)はイタリアはアッシジの聖人。清貧を旨とし,民衆に近く神を説いたフランシスコ修道会の始祖。 キリストの聖傷と同じ処より血が流れる「聖痕(スティグマ)」の奇蹟を顕したとされる。

*8  St.Simeon,おそらく,キリキア出身で,柱の頂上で生活し苦行をつむ「柱頭行者」(Stylite)の元祖, St.Symeon the Style(390?〜459)のことと思われる。

*9   8―前出ノアおよびその妻,三人の息子と三人の妻。計八人

*10  6―神の六属性−尊厳,知恵,慈悲,正義,力,愛に符号する。 7―聖母マリアは七つの栄光,七つの喜び, 七つの悲しみを味わったとされる。

*11 ‘Lancers'というのは,19世紀後半に流行したスクエア-ダンスの一種。‘Grand Chain'とは同数の踊り手たちが パートナーと向かい合って鎖状に並び,右,左と旋回し,全員がもとの位置に戻るまで続けることを指す。

*12   10― 不明。10を「騎士」にあてた例は後述にもある。 13―不明。正しキリストの弟子は12人には限定されていない。 14―“Die Religion in Geschichte und Gegenwart”(1960)によれば‘Nothelfer'即ち「14救難聖人」とは,Achatius(ハドリアヌス帝時殉教), gidius(てんかん・不妊症の難を救う),Barbara(雷・火より除災),Blasius(or Blaise 病気・喉の病),Christphorus(悪疫・悪天候), Cyriakus(殉教者),Dionysius(-of Paris? パリ の守護聖人),Erasmus(海員 とくにナポリの海員を守護),Eustachius (狩猟者およびマドリード市を守護)Georg(St.George イングランドの守護),Katharina(若い女性・学者・弁護士など守護), Margaretha(出産にある女性を保護),Pantaleon(医者を守護),Vitus(てんかん病患者を保護)。伝説的聖人および殉教者を列したもの。 15―原文‘mysteries'残念ながら不明。 カソリックにおいては聖典もしくは秘蹟である mystery(or sacraments)は正式には七つ。ただし ローマ-カソリックが認めている典礼外の信心の一つで,一般に広く行なわれている「ロザリオの祈り」は主の祈りと天使祝詞を 15連唱えるというから,これを指すものかも知れない。

*13The Oxford Book of English Traditional Verses"(ed.Fredrick Woods,1983)に  Reginold Nettel の“Sing a Song of England"(1954)からとった‘The New Dial’の異版の一つが載っている。 これの11番目は――

       What are they that are but eleven?
       Eleven thousant virgins did partake,
       And suffered death for Jesus'sake.

――となっている。解説に11,000とは‘eleven martyr-virgins'(十一人の殉教した乙女たち)と書くところを,短縮してローマ数字混じりでXI.M.V. と書き倣わしたものが誤読され(M.はローマすうじの1000) たのではないかとある。多少怪しいが,訳者の知る唯一の解釈である。なお同解説によれば‘Dial(=Dyall)’とは十二の印のついた時計盤を指すとあるが,どうも合点がゆかないので訳語は旧稿のままに留めた。

*14   5―‘five king'は特定の人物を指すものではないようだ。 7―これに該当する語句は聖書中には見当たらない。  次章を見よ。

*15Primitive Culture"にはじつは‘Echod mi jodea' という唱句に関する記述はない。 キリスト教の‘Who knoweth one?' や‘Unus est Deus &c.'とユダヤの仔山羊の歌を比較し,形態的にはユダヤがキリスト教のそれを 模倣したように思えるが,ヘブライ語の歌の方がより高貴で原初的なもののように考えられる,ということが書いてあるだけ,典拠不明。


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