Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第11章 積み上げ唄 


 さて今度は,今までのものとは異なる発想から生れた唄に目を向け,同時に我々の現在の生活をちょっと違った角度から検証してみることとしよう。 それはたとえば,呪文や,数字の魔力的要素,生贄狩り(sacrificial hunting) の儀式などと関係深い唄たちである。 これらの唄には一種宿命論的な傾向が呈されており,ある危難を回避しようという意識的な努力が,多くその主題となっている。


 そうした発想の相違は,それらの唄の形式のうえにも反映され,あらわれている。これまで述べてきたわらべ唄は, おもとして行末の音をそろえる脚韻,もしくは類韻(*assonance…母音だけの押韻)によって構成されていた。しかし, これら魔術や生贄狩りに関わる唄の多くは,詩句の反復(repetition),あるいは積み上げ(cumilation) によって構成されている。 こうした形式上の相違は,おそらく,その起源の相違から来たものであろう。すなわち,脚韻詩の形態をとる唄は舞踏や唱歌より生じたもの, 一方,積み上げ型の唄は暗唱や訓戒の言葉から派生したものと思われる。


 積み上げ式の暗唱法とは,まずはじめの一句を唱え,復誦する。ついで二句めを唱え,復誦し,一句目を唱える。 三句目の時にはそれを唱え,復誦し,そのあとに二句目,はじめの句と順に唱えてゆく。つまりは句を一センテンスごと加えながら, 最初のセンテンスまで順次たどってゆくというものである。かりに各センテンスを記号に置き換えてみると,その形式は, (はじめの)A(リピート)a/Bba/Ccba/Ddcba…とでもなろうか。この暗唱法それ自体は,我々にとってさして珍しいものではないが, 英語にはどうもこれを言い表す語が見当たらない。フランスのブルターニュ地方では,こうした暗唱法を「シャン・ド・グルヌーユ(chant de gréouille)」,すなわち「カエルのお歌」,と呼んでいる。18世紀,我が国で罰ゲームとして行なわれていた〈欠伸のガマ口与太ガエル〉 (The Gaping Wide-mouthed Waddling Frog) と呼ばれる遊戯があるが,これに用いられた文句は,まさしくこの「カエルのお歌」 の形式であった。この遊びについてはあとでまた論じるが,ともあれその名がかのフランス語に由来するものであろうことは疑うべくもなかろう。 *1
 積み上げ唄のなかでもっとも親しみ深いものといえば《おばあちゃんと豚ちゃんのお話》(The Story of the Old Woman and Her Pig)と《ジャックのお家》(This is the House that Jack built) があげられよう。この二つはともに物語風の筋立てで,(*メロディを楽しむというよりは)お話しのように「語られる」ものである。


 《ジャックのお家》を文字としてあらわした最初の例は,オルダーマリー教会区のマーシャルの工房により出版されたトイ・ブックであった。 それは挿絵入りの絵本で,刊行時期は1770年頃と思われる。*2 また『ボストン・ニュース・レター』(Boston News Letter)誌*3 No.183, 1839年4月12日〜19日号(*週刊誌である)に掲載された『テートとブラディの讃美歌集』(Tate & Brady's Version of the Psalms) という本に関する書評の中の「わが子供たちに“これはよるべもなき男…云々”という,粗野な戯れ歌をうたわせておくのも考えものである…」 という一文も,おそらくこの唄についての言及の一つであろうと思われる。そしてこの一節は《ジャックのお家》の 「これぞよるべもなき乙女」(This is the maiden all forlorn.)という句のヴァリエーションであろう。


 1819年,ロンドンでホーン(W.Hone)*4 による風刺文『ジャックの建てた政府のお家』(The Political House that Jack built) が出版された。クルーシャンク(Crushank)*5 の挿画により彩られたこの本は44版まで版が重ねられている。つまりその頃にはもう,この「戯れ唄」は,替え唄の材とされるほど良く知られていたわけである。
 マーシャルにより出版された本では,この唄はかように始まり――

 This is the house that Jack built,       これはジャックのお家

 This is the malt                これは麹
 That lay in the house that Jack built,    あったのはジャックのお家

 This is the rat                 これはネズミ
 That ate the malt                食べたは麹
 That lay in the house that Jack built,    あったのはジャックのお家…

――続いて,猫がネズミを殺し―犬が猫をおどし―牛が犬を放り―乙女が牛の乳を搾り―男が乙女にキスをし― 最後に坊主が二人の縁を結んで終わる。一方,ハリウェルの版(1842,p.222 //*nc…Note p.161) では,これに 「婚礼の日の夜明けを告げた」ニワトリが出てくる一句が加わり,また70歳を越すある老婆が,以前筆者に教えてくれた版では, さらに「ニワトリを殺したナイフ」の一句が加わっていた。ちなみに彼女によれば,それは自分が乳母から直接教わったもので, 本で読んだものではないという。この老婆が,まさしく積み上げ式に唱えてくれた唄のおしまいは,次のようなものであった――

 This is the knife with a handle of horn,       この角の握りの包丁
 That killed the cock that crowed in the morn,    が,ばらしたコッコが告げし早朝
 That wakened the priest all shaven and shorn,*6   髭にお頭を剃った牧師様が到々
 That married the man all tattered and torn,      結婚させたチンピラ野郎
 Unto the maiden all forlorn,            の,相手のよるべなきお嬢
 That milked the cow with a crumpled horn,     が,ミルクを搾った曲角モーモー
 That tossed the dog over the barn,         が,屋根までぶん投げたワン公
That worried the cat                 の,脅した猫がガブリ
 That killed the rat                   と,殺したネズミ
 That ate the malt                   の,食べた麹
 That lay in the house that Jack built.       が,あったのはジャックのお家*7

 《ジャックのお家》は大部分,ちゃんと韻を踏んだ詩句で構成されており,婚礼をそのテーマとしている。 婚礼の日にニワトリを供物に献ずるなどという発想は,明らかに異教時代の風習に由来する古いものであるが, そこに登場する事物やその順番は比較的新しいものである。それはこの歌を,その海外における類例と,また《お婆ちゃんと豚ちゃん》 のお話しと比較することによって判ってくる。つまり,これらの作品には,いづれも同じような形式がつかわれており,またそのいづれにも, 同じようなものが同じような順列で登場しているのである。
 《お婆ちゃんと豚ちゃん》のお話しを最初に本にとりあげたのはハリウェル(1842,p.159)である。これはある女性が六ペンスを拾い, 市場に出かけて一頭の豚を買い,柵の出口で立往生したその豚をいかにして連れ帰ったかというお話しで, 彼女はその呪わしい状況を打ち破るため,犬−棒−火−水−雄牛−肉屋−縄−鼠−猫−雌牛と,順ぐり手助けを求めるものの, 一旦はみなに拒絶されてしまう。しかし最後に雌牛が(*その前の猫の望みであった)ミルクを彼女にくれたことによって, 他のものどもも一気に動きだし,彼女は夜になってようやく家に帰ることができるのである。ハリウェルはここに出てくる事物とその順列はとても古いものであるとして, その収集の中に,彼がこの《お婆ちゃんと豚》に通づると考えた,あるヘブライの歌の翻訳を載せている。それは一人称で語られる, このような歌である――

 A kid,a kid my father bought        山羊ちゃん仔山羊 父ちゃんの買うた
 For two pieces of money:A kid,a kid.    二銭で買うた 山羊ちゃん仔山羊

 Then came the cat and ate the kid,     そこで猫じゃが食うたは仔山羊
 That my father bought            父ちゃんの買うた
 For two pieces of money:A kid,a kid.    二銭で買うた 山羊ちゃん仔山羊…
 (1842,p.6 //*co p.3)

――この後に《お婆ちゃん…》のお話同様に,犬−棒−火−水−雄牛−肉屋が続き,最後には死の天使,そして聖なるもの(Holy One =神様)までが登場する。 


 このヘブライの仔山羊の歌は,1609年ごろにはすでに,ヴェニスにおいて刊行されており,1727年にはこれを主題にした『山羊について』 (De Haedo)というラテン語の学位論文がハールト地方(独南東部 ライン河畔 Pfalz地方)のプロテスタント教区長*8 によって書かれ(R.,p.153),また1731年にはレーベレヒト(P.N.Leberecht)*9 もこれをとりあげている。(1) また,この歌唱はユダヤ教の祈祷文にもとりこまれ, それは今なお復活祭における宗教儀礼の一端として,オリジナルのヘブライ語,もしくは各国の言葉により唱えられている。しかし, その由来や唄の意味については諸説あり,ラビ(*ユダヤ教の祭司=律法博士)の間の伝統的な解釈では, これは物事にはそれぞれ相応の分というものがある,ということを述べたものだということになっている。すなわちこれをあやまてば, その末路はより強き者の前にすべなく自滅するのみだという教えであるというのだ。またこれとは別に,「仔山羊を買った父」 とはすなわち父なる神・エホバ(Jehova)であり,「仔山羊」はヘブライの民,「猫」はアッシリア人,「犬」はバビロニア人を表し, 全体で十字軍遠征(11〜13世紀)時のユダヤ人の立場を表したものであるという説もある。*10


 このヘブライの唄と《お婆ちゃんと豚ちゃん》のお話しが関係あることは,タイラー教授*11 も認めている。 (2) 彼は《仔山羊の唄》の,その「荘厳な」結末に着目し,本当にこの作品が, 我々の唄の原形のようなものとして存在していたと思わせるような説をといたあとで, このように述べている「もしそうなら(*原形といえるようなものが本当に存在していたのなら),我等が馴染みのお婆ちゃんのお話し, すなわち仔山羊(もしくは豚)を連れて行かれなくなったお婆ちゃんのお話しなども,つまるところこの古いユダヤの歌のくだけた翻案, 成れの果てだと考える他はないではないか。」(2)


 しかし,その「お婆ちゃんのお話」を《ジャックのお家》やその数多い外国の類例などと合わせて考えてみると,そこに登場するものたちの順列から言っても,これは「くずれた翻案」などでは決してなく,かのユダヤの歌と同じくらい由緒のある作品だということが判ってくる。これらの作品はいずれも,ある者が何かを使おうとするが,その物には呪縛がかけられている(*動かない,使えない),ということを共通してそのコンセプトにすえている。またその呪縛は,人だろうが獣だろうが関係なく,すべての事物に伝染するもので,さらにそれを解くためには,初めの場所からだんだん遠ざからねばならない,こういった点も同様である。


 ハリウェルは《ジャックのお家》との比較に,デンマークで歌われているという「これはお家,ヤコブの建てた(Der har du det Huus som Jacob bygde)」という歌い出しの作品をとりあげているが(3),実際, ドイツやスカンジナヴィアには,これに類する語り物のヴァリエーションが多い。またその舞台も家のなかばかりではなく, 小麦あるいはオーツ麦の刈り入れ,もしくは梨の収穫という例もある。むろん,どの作品も積み上げ式の文体をとっている。 ひとつ,ドイツにある《みなみなないない》(Ist alles verlorn)という作品をとりあげてみよう――

 Es kam eine Maus gegangen       来たのはネズミ
 In unser Kornehaüs,           僕らの倉に
 Die nahm das Korn gefangen,      小麦の入った
 In ünserm Kornehaüs.         僕らの倉に
 Die Maus das Korn,           ネズミと小麦と
 Ist alles verlorn             みなみなないない
 In ünserm Kornehaüs. (Sim.,p.256)  僕らの倉に

――他に登場するのは,ドブネズミ(rat)−猫−狐−狼−熊−男−乙女,である。またその結末は《ジャックのお家》同様に, あわただしい感のあるものとなっている。
 これをより複雑にしたものが,ゾーネベルク(Sonneberg 独中部Thüringen)で採録されている(S.,p.102)。またフランス北部には 「ジャック」を「ピーター」に,すなわち異教的な名前をクリスチャン・ネームにすげかえたようなお話が伝えられている。 それは《ラ・ムース》(la Mouche)すなわち「蝿さん」と呼ばれているが,その内容から案みて,この「ムース(mouche)」は, ラテン語の「ムース(mus)」すなわちハツカネズミ(mouse)がその原義だと思われる。これは他の例と異なり, 節末にリフレインのある文形をとっている――

 Voici la maison que Pierre a bäie,         これがピエールの建てた家
 ll sortait un rat de sa raterie,           鼠が鼠の穴から出るわ
 Qui fit rentrer la mouch' dans sa moucherie:    蝿が蝿穴にはえって来るわ
 Rat ämouche,                    鼠が蝿に
 Belle,belle mouche                 蝿さん素敵
 Jamais je n'ai vu si belle mouche. (D.B.,p.116)  見たことないね様ほど奇麗

 続くのは,犬−熊−男−少女−大修道院長−ローマ法王−悪魔,である。 こうした類話はオーストリア(V.,P.113)やプロシアでも語られているが, プロシアではこれを《間抜け男のお家》(Das Haus vom hözernen Mann)と呼んで,罰ゲームに唱えさせられる文句としている(F.,p.197)。 オーストリアの例ではその順列が 家−戸板−鍵−帯−鼠−猫−犬−棒−火−水−雄牛−肉屋−悪魔。プロシアの例では  家−戸板−鍵−帯−鼠−猫−猟師(huntsman),となっている。


 ドイツには「ジャック」が「ヨッケル(Jockel)」「イェッケリー(J喩geli)」「ヨッケレ(Jokele)」などとなっている版があるが, この〈ヨッケルを使いにやった親方〉というお話しは,1575年に刊行されたフィッシャルト(Fischart)*12 の巨人物語の第二十五章にすでに言及されている。英語の場合,「ジャック」という名前は‘Jack-of-all-trades'(何でも屋)とか ‘Joot-jack'(長靴用の靴脱ぎ)のように,有用な人や物にあてられてるものであるが,ドイツ語で「ヨッケルの使い走り」というのは, 逆に「いつまでたっても終わりようがない(用をなさない)」ものという含みの言葉となる。


 ヴォトランド地方(Vogtland 独ザクセン南西部の丘陵地帯)に流布している作品の子供向けの版では――

 Es schickt der Herr den Gökel'naus,    親方 ゴッケルお使いに
 Er soll den Haber schneiden. (Du.,p.35) オーツ麦の刈り取りに

――と始まり,案の定帰ってこない彼に対して,犬−火−水−雄牛−肉屋−首吊り役人−悪魔,さしむけられる。
 スワビアの「ヨーケレ(Jokele)」(Br,p.44),スイスの「イェーゲリ(Joggeli)」は,「落ちてこない」すなわち「呪縛された」 状況にある梨を収穫するために遣わされる。そして1769年にまでさかのぼる由緒をもつチューリッヒの歌は,このように始まる――

 Es ist ein Baum im Gätle hinne,    お庭に一本 梨の木あって
 d'Birren wäd nü fallen.      どうしたものか実が落ちぬ
 Do schükt de Bur de Joggeli usen   そこで庄屋はヨーゲリを
 Er soll di Birren schüteln. (R.p.155) 梨の実落としに遣わした

――しかし,梨は落ちようとせず,これを収穫するために,また例のような順列で面々が遣わされるのである。


 ヴァストフェーレンのミュンスター(Münster 独西部) にも同様のお話が伝えられている。ここでは教会行事にとりこまれ, 例年9月17日,聖ランベルト祭*13 前夜の行列にさいして唱えられている。 この行事は少なくとも1810年にはすでに行なわれていたという。(R,p.155) それはダンスのあと,もしくはその最中に唱えられるのだが, その理由や目的は伝えられていない。おそらく本来は,行列の連なる姿を実際の梨の収穫に見立て, 物語の梨の木同様の豊作を願って唱えていたものであろう。この例では梨の収穫に遣わされるのは「ジャック」ではなく 「猟師(der Jäger)」で,その順列は,犬−棒−火−水−子牛−肉屋−首吊り役人−悪魔である。


 こうしたものを教会がとりこんでいるというのは,我々の先祖が,異教時代の何らかの儀式をキリスト教の祭礼の中にもぐりこませたものだと思わざるを得ない。「仔山羊」のお話がユダヤ教の復活祭の祭礼に紛れ込んだのも同様であろう。 だからこそ,どちらの場合にも同じような順列が伝わり,同じようにある有用な「もの」の獲得をその主題にすえているのである。


 これらのお話に出てくるものと同様の順列は,イギリスにおいて〈だんまり〉(Dump)(1894,I,p.117;Ⅱ,p.419),アメリカでは 〈いっとう落とせ〉(Club First) (N,p.134)として知られている,ある伝承遊戯の歌い文句の中にも見られる。これらの遊びにおいても, その主題は「家を建てる」こと,とか「梨を落とす」こととされている。しかしながら,その遊びの動作それ自体には, こうした言葉との関連はあまりみうけられない。この遊びは三人,もしくはそれ以上の男の子たちによって行なわれる。 彼らはたがいに身を寄せ合って,おたがいの握り拳をはすかいに突き出し,縦に一本に積み重ねる。そして最後の子, すなわち片方の手の自由な子が,次のように言いつつ,その拳を一つづつ順に叩き落としてゆくのである――

  (ヨークシャーの例)‘What's that?' −(Answer) Dump.
  (アメリカの例) ‘What's that? −(Answer) A pear.
         Take it off or I'll knock it off.

 このあとシュロップシャーの例では全員が一緒に――

 I've built my house,I've built my wall;   お家の建設 壁建設
 I don't care where my chimneys fall.   煙突(エント) 落ちたも知りやせぬ

――と歌い,すべての拳が落ちるのに続いて,

 What's there ?                 あるのはなあに
  Cheese and bread and mouldy half penny.   チーズにパンに半ペニー
 Where's my share ?               分け前どこに
  I put it on the shelf,and the cat got it.     戸棚の上から猫めが掠め
 Where's the cat?                 猫はいづこに
  She's run nine miles through the wood.     森の彼方に走り去り
 Where's the wood ?                森はいづこの
   T'fire burnt it.                火が焼いた
 Where's the fire ?                その火いづこに
   T'water sleckt it.               水消した
 Where's the water?                水はいづこに
   T'ox drunk it.                 牛飲んだ
 Where's the ox ?                 牛はいづこに
   T'butcher killed'em.              肉屋が殺し
 Where's the butcher?               肉屋いづこに
  Upon the church-top cracking nuts,     豆の殻剥きお寺の屋根で
  and you may go and eat the shells;      行って豆殻食べたなら
  and them as speak first shall have      早口言葉を言ってみろ
  nine nips,nine scratches,           九つ摘んで九つ掻いて
  and nine boxes on the ear. (1849,p.128)  九つお耳をぶったたけ

――という問答がなされる。
 ついで口をつぐみ,全員笑いをこらえる。不覚にも最初に口をきいてしまった者が,他の者から罰を受ける, というのが学童の間で行なわれているやりかたである。スコットランドの版ではその「罰」は「九っとつねって,九つ叩き, 九の倍だけ塩かけて,最後に一発せなかに喰わせ(nine nips,nine nobs,nine double douncornes,and a good blow on the back.)」とされている。


 フランスでは同様の遊戯を〈雄牛のあんよ〉(Le Pied de Bæuf)と呼んでおり,拳を重ねてゆくときには「九つ,雄牛のあんよ, 俺取った(Neuf,je tiens mon pied de bœuf.)」という文句が唱えられる(Mo,p.351)。この場合にも,出てくる数字は「九」である。


 「九回の罰」というものの歴史をたどると,そこに,ある古いユール・タイド*14 の催しが浮かび上がってくる。 それは今なおデンマークやシュレースヴィッヒ(独北部)などで行なわれている「バルッラールーネ(Ballerrune)」もしくは 「バルダールーネ(Balderrune)」と呼ばれる行事である。


この行事は,集まった面々で「バルダー・ルーネ*15 とその妻」 の祭文をくりかえし唱えるというもので,言い違えた者は我々の遊戯と同様に「九発」殴られることになっている。 この風習は,妻のお喋りに腹を立てたバルダー神が,懲らしめに彼女を九発打ったという神話をもとにしたものとされ, またこの行事が毎年くりかえされるのは,亭主が話している時には口を閉じてるのが女の義務であることを, 改めて思い出させるためであるとも云われる。(H,p.44)


 最初に「喋った」者が罰を受けるというのは,遊戯の〈だんまり〉でも同様である。これを「女性」 と暗示させるような要素はそこにはないが,それはこの遊戯が純粋に「男の子」の遊びであるからかもしれない。


 女性と豚,あるいは仔山羊のお話も,ジャックのそれ同様に,じつに広範な地域に渡って語り伝えられている。 スコットランドの例では,ぼろ家(wee house) に住んでいる女性が,2ペニー(twall pennies) を拾って仔山羊を買い,その帰途, 木イチゴの茂みを見つけたので,実を摘んでゆこうとするが叶わない。そこで彼女は仔山羊に家の留守番を頼み(*それを拒まれ),ついで, 犬−棒−火−水−雄牛−斧−鍛冶屋−縄−鼠−猫 を尋ねて彼女の望み,すなわち(*最終的には)茂みにかけられた呪縛を解くための助力を乞う。 各々の動物・物は「彼は私に何にも悪いことをしていない」からと言って,一様に前者を害することを一旦は拒む。 ところが最後の猫はミルクのご褒美という誘惑に絶え切なくて…という筋になっている。(1870,p.57) ここには他の例には見られない道義・教訓的な要素も含まれているようである。


 スウェーデンでは〈お婆ちゃんと豚ちゃん〉のお話は《ご婦人と豚のフィック》(Konen och Grisen Fick)の物語として知られている。 これは豚がドングリを食べ続けてとまらなくなるというお話しである。また,その類話にあたる《坊やと仔山羊のナッパ》(Gosen och Geten Näppa)というお話しもある。(1849,p.6) アルザス地方では,豚の名前が「シュニルシェル(Schnirrchele)」に(St,p.93), トランシルバニア地方では「ミスチカ(Mischka)」もしくは「ビスチカ(Bitschika)」(Sch, p.372)となり。フランス北部には 「ビケット(Biquette)」*16 が,如何にして彼女を追い払うため召集された,棒−火−水, をかいくぐり,キャベツ屑をせしめたかという話が伝わっている。この「ビケット」はたんに「仔山羊」として描かれているが(D,p.122), ラングドック州(Languedoc 仏南部)の版では「ビケット」が「ブケール・ブケル(Bouquaire-Bouquil)」*17 となり,雇われ狼−犬−棒−火−水−雄牛−縄 の妨害を受けながらも,ついには自慢の角で「キビ畑」をめちゃくちゃにするのである。 (M.L,p.538) 主人公格の「動物」が角を具えているというのは,これの他に例を見ない。ちなみにここにも出てくるこの「キビ(millet)」というのは, ヨーロッパにおける最古の栽培穀物の一つである。これに代わって小麦の栽培が始められたのは,英国でもピシエス(Pytheas)*18 がその沿岸を訪れた,紀元前4世紀以降のことだとされている。もしや《ジャックのお家》の「麦芽(malt)」は,この‘millet' から来た(*訛った)ものなのではなかろうか?


 フランスのルミルモン(Remirmont 仏東部・独国境の町)には《魔法使いと狼》(Le Conjurateur et le Loup) という物語が伝わっている。 これは彼ら両者の間にくりひろげられた競いあいを描いたもので,そこにはまた呪縛をかけあい解きあいのシーンも見られる――

 'y a un loup dedans le bois,         森にすまいし狼よ
 Le loup ne veut pas sortir du bois,      森より出でざる狼よ
 Ha,j'te promets,comp俊'Brocard,*19   わがブロカールの御名により
 Tu sortiras de ce lieu-lä (R,p.152)     いざいざ去らんこの地より

――狼を追い払うため,魔法使いが助太刀として召喚するものは,棒−火−水−子牛−肉屋−悪魔 である。
 これよりもっと原初的な類話が,ラングドック州に伝えられている。それは呪いのかかった根菜,もしくは蕪菁が,最後に「雄豚(hog)」によって引き抜かれる,という筋のお話で,こんなふうに始まる――「お婆さんは,畑にカブラを抜きに行きました。お婆さんが何時までたっても戻ってこないので,お爺さんが畑に行ってみると,お婆さんはカブラを引っぱっています。お爺さんはお婆さんを引っぱり,お婆さんはカブラを引っぱりました,カブラはけれどもぜんぜん抜けません。」


 二人に続いて,義理の娘−息子−男−乙女,さらには猫や鼠までもがこれに加わるが,カブラは一向に抜けない。最後に助太刀に入ったのは雄豚,彼は他の連中のようにそれを引っぱろうとはせず「下から攻め」,つまり自慢の鼻で掘ったくり,とうとう抜くことに成功するが,呪いの効力はまだ続いていて,今度は「蕪菁が手から離れなく」なってしまうのである。(M.I,p.541) 


 こうして,様々な類例を比較してみると,犬−棒−火−水−雄牛−肉屋 という順列が,どれだけ広範な地域で受容されているのかがよく判る。どこの例においても,彼らが召喚されるのは,主人公が切望してやまないあるものにかけられた呪縛を打ち破るため,である。その「切望してやまない」ものは「豚」であり「豆」「オーツ麦」「イチゴ」「キビ」または「根菜」であるが,これらはいづれも,ヨーロッパにおいて古来より尊ばれてきた品々である。従っておそらくはこの詩文の形式も,必ずそこに語られているこうした筋書きも,そこに描かれているものが古いということは,それを伝えるこれらの物語の形式も,同じくらい古くからあるものだと言えよう。ちなみに,これらと同じ文体は,次の章で紹介する一群の唄にも用いられているが,その内容から,それらもまたキリスト教伝来以前の文化に由来するものであることが判っているのである。


〈第11章注〉
○原注

1 Leberechtの論文は“Der Christliche Reformator",Leipzig,1731,XVII,28. に所載。
2 E.B.Tylor “Primitive Culture",II,86(*vol.I,p.86の間違い−訳者)
3 Halliwell は 1849,p.6 で Thiele,II,3,146を引用,著者は原書未見。

○訳者補注
*1 ‘grenouille’という仏語には「蛙」の他「積み立て金」といった意味もある。

*2  現在,《ジャックのお家》の初出文献は,J.Newberryが1755年に出版したToy-book“Nurse Truelove's New-Year's-Gift”とされている。なおMarshall版の題名は“The House that Jack Built …A diverting Story for Children of all Ages”である(参考 OXDNR,p.229〜32)

*3Boston News Letter" 1704年創刊。週刊。誌名はボストンの郵便局長がニューイングランドの植民地長官にあてた 手書きの近況報告書にちなむ。地方の話題を集め,また英国の新聞から海外のニュースを植民地のオーダーに合わせて再掲載した。

*4  William Hone (1780〜1842) 書籍商を兼ねた文筆人。Crushankと組んで一連の諷刺漫画の小冊子を発表。大ヒットとなる。

*5  George Crushank(1792〜1878) 父Isaac 兄Robert共に画家・諷刺漫画家。

*6  JOH,1842はこの「牧師が剃髪する」の一節により,これを古いものとする。牧師・修道僧の剃髪は英国では 中世以前の風習とされる。

*7   JOHよりその結末を補足しよう  

Then came the Holy one,blessed be He! And killed the angel of death,That killed the butchr,That slew the ox,That drank the water, That quenched the fire,That burned the staff,That beat the dog, That bit the cat,That ate the kid,That my father bought For two pieces of money:A kid,a kid.

*8  原文‘Probst von der Hardt’とある。独語の‘Probst(Propst)’は旧教で大聖堂首席司祭, 修堂院長を指すが,また新教の監督教区長をも示す。それともあるいは「プロスト・フォン・デル・ハルド」という名前の人物か。不明。

*9   Leberecht については不詳。JOH,1853によれば次の注にあるようなこの唄の歴史的な解釈を最初に唱えたのがこの人であるらしい。

*10  JOH,1842によれば,以下火は アレキサンダー大王治下のギリシャ人,水は ローマ人,牛はサラセン ,肉屋は十字軍,死の天使はトルコ,最後の一節で,神がいづれトルコを倒し,ユダヤの民がメシアのもと自らの王国を築くであろう という意味とする。ヘブライ語のタイトルは‘Had Gadyo' OXDNRによればその最古の版は1590年にプラハで出された“Sepher Haggadah"。

*11 Edward Burnet Tylor(1832〜1917) 人類学者,その著“Primitive Culture"は,マナ説を提唱したことで有名。J.G.Frazerをはじめ後の民俗学・人類学者に影響をおよぼした。

*12 Johann Fischart (1546?〜1590) ドイツの詩人。

*13  St.Lambert of Maastricht (635?〜705 or 706) オランダの殉教者。Li使e(白耳西部)市の守護聖人, 名門貴族の出身で,異端問題の処置を巡りドード(Dodo)伯と対立,祈祷中に撲殺さる。

*14 ‘Yule-tide'現在は クリスマス期間・十二日節の別称。旧スカンジナヴィアの冬至の太陽祭。

*15  バルダー(もしくは バルデル) は光の神。オーディン と天空女神 フリーグ の息子。

*16 ‘biquette' は仏語では「牝の」子山羊を示す。

*17 ‘Bouquaire-Bouquil'の原義は分からなかったが‘bouquil'とはおそらく「雄山羊」(bouc)の方言であろう。

*18 Pytheas  B.C.四世紀頃の船乗り。出身地 マルセイユを起点に ヨーロッパ北方を探険した。

*19‘Brocard'の本意はよく分からないが,「当歳のノロ鹿」という意味がある。


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