Comparative Studies in Nursery Rhymes

by Lina Eckenstein (翻訳・注釈 星野孝司)

第1章 わらべ唄収集のはじまり


 民俗学は従来とるに足りないとか,つまらないものであるとされてきた多くの事柄に新たな光りを与えてきた。わらべ唄(nursery rhymes)というものも,過去そうして無視され続けてきた領域にあって,民俗学により新たな価値を見出だされたものの一つである。ここで云う「ナサリー・ライムス」とは,書き留められて本になる以前から,口伝えで子供たちに教えられていた「韻文詩歌(rhyme)」を指すが,この言葉が現在のようにわらべ唄を意味するものとして使われるようになったのは19世紀初め頃のことである。


1834年に,ジョン・ゴゥラー(John Gawler), 後のベルデン・カール(Bellenden Ker)*1 が 『英国の諺言と伝承童謡に関する考古学的小論』(Essay on the Archaiology of Popular English Phrases and Nursery Rhymes) という奇抜な著作の第1巻を出版している。「ナサリー・ライムス」という言葉が,わらべ唄(nursery songs) の意味で使われるように なったのはこの年代以降の話である。


 しかし実際には,18世紀末にはすでに,リンボルト(E.F.Rimbault)*2 が 「目出られざる乳母やの小言」と呼ぶところのこうした童謡は,大人の興味関心を引くようになっていた。 ジョセフ・リットソン(Joseph Ritson)*3 は,その幼い甥に宛てた手紙の中で, “Mother Goose's Melody"として知られているわらべ唄集について触れ, また自身もわらべ唄の蒐集にとりかかることを約している。(1) “Dictionary of National Biography”によれば,彼の蒐集は1783年,ストックトン(英北東 Durham 州)で『ガートンおばばの花冠』(Gammer Gurton's Garland) というタイトルで出版されたということになっている。


現在,大英博物館にある編者不明のわらべ唄集,Christpher & Jennett社によりストックトンにおいて刊行された 『ガートンおばばの花冠もしくは 乳母やのお唄のお山』(Gammer Gurton's Garland or the Nursery Parnassus) は,リットソンのその収集の「増補改訂版」であると言われている。これには編者名も刊年も記されてはいないが, そこに収められた70首余りの唄は,リットソンの他の収集も手懸けた,聖ジェームス通り37番地の版元,R.Triphookにより1810年に出された, 同名の140首を越す一大童謡集の第1部及び第2部の内容にぴったり一致する。

 
 リットソンの興味を魅いた“Mother Goose's Melody"というのは,おそらく1780年12月28日,ロンドンにおいて 版権の申請がなされている,あるトイ・ブックのことであろうと思われる。この本の正式な題名は『ガチョウおばさんの音楽もしくは ゆりかごのソネット(Mother Goose's Melody or Sonnets for the Cradle)。版権の登録を行なったのは フランシス・ニューベリー(Francis Newberry)と組んで成功をおさめた,高名な出版者ジョン・ニューベリー(John Newberry 1716-1767) の養子,ジョン・カーナン(John Carnan)である。(2)*4 この本の版本の存在はいまだ確かめられていない。トイ・ブックというものは,概して手荒く扱われるため, もともと後世に残りにくい文学作品なのである。多くのトイ・ブックは何百冊という単位で刷られていたことが分かっているが, 中にはこうして今だその一冊をも見出せないようなものもあるのだ。
「ガチョウおばさん(Mother Goose)」という言葉が,わらべ唄と結びついたいきさつ,またこの“Mother Goose's Melody" 本の 出版年代についてはいまなお様々な説が取沙汰されている。例えばマサチューセッツ州ボストンで版元として名をあげた, 英シュロップシャー出身の出版者トーマス・フリート(Thomas Fleet)は,『乳母やのお歌 もしくは ガチョウおばさんの子供たちのための音楽』 (Songs for the Nursery,or Mother Goose's Melodies for Children) という本を1719年に Pudding Lane にあった 彼の印刷工房から出版したとされる。価格は銅貨二枚。(3) しかし, この本がその年代に実在していたかどうかについては是否意見が分かれるところである。(4) たとえばトーマスの曾孫にあたるジョン・フリート・エリオット(John Fleet Eliot) はその存在を肯定して,1834年, 次のようなことを言っている*5 ――「好古家の間ではよく知られていることだが,百年ほどむかしのロンドンで流布していた, 『乳母やのお唄 もしくは 子供のための子守歌』(Rhymes for the Nursery or Lulla-Byes for Children)という題名を掲げた 小さな本がある。そこには今日云うところの“Mother Goose's Melodies"のそれと一致する多くの唄が, すでにおさめられている。そこにはまた“Mother Goose's Melodies"の唄より,もっともっとばかばかしいものも おさめられているが,アメリカで現在ふつうに歌われているようなタイプの唄のいくつかは,はじかれてしまっているようである。 また,その版画や挿絵はひどくお粗末な出来である。」


他方,「1719年」には「銅貨二枚(two coppers)」という表現はなされていなかった(故に偽説である)という意見もある。 いずれにせよ,フリートの“Mother Goose's Melodies"の版本はもちろん,その原本だといわれる“Rhymes for the Nursery or Lulla-Byes…”も,ともにいまだ見つかっていないのだ。


 ジョン・ニューベリーなどが「わらべ唄」と結びつけた「ガチョウおばさん」という名前は, おそらくフランスから移入されたものであろうと思われる。フランスでは「ガチョウおばさん(La Mére Oie)」は1650年にはすでに, お伽話の語りべとして登場している。(5)*6 ‘La Mére Oie'は同様にお伽話の語りべとされる‘La Reine Péauque'や‘Berthe au grand pied' *7 の系を引く名前であろうと思われるが, ドイツの民俗学でいう‘Fru Gode',‘Fru Gosen' などとの関係も考えられる。*8‘Mother Goose' という言葉を,イングランドではじめて披露しているのは, 1709年から1711年のあいだ,バース(英東南 Avon州)やロンドンのコベント・ガーデンで興行した有名なあやつり人形師 ロバート・パウエル(Robert Powell) である。演目は彼自身の手になるものだが,そこには「ウイッティントンと猫」(Whittington and his Cat), 「森の幼な児」(The Children in the Wood),「ベーコンとバンガイ」(Friar Bacon & Friar Bungay), 「ロビンフッドとリトル・ジョン」(Robin Hood and Little John),「シップトンおばさん」(Mother Shipton)などお馴染みの演目に 混じって,「ガチョウおばさん」(Mother Goose)という題名がすでに見られる。(6)*9 「ガチョウおばさん」と題された芝居や道化劇は,19世紀初頭にはまだポピュラーなものであった。 名優グリマルディ(Grimaldi)*10 も1806年,同名の芝居で当たりをとっている。(7)


 リットソンがみずからのわらべ唄集に冠した「ガートンおばば(Gammer Gurton)」という名前にも同じような由来が認められる。 「ガートンおばばの縫針」(Gammer Gurton's Needle)という古い名喜劇は1566年頃にまでさかのぼることができるという。そして, この名前もまた,小版のトイ・ブックスのうえでわらべ唄と結びつけられ,年代はわからないが,グラスゴーのランスデンは 『ガートンおばばの唄の花冠とトビー・ティックルのナゾナゾ集』(Gammer Gurton's Garland of Nursery Songs,and Toby Tickle's Collection of Riddles) というトイ・ブックを出しているし, 粗末な小本であるが『この本最高』(The Topbook of all)というトイ・ブックにおいても,その名前は Nurse Lovechild, Jacky Nory, Tommy Thumb,といった伝説上のわらべ唄作者とともに列せられている。*11  この“The Topbook of all"もその出版年が記されていないが,本の価格をあらわす硬貨の図柄は, 1760年代に通用されていた新シリングになっている。


 唄が文献のうえにあらわれた年代は,その唄が歌われるようになった時代を解くための一つの鍵である。今まで私が見た中で, もっとも古い奥付をもつわらべ唄集は,表題に「法令に則りM.Cooperが販売」とある,『親指トムのちっちゃなご本 第2巻』(Tommy Thumb's Pretty Song Book vol.II) である。この本はある頁まで赤,ある頁からは黒の二色で印刷されており, 最後の頁には「1744年」と刊年が記されている。版本が一冊,大英博物館で所蔵されている。


 これに次ぐものとしては,1771年マールボロ通りの印刷工房で出版・販売された『音に聞こえし親指トムのちっちゃな物語集』 (The Famous Tommy Thumb's Little Story Book) があげられる。版本はボストン図書館に所蔵されており, Whitmoreの復刻本によれば,終わりの方に9首の唄が収録されている。


 こうしたアメリカで出版されたわらべ唄集の中には,古い英国の収集を再版したものが含まれている。大英博物館所蔵のそうしたものの 一つ,アイザヤ・トーマス(Isaiah Thomas) がマサチューセッツ州ウースタ(Worcester) で出版した, Nurse Lovechild作,たる 『トミー・サムのお歌本・ちっちゃな紳士淑女に捧ぐ』(Tommy Thumb's Song Book for all Little Master and Misses)には, 1788年の刊年が記されている。


 アイザヤ・トーマスがイングランドと直接交渉して,苦労のすえ,音楽用の活字のセットがはじめてアメリカにもたらたされたのは 1786年のことである。多くの英国製トイ・ブックが彼によって復刻されているが,その中に “Mother Goose's Melody,Sonnets for Cradle" という題を持つ本があり,その版本の一つ, 1799年の刊年のある,いわゆる「ウースター第三版」,Whitmoreにより影印復刻された,この本の原本こそがおそらく, ニューベリー商会が 1780年に版権を取得し,リットソンが述べている,かの本であろうといわれている。*12Mother Goose's Melody"と銘打った本にはこの他にも,1803年の透かしのあるものや, ボードリアン図書館の所蔵するジョン・マーシャル(John Marshall) 商会によって出された刊年の無いのものなどもあり,(8) これらによって「ガチョウおばさん」がわらべ唄と関係する名前として広く使われるようになった様子が忍ばれる。


 18世紀後半という時代に,トイ・ブックというメディアは著しい発展を遂げた。このムーヴメントを率いた才気あふるゝ人物こそ, かのジョン・ニューベリーである。1744年,薬屋兼本屋であった彼は,レディングからロンドンへ移って,後世書籍業の一大中心をなす, 聖ポールズ寺院街に居を構えた。彼が雇い入れた面々の中には,グリフィス・ジョーンズ(Griffith Jones),オリヴァー・ゴールドスミス (Oliver Goldsmith)*13 などが名を連ねており, その多彩にして上品なユーモア・センスは,彼らの手懸けた子供向けの本に突出した魅力を与えている。


 ジョン・マーシャルは,ロンドンにおけるニューベリーのライバルである。オルダーマリー教会区にあった彼の店は1787年頃にはもう ‘Great A,and Bouncing B Toy Factory' として世に知られるようになっていた。この名前はもちろん広くアルファベットの唄として 知られている――

  Great A,little a, Bouncing B,
 The cat's in the cupboard,
  And she can't see.  (1744,p.22)

でっかいA ちっちゃいa ぼよよんB
納戸のニャンコは
なんにも見れぬ

――という唄にちなんだものである。


 彼らを魁として,数多くの地方出版社が興ったが,中でもニューキャッスルのトーマス・セイント(Thomas Saint)のもとには, 1771年から1774年までの短い期間にも(後それぞれ独立して版元となった),Bewick兄弟,ヨークのKendrew,グラスゴーのLumsden, ダービーのDrewey,バンベリーのRusherといった面々が一堂に会していた。そのせいもあり,これらの会社によって出されたトイ・ブックは 時には同じ版画が挿絵として使われていることもあるほど,相良く似通っている。また,ほとんど刊年は記されない。しかし, たとえばラッシャーの出した『王家秘蔵のわらべ唄集』(Nursery Rhymes from the Royal Collections) とか 『昔と今の子供のお歌』(Nursery Poems from the Ancient and Modern Poet) といった本には,よく歌われる唄の, 他に見られないようなヴァージョンが入っている。


 こうしたトイ・ブックの流れとは別に,1810年には,1783年のそれにかなりの唄数を追加した“Gammer Gurton's Garland"の増補版が出されている。ついで,1826年にはチェンバース(Robert Chambers) が,昔話とわらべ唄をまとめた『スコットランドの俗謡』(Popular Rhymes of Scotland)を出版した。この本は1870年, 全面的に増補改訂がなされている。そして,1842年,パーシー協会*14 の賛助をうけたハリウェル(J.O.Halliwell) が『イングランドのわらべ唄』(Nursery Rhymes of England)を出版。翌1843年,第二版,そして1846年にはさらなる増補版,と版が重ねられた。ハリウェルはさらに, その三年後の1849年,これらを補足するものとして,多くの伝承遊戯の遊び歌や貴重な所説を掲載した『俗謡とお伽話』(Popular Rhymes and Nursery tales)も出している。


 これらの本にゴゥラー(カール)の収集,そしてリンボルトが1864年に出した『古童謡曲譜集』(Old Nursery Rhymes with Tunes)を加えたなら,研究者にとって必要とされるような収集は網羅されていると言って良いだろう。また, これらに収録された唄のほとんどは,Warne社が1890年に出した唄数じつに700首を越す収集『ガチョウおばさんのお唄・お話・しゃれ歌』 (Mother Goose' Nursery Rhymes,Tales and Jingles)におさめられている。以下に掲げる一覧では, こうした様々なわらべ唄の収集を出版年次に整理し,さらに近年出されたわらべ唄を含む文献もいくつかとり混ぜてみた。 ちなみに括弧で囲んだものは,筆者がまだその版本を直接目にしていない資料である。

 (1719 “Songs for the Nursery,or Mother Goose's Meldeies" …T.Fleet 刊行)
  1744 “Tommy Thumb's Pretty Song Book
 c.1760 “The Topbook of all
 (1771 “Tommy Thumb's Little Story Book"…収録9首,Whitmoreの記事より引用)
 (1780 “Mother Goose's Melody" …J.Carnan名義で著作権登録)
 c.1783  Ritson“Gammer Gurton's Garland"
  1788 “Tommy Thumb's Song Book"  …出版者 Isaiah Thomas
 (1797 “Infant Institutes" … ハリウェル及び リンボルトの引用による)
  1799 “Mother Goose's Melody"   …Whitmore影印版による
  1810 “Gammer Garton's Garland" …増補版 出版者R.Triphook
  1826  Chambers“Popular Rhymes of Scotland
  1834.9 Ker “Essays on the Archaiology of Nursery Rhymes"
  1842.3 Halliwell “The Nursery Rhymes of England"
  1846  Halliwell  同書再版 増補注釈加わる
  1849  Halliwell “Popular Rhymes
  1864  Rimbault“Old Nursery Rhymes with tunes"
  1870  Chambers“Popular Rhymes of …”増補版
  1876  Thiselton Dyer“British Popular Customs"
  1890 “Mother Goose's Nursery Rhymes,Tales and Jingles"… Warne & Co.出版
  1892  G.F.Northall“English Folk Rhymes"
  1894  A.B.Gomme “The Tradational Games of England,Scotland,and Ireland"

 なお以後これらから引用した唄には,ここにある年次を付して書名に代えることとする。

〈第1章注〉
○原注
1“Letters of Joseph Ritson" 1833, 書簡1781年4月27日より
2 Charles Welsh “A Publisher of the Last Century" 1885, p.272
3 Appleton“Cyclop dia of American Biography" 1887,
   ‘Fleet,Thomas'
4 W.H.Whitmore“The Original Mother Goose's Melody" 1892, p.44
5 Andrew Rang “Perrault's Popular Tales”1888, Introduction,24
6 J.P.Collier,ほか“A Second Tale of Tub or the History of Robert
 Powell
,the puppet-showman"1715は‘Punch and Judy’も記している。
7Dictionary of National Biography" ‘Grimaldi’
8 Whitmore 上書, p.6

○訳者補注
*1  John Bellenden Ker (1765?-1842) 植物学者‘affairs of gallantry'の寵児として18世紀末のロンドン流行界で幅広く活躍。 本名 John Gawler。

*2  Edward Francis Rimbault (1816-1876) 歌劇作家・好古家。1864年“Old Nursery Rhymes with tunes"を編す他,N.& Q.などにも寄稿。後述J.O.ハリウェルの学問的同僚。

*3  Joseph Ritson (1752-1803) スコットランドの好古家。OXDNR などによればGG's Garland の初版本は R.Christpher発行1784年本で,(エッケンシュタインが大英博物館で見たものであろう)Christpher & Jennett社の増補本は1799年の発行とある。これらの収集はどれも一貫して編者名はなく,収集1810でさえも単に‘by a literary gentleman'と言う。これがリットソン の作とされるのは本文にもあるDNB.の記述と,R.Triphookが同年“The North Country Chrorister" など彼の著作四冊をまとめた復刻本を出版しており,同様に集めた資料をまとめた可能性が高いためである。

*4  John Carnan OXDNR等を見るにJohnではなくThomas Carnan が正しいようだ。

*5  J.Eliot は“Boston News Letter" 誌(1860,1/14) に‘Mother Goose' は吾が曽祖母なりとの説を載せ,白秋などもこれを引いているように Mother Goose' アメリカ起原説を展開したが,後の研究でこれらがでっちあげに過ぎないことが判明している。

*6  A.Langによれば副題を‘Contes de ma mére l'oye'と名づく,Charles Pellautの“Contes de Temps Pass"1697に先立つこの1650年“La Muse Historique" なる本にすでに‘Comme un conte de la Mére Oye …’という一節が見出だせるという。

*7 ‘La Rene P仕auque (ペドーケ王女)'‘Berthe au grand pied(大足のベルタ)’ともに仏の建国英雄シャルルマーニュ王の母として昔話に出てくる名前とそのあだ名。一説に「ガチョウ足のベルタ」。仏では昔話の枕に「ベルタ王女が糸を紡いでいた頃…」という文句が使わる。

*8 ‘Fru Gode(ゴーデおばさん)'はドイツ北部で麦などを刈った後,麦穂を束ねたものの形で祀られる一種の豊穣神。‘Fru Gosen'の方はGr.,に記述がなく,おそらくは第8章にも出てくる‘Fru Goden'(ゴーデンおばさん)の間違いであろうと思われる。Gr.,はこのFru を婦人を指すFrauの古語ではなく,古ノルド語で主神に冠せられていたFro からきたものであろうという。

*9 ‘Whittington and his cat' 唯一の財産である猫を積んだ船が鼠に悩まされていた王国に漂着し, 無一文のウイッティントン少年は一躍大金持,のち初代ロンドン市長とまでなる。
  ‘The Children in the Wood'  領主である父を亡くした幼い二人の兄弟が,叔父の悪計で森深く捨てられ,さまよったあげくに死ぬ。 叔父にも天罰が下って惨死する。
  ‘Frair Bacon & Frair Bungay' 魔術士と評された中世の哲学者Roger Bacon とフランチェスコ会修道士Thomas Bungay をモデルにした「物言う頭像 Brazen Head)を巡る喜劇。
‘Mother Shipton' 同名の魔女を主人公にした喜劇。チュダー朝に実在した予言者がモデルとされる。

*10 Joseph Grimaldi(1779-1837) 有名な喜劇役者。この1806年の芝居は‘Harlequin and Mother Goose;or,the Golden Egg' といい「金の卵を生むガチョウ」を巡る喜劇。

*11 OXDNR,p.33で見る限り,ここに列せられたのは‘Gammer Gurton'ではなく‘Mother Goose'である。著者の覚え違いならん Nurse Love-Child' ‘Jacky Nory',‘Tommy Thumb' はいずれも童謡の伝説的作者にして登場人物。

*12 最も古い日付をもつ“Mother Goose's Melody"は Whitmoreが復刻した1765年版。現存するNewberry版の最も古いものは,Johnの孫F.Powerが出した1791年版であるとされている。

*13 Griffith Jones (1722-1786) 新聞記者・編集者・仏文学翻訳家。
   Oliver Goldsmith (1724-1774) アイルランド出身の作家。『ウェイクフィールドの牧師』(1766)で知られる。

*14 ‘Percy Society'は1841年,英国古謡・民謡集などの出版を目的として設立。 James Orchard Halliwell は後の シェイクスピア学者Halliwell-Phillips (1820-1889),早熟の天才学者。 Percy Societyの発起者の一人でもある。


Comparative Studies in Nursery Rhymes トップページへ